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昭和の香りが残る名古屋の市場 八勝センターかしわやさんの物語
出張を終え、いつものように八勝センターの前を通ると、市場は跡形もなく消え去り、ただがらんとした空き地になっていた。
数年前までは、この場所には人々の温かいふれあいが生まれていた。店に入ると、必ず「おっ!にいちゃんかあ」と少ししゃがれた、どこか無邪気さを感じる高い声で迎えてくれた、かしわやさんの事を今でも思い出す。
今回は、名古屋市内の小売市場にひっそりと佇んでいたお店。55年続いた「かしわの松波」の物語をお伝えします。
減少が続く名古屋市内の小売市場
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2020年。僕は、本の取材で名古屋市の商店街を巡る機会があった。市内の商店街へ足を運ぶうちに、ふと、あるはずの場所にあるべき市場が無くなっている事に気がついた。
幼少の頃、お買い物といえば大型のショッピングモールやスーパーではなく、商店街や小売市場だった。藤編みのバスケットを提げた母と訪れた小売市場は、個性豊かなお店が軒を連ね、活気に溢れていた記憶が残っている。ご近所さんと立ち話をしたり、店から呼び声が響き渡る賑やかな市場。お肉屋さんでは、揚げたてのコロッケやハムカツを買ってもらい、熱々のうちに食べるのも楽しみのひとつだった。
買い物はもっぱらスーパーになり、商店街や市場と接する機会がほとんどなくなってしまった。名古屋市ではこのような公設、公認の市場は徐々に姿を消しているようで、気になって調べてみると令和元年の市の資料では22軒になっていた。『今見ておきたい』そんな気持ちもあり取材も兼ねて名古屋市内の市場を訪ね始めた。
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最近新しい店舗が入ったようだ
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この日は、個性的な市場が残っている瑞穂区を回る予定で、1日乗車券を買い、エビス大黒市場を訪ねたあと、地下鉄で瑞穂区の八勝センターに向かうことにした。ここにはお弁当を売っているお店があり、取材中は昼食の時間がずれ込む事も度々で、お弁当がある市場は好都合だったからだ。
昼食を食べに八勝センターへ
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地下鉄名城線で総合リハビリセンター駅へ向かう。この路線は2004年に環状化した新しい路線で、車が主な移動手段になっている僕にとっては、同じ市内に住んでいてもあまり馴染みのない線区だ。駅を出て山手グリーンロードを隣の瑞穂運動場東駅へ向かって歩いていくと、ちょうど両駅の中程に4階建て12戸の住宅を備えた八勝センタービルがあった。着いたのは14時を過ぎていただろうか。
グリーンの看板に大きく朱色の『公認 八勝センター』文字が誇らしく掲げられていたものの、居住部分に通じるガラス張りの扉は閉鎖されており、シャターは半開き、ガラス越しに見える市場入り口付近は、廃墟の様に荒れ果てた様子で『弁当有ります かしわや』の看板がなければ、なかなか入っていく事はできないかも知れない。
八勝センターかしわの松波との出会い
ガラガラガラ。少し隙間の空いた自動ドアを手で開け、両脇に連なる店舗跡を見ながら、小豆色のタイルが敷き詰められた通路を進んでいく。天井にはカラフルなシダレが連なり、子供の頃、日常的に目にしていた光景そのものだ。
通路の一番奥、右手側にかしわやさんがあり、通路を挟んだ向かいには、段ボール箱の上に調味料などが陳列されていた。その調味料等が並んでいる奥の空間には4人がけのテーブルと椅子が置かれて休憩所に使われているようだった。
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かしわやさんのショーケースには鶏肉や豆腐、チャーシューなどが並び、右手にレジと雑貨が並んでいる。レジまでが元々のかしわやさんで、雑貨が並んでいる場所は空き店舗のスペースを使っているようだった。そしてショーケース左手には、子供の頃に熱々のコロッケやハムカツを注文していたお店を再現したようなお惣菜やお弁当のコーナーがあった。
『こんにちは〜』声を掛け、肩から掛けていたカメラバッグをその椅子に置くと、三角巾を被ったお母さんと、お店の奥で何か作っていたお父さんが「はい、いらっしゃい」と迎えてくれた。
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お惣菜コーナーには、小分けにされた玉子焼き、煮物、お漬物がぎっしりと並んでいる。よくみると、いつもの食事にもう一品あると良さそうな、家庭的なものばかりだ。お弁当は揚げ物弁当と煮物弁当の2種類。揚げ物弁当を注文すると「ご飯は白いご飯か混ぜご飯どっちがいい?」と聞かれたので迷わず混ぜご飯をお願いしたが、手渡されるとずっしりとした重さがあり500円とは思えないほど、ボリューム満点で品数も豊富だった。
お弁当を持ってテーブルに座っていると、お味噌汁とお茶を出していただき「よかったら食べていって」と焼き上がったばかりの玉子焼きを小皿に乗せて持ってきてくれたのだった。お弁当はしっかり目の味付けで、卵焼きは甘味が効いた食が進むものだった。
食後はそのまま瑞穂通へ出て、瑞穂通三丁目市場、クック瑞穂(共に2023八勝センターとほぼ同時期に閉店)、津賀田市場を巡る予定だった。だが、休憩所の椅子に腰掛け、蛍光灯と入り口からほんのりと入ってくる光に照らされた市場の様子を眺めていると、とても心地よく移動する気持ちはなくなってしまっていた。
