わがままネガティブ
こんにちは。
日曜の朝からこんなタイトルですが…
興味を持っていただきありがとうございます。
理由もなく朝からむしゃくしゃしておりまして。
そんな中に
「あーきっと私今元気なんだなぁ」
と謎の客観的思考が混在してたりします。
元気がないと怒る気力も関心もなくなりますので…
今回精神障害の家族に対する話をしますので、気分を害されることがあるかもしれませんのでご注意ください。
少し昔話をしますが、小学校高学年のころ学級崩壊してました。
もちろんいじめもありましたし、自分の何がそんなに人とずれているのか理解できていなかった私は格好の餌食でしたね笑
今でも忘れないのは今でいうカーストトップにいた女子の言葉
「いじめられて当たり前だよね」
いじめられて当たり前とは何なのかは今でも分かりませんが、その言葉に同調する子はいなかったし、空気も凍り付いていました。
中学で転校して私は不登校になり、高校は通信、自動車学校でその子に再会したんですが、腫物を触るように話しかけてきたので、相手もその言葉を覚えていたのかもしれませんね。
真相は不明ですが。
ただ私が自己肯定感の低いネガティブになった理由はそこではなく、中学高校にかけての家庭内にあったと思います。
私が不登校になりかけのころ両親揃って毎朝私を強く非難していました。
力ずくでも行かせようって感じではありませんでしたが、とにかく学校に行かないことが悪であるというように。
で、一通り非難し終えた後母がフォローしてくるんですよね。
それがどうにもこうにも許せなくて、ある日母に言ったんですよね。
散々罵った後に優しくされて嬉しいわけがないと。
それから母のほうは罵ってきたりとかはなくなりました。
このころ色々ありすぎて記憶が曖昧なんですが、私が中2の年に姉が統合失調症と診断されました。
元々攻撃的ですぐ手が出る姉でしたがまぁ暴れる暴れる。
親には罵られ姉には私物を破壊されっていう生活が家を出るまで続きました。
親の対応からすると
姉の調子が悪い→暴れる→お前が悪い
ってことだったんでしょうね。
多分親も姉も何かのせいにして逃れたかったんだと思います。
これが20歳で家を出るまで続きました。
家を出たきっかけは自分の一番大切にしていたものまで壊されたこと。
その日の内に家出したんですが、母親が「お父さんが新しいの買ってくれるって」って言うんで帰ったんですよね。
ところが帰宅したら母親には「もう寿命だったんだよ」なんて意味の分からないことを言われ
父親には「俺は買うなんて言ってない」なんて言われ。
この家で普通じゃなくても「平和」に暮らすには自分かこの人達が死なないと無理だなぁ
って自殺他殺衝動が浮かんだので家を出ました。
今はさすがに自分にも原因があったと思います。
家族間にしてもいじめにしても、言葉で感情を伝えるということができていなかったので。
よく言うじゃないですか。
嫌なことははっきり嫌と言いなさいって。
その嫌なことがなんなのか自分でもわかってなかったんですよね。
それに見合った言葉を知らなかったというか。
だから先に感情が表に出てきてしまうみたいな。
それは今でもあまり変わってなくて。
会話するときに、自分の考えていることをどう話したら言葉の解釈の違いを少なく伝えることができるかを考えてしまうので、すごく時間がかかったりします。
これが人間関係に疲れやすくなっちゃう原因でもあります。
大人になって派遣で色んな所にいきました。
ありきたりですが、子供のころに想像していたより大人の世界は汚いです。
社員食堂は陰口悪口で溢れかえり、自分の立ち位置を確保するために人を蹴落とす人もいます。
仕事とは無関係のことでの不機嫌を隠さない人もいます。
派遣で色んな所に行きましたが、泣いている人もたくさん見てきました。
悲しくてというよりも理不尽さに対して悔しさで泣いてる方が多かった気がしますが。
大人の世界は学校よりもはるかに汚いと思います。
学校と違うのは「同年代だけではない」ということ。
これが小さいようで大きな違い。
学生時代うまく人間関係がうまく築けなかった私ですが、色んな年代の方と触れ合ってどうやら自分は一回り二回り上の人となら上手くやれるということがわかりました。
それでも合わない人とは合いませんが、だからといって自分の人生に害があるわけでもないしと割り切ってます。
仲良しだからっていつでもどこでも相手の全部がすきってこともないので…
まとまりない内容ですね笑
個人的にですが、今現在ネガティブでわがままでよかったと思うことたくさんあります。
ネガティブで自己評価が低いとよく言われますが、自分なんてって思い続けた結果自分をよく見せようとするの辞めれたので。
そうなってから相手に物事を指摘するとき、どうしたら相手を傷つけずに伝えられるか考えるようになったり。
自分が困っているときなんかに励ましてくれたり支えになろうとしてくれる方に出会えたので。
気づくこともなく出会うこともないまま人生を終える方もいる中で、そういった思いやりのある方に出会えたことはかけがえのないことだと思うので。
このまま私はネガティブでわがままな人間を貫くと思います。
これからも嫌なことの何が嫌なのか考えて答えを出しながら。
他の人より遅くてもこのペースがちょうどいいから。
それでも独りぼっちではない。
余談ですが、学校に行かないで何してたのかですが
ずーーーーーっと携帯小説読んでました。
で、歴史に強くなりました。笑
今でもありますが、一般の方が投稿する歴史ものっておもしろくて分かりやすい。
それまで歴史とか地理とか全然でしたが、幕末とかは強くなりましたね。
教科書って全部「初登場です!」みたいに人物紹介するけど、実は名前変えただけの同一人物だったり、昔から親交のある人ばっかじゃん!!みたいな笑
多分歴史って小説とか漫画のほうが知識として入ってくるんですよね。
母のころは世界史の平均が高かったみたいですし。(ベルサイユのばらの影響)
高校に入ってからはバイトが多かったです。
休憩中にレポートやって家では自由時間みたいな。
分からないとこあったらバイト先の先輩に聞いたり。
一人で勉強することの最大のデメリットですね。
分からないところがでてくると進まない。
そんな時はそこを飛ばして次に行く。
その問題一個解けないくらいで留年はしない…笑
変な話で全く収集がつかなくなりそうなのでこの辺で。
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