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ただの小学生が壁になるまで
※これは「ゆる民俗学・音楽学ラジオ非公式Advent Calendar 2024」の23日目の記事です。
前回はあずきの山さん「Nothing much happens in…」、
次回はTeionさん「参考文献一覧ほぼ2周年」です。
他のみなさんの記事もぜひ。
こんにちは。こまこいぬです。
今回は定番ですが、「ただの小学生がゆる民、ゆる音を推すに至るまで」について語ろうと思います。
これを語るには、まずは彼らとの出会いから書かなければなりません。
少々長くなりますが、最後までお付き合いくださいまし。
テレビの新調。それが全ての始まりだった
2021年、小5の秋。
我が家に新しいテレビがやってきた。
今までのものより驚くほど大きい。そして薄い。
しかしいちばんの違いは、YouTubeがついていたことだった。
もともとYouTubeなんて見ない家族だったが、あっという間に地上波からYouTubeへ乗り換えた。
それがなければいまの私はない、といっても過言ではない。かもしれない。
一家、言語沼に引きずり込まれる
ある日のこと。父親が、帰宅するとおもむろにYouTubeを開き、何かを検索し始めた。
「会社の人からおすすめされたんだよね」
そういって開いたチャンネルが、「ゆる言語学ラジオ」だった。
これが私と「ゆる言語学ラジオ」との出会いである。
何の動画をみたかは覚えていない。(ちなみに2021年秋だと、だいたい「サメの夏」あたり。その数個前には初「うんちくエウレーカクイズ」が投稿されている)
でもたしかに、見事に家族全員ハマった。
家族全員が変な人、かつ言葉に興味がある人だったからこそのハマりよう。そこからは過去回を一気に遡り、温泉旅館回あたりでもう追いついていた。
そして2021年12月21日。教養悪口本の発売日。発売日から1週間足らずで、しっかり本屋で手に入れた。
ここから学徒としての生活が始まった。
毎週毎週着実に、小学生はメタモンへと成長していった。
そして数ヶ月が経ったとき、一本の動画が上がった。
なんか始まった
小見出しの通りだ。
なんか始まった。
ここからあれよあれよと1次選考、2次選考が始まる。それに追いつけなくなった私は「ゆる言語学ラジオ」だけに集中した。
そしたら「ゆる学徒ハウス」が始まった。伝説の、自宅療養者が誕生したあれだ(自宅療養者を誕生させる企画ではない)。
#0、#1、#15だけ見た。おそろしいほどのつまみ食い。
そこで「ゆる音楽学ラジオ」を発見(遅い!!)。
「お!音楽あるじゃん!!見に行こ!!」と思って見に行った。
そのときはまだ「ゆる言語学ラジオ」の派生番組、という意識でしかなかった。
「音楽」だから見に行っただけなのに
父方の祖母はピアノの先生。
父、母はともにフルートを吹いていた経験がある。
私は当時、ピアノを習っていた。
そんな音楽と切っても切り離せない環境で過ごしていた私が、「ゆる音楽学ラジオ」を開くのは当然のことだった。
動画を発見。開く。
なんか知らないジングル。かっこいいロゴ。
そして見慣れたスタジオ…いや堀元宅には、いつもの2人ではなく、なんかかわいい人が2人、ちょこんと座っていた。そして、「〜ねぇ😊」と超絶穏やかでのほほんとした空気を醸し出しながら喋っていた。
第1回の視聴を終えた。
ゆる民俗学ラジオもすぐに見た。
どうしようもなく、この2人の虜になっていた。
おもしろい。かわいい。かわいい。おもしろい。
ネタ選びのセンス。言葉遣い。そして、1回目とは思えないほど「自分たちのもの」になっているこの空気感。
……なんだ、これは……!!
そして「壁」になる
そこからは一瞬だった。
気がついたら、毎週金曜日と日曜日の夜8時を楽しみに待つ、立派な壁になっていた。
はじめてYouTubeのコメントを書いたし、はじめておたよりを送った。
そのファーストおたよりが読まれたのは雑談回のとき。しかも公開収録。ノリで送ったので、
「え!?あれ本当に読まれるの!?」
と異様にドキドキした。送ったの自分だよ??
いろいろと恥ずかしくてあの動画だけ見返していない。「叙述トリック」とおっしゃっていたのだけ覚えてる。
そして、去年の夏、ゆる学徒カフェを訪れた。
「カフェできたって言ってたけどどんなのかなぁ、ハニーレモネードおいしそうだな」くらいの軽い気持ちで行った。
その日はお盆の終わりごろ。開店すぐくらいに伺ったからか、思ったよりも人がいて、バイトらしき方が慌てていた。
その後の予定もなかったので、店内をうろついてファンアートを眺めたり古書を読んだりしながら、楽しくゆるゆると過ごした。
そしたら、あの鉄の扉が音を立てて開いた。
黒川店長が現れた。
もう本当に「クロカワテンチョ ガ アラワレタ !!」という感じ。動画で見ていた人が、推しが、いる…??
とりあえずファンアートに夢中なふりをして、目が合わないように頑張っていた。メタモン。
そんな努力?虚しく、母犬が声をかけた。
写真まで撮っていただけて、人柄の良さがにじみ出ていた。さらに「推し」になった。
帰り際に母犬が、私(こまこいぬ)が黒川さんの文章や台本を素敵だと思っていること、将来は文筆業かそれに関わる仕事に就きたいと思っていることを話した。母犬が。
黒川店長は、自分も本を出してみたいなどと考えている(意訳)などと話したあと、「いっしょにがんばりましょう」とまで言ってくださった。
イッショニガンバロウ…ダトッ…!?!?
アリガトウゴザイマス…と何度も言いながらゆる学徒カフェを出た。
ちなみにその日会話したのは
黒川店長に「背大きいね、いくつぐらいなの?」と尋ねられて
「ア…167cm、デス…」だけ。メタモン。
その年の秋。晴れて13歳になり、Twitterを始めた。
利用規約をちゃんと守りたい、という謎の感情が働いて、この日まで待っていた。
黒川さんにフォローされた日の
「あ、みつかった…みつかってしまった…ウレシイ…」
みたいな感情は忘れられない。
今
黒川店長との約束(といえるものかは分からないけど)を果たすべく、noteで文章の練習をはじめた。
Twitterでは、相変わらず「こんな大人いるんだ」というぐらい優しい大人、いや壁に囲まれながら日々を楽しく過ごしている。
こんな素敵な人達が集まるのも、パーソナリティのお二人を見れば納得できるだろう。
学生のうちに素敵な大人にたくさん出会えてよかった。本当によかった。
壁をはじめとして、いつも温かく見守ってくださる方々、本当にありがとうございます…。これからもよろしくお願いします。
こまこいぬが成人するその日まで、どうか見届けてくださいな。
そして実はこの記事の公開日、2024年12月23日は、ゆる学徒ラジオ系列の新番組誕生からちょうど2年。
つまりもう丸2年、ゆる民俗学・音楽学ラジオを推していることになる。
なんの気なしに入れたアドベントカレンダーがこんなめでたい日だとは思っていなかった。
これからも壁としての日々は続きます…。
というわけでここらへんで。
お祝いと、皆さんへの感謝の気持ちを込めて、このnoteの締めとします。
ありがとうございました。
∧_∧
(* ´ㅅ` *) ♡
/ つ(⌒⌒)
しー \/