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『少し向こう側を通ってきますね』と声をかけ、灯りがない暗がりの通路を左に回り込んでいくと、かつて休憩に使われていたであろうスペース、お惣菜屋さんの跡、かつての店主たちが残していったものが薄っすらと見えた。令和を迎えた名古屋に存在する空間とは思えず、何度も行き来してその状態を確かめた。
市場を巡るつもりでここに来たことをお母さんに伝えると「ここは耐震の関係で取り壊しが決まって、住んでいた人たちの立ち退きも終わり、今年度中にはここを出ていく予定なんですよ」お店はお花屋さんが残っていたが、4年ほど前からかしわやさん一軒のみになったそうだ。そう聞いて、名古屋の取材中はなるべくここで食事をしようと思った。
夕方に向け注文の電話などが鳴り、少し忙しい時間帯に差し掛かってきたようだった。「夜のお弁当の注文が入るから作っているの」とお母さんが煮物を作っていたので、お店の脇から厨房に入りその様子に少しだけカメラを向けた。
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「もうすぐできあがるからちょっと食べていって」と、少し経ってから小皿に取り分けてテーブルに出してくれたのだった。
お父さんは玉子焼きを作ったり、惣菜や野菜を袋に詰めて「ちょっと配達にいってくるよ」と少し曲がった腰で台車を押して出ていった。お得意先やお買い物に来れない人のために、注文のあった商品を届けている。
のんびりした後、煮物、玉子焼き、漬物を目移りしながら選ぶと、あれもこれもと袋が一杯になるぐらいお惣菜のパックを袋に詰めて渡してくれた。
『ええー!お弁当を食べにきただけなのにこんなにして頂いたら申し訳ないですよ!』
「今日は、あまりそうだからよかったら持って帰って」
と手渡してくれた。
「いつもは夕方頃来ると常連さんたちがそこでお茶会やって賑やかだから」
『では、またその時間帯にゆっくりお邪魔させていただきます』
お父さんが配達から帰ってくるのを待って、ビニール袋にいっぱいに詰まったお惣菜を持ちお店を後にした。
近代的な駅から地下鉄に乗って帰宅する間、先程まで過ごした八勝センターとの違いのせいか、ずっとふわふわとした感覚に包まれながら家路についた。帰宅後、最終日にお二人の写真を撮っている様子がぼんやりと頭に浮かんできた。
再びかしわやさんへ
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1週間ほど経って、前回のお礼を兼ねて再び八勝センターへ向かった。
すでに常連さん達が、テーブルを囲んで団欒していた。
『こんにちは!』
まずはお弁当を頼みテーブルへ。常連さん達とは初めて顔を合わすが、お母さんから僕の話を聞いていたようで、ちょっとした挨拶を交わして自然と輪の中に入っていけた。
常連さんの中に、八勝センターのお隣にお店を構えている理容室ペット(八勝センター閉店の直前に閉店)のお母さんもいた。
心に残った常連さんとのやり取り
『あ!ペットさんですか?どう見ても人用のお店にしか見えないので不思議だなと思って。ペットもカットしているの?』
「昔ね、お兄さんのお店がホモという名前にして床屋を始めて。そっちじゃなくてホモのホモね」きっと常連さん達は何度も聞いているのだろうが、ペットさんの説明を聞きながらくすくすと笑っている。
「当時はそういうこと大っぴらにできなかったから、そういう方達から「専門で切ってもらえる」と勘違いされて、あちこちから問い合わせがあって、可愛い名前にしなきゃと思ってペットにしたの。そうしたら動物のカットもしてくれるのかと問い合わせが多くって」
常連さん達の笑い声は、少しくすんだ八勝センターに温かい光を灯した。
「すぐ近所だからふらっとお買い物にきて、財布を持っていなかったという事もしょっちゅう」商売の合間をみて2度3度と買い物に来るペットさんにとってリビングのようなものだったのだろう。
「私たちにとってここは本当に貴重。ここが無くなったら生きていけないぐらい。ここでお買い物をして食べさせてきたのだから、子供も孫もみんな八勝センターで育ったようなもの」
八勝センターでは、誰かが子供の事を見ていてくれたから安心してお買い物ができた。特にかしわやさんには同じ年頃の子供がいたからか、常連さん達は子供の面倒をしっかり見てもらっていたようだ。
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「勉強もしていないから完全な自己流だからね」
この玉子焼きは僕の大好物だ
常連さん達と話し込んでいる間、お父さんは黙々とお惣菜の仕込みを続け、お母さんは時たま会話に入りながら、お弁当やお惣菜を買いに来たお客さんや電話の対応、配達の準備などを続けていた。
「これはまだあるはずでしょう?だから今日は買わなくていいですよ」
「そうだったっけ?」
時にはお客さんとこんなやりとりをしている場面に遭遇する。
「物忘れがある人も結構いらっしゃって、何回も同じものを買っていくから。スーパーとかにいって大丈夫かなと心配になるの」
高齢のお客さんの中には、同じものを繰り返し買っていく人がいて、それ以来気をつけるようにしているそうだ。
買い物に来れなくなった常連さんには配達もしている。
「どうしてもお客さん達も歳をとっていくからね。私たちも70を超えて十分高齢者だけど」
年齢を感じさせないテキパキとした仕事ぶりだったが、お客さんも、お店も確実に高齢化が進んでいるのだ。
暫くして名古屋市内を巡る仕事は終わったが、昼ごはんを食べに行くためだけ、常連さん達とお喋りしに、出張にいく前にホテルで食べるご飯を買いに、折に触れて八勝センターに通った。
そんなある日「大家さんから、好きなだけ続けていいよって言われたんですよ」とお母さんから聞いて、かしわやさんが続くとほっとした。
かしわやさんