かつて、とても大きく見えたもの
その時は、なんて大きいのだろうと感じていたものの、改めて見にすると、むしろ小さいすらと感じてしまう場合もある。
これは、他所の犬に対して私が受けた印象の話である。
子犬を迎えた当初、ワクチン接種のために訪れた動物病院や、散歩ですれ違う他所の犬を見る度、私はその身体の大きさに圧倒されていた。
ラブラドール、ボーダーコリー、ゴールデンレトリバーなどの大型犬はともかく(ボーダーは中型?)、我が家の子犬と同じ柴犬や、小型犬に分類されるパグでさえ大きいと感じていた。
どこかで柴犬を見かけるたび、あのような大きな犬が、決して広いとは言えないこの我が家で室内犬として生活している姿を、どうにもうまく想像できずにいた。
現在、生後8ヶ月を間近に控えた我が家の子犬の体重は12kg近くある。
かつてはその身体の大きさに恐怖心すら覚えた、以前の記事に書いた紀州犬の血を引くという雑種犬(27㎏)と久しぶりに対面するも、あれ?そこまでデカくないな…という印象を抱いた。
子犬の散歩デビュー直後、大きくて厳つい顔つきの犬だなと思っていた近所のパグ(8㎏)も、今では小さく感じ、愛嬌のある顔に見える。
同じ20℃という水温でありながら、夏には冷たく、冬には温かいと感じる井戸水と同じように、人の感覚というものさしが、いかに曖昧であるかということを身を持って知った。
パピー期の動画を久しぶりに見返してみたところ、妻が抱き上げている子犬のその小ささにとても驚いた。
当時はそこまで小さいとは感じてはおらず、こんなに小さかったっけ?と、思わず目を疑った。
子犬を迎えに行った日、元飼い主のお宅で親犬のサイズ感を目の当たりにした私の胸中には不安しかなかった。
これから連れて帰るこの小さな子犬も、1年後には確実にあの大きさになっているのかと想像すると、既に後悔の念に苛まれていた。
つい先日、数ヶ月ぶりに対面した子犬の両親は、記憶していた姿よりもずっと小さかった。
雌である母親が小ぶりなのはともかく、あんなに貫禄があるように見えた父親も、今では成長した子犬よりも少し小さく、なんだかとても愛くるしく見えてしまうのである。
四十代半ばにして、いとも簡単に自分の感覚が急激に変化する経験を得られるなんて、人生はまだまだ侮れない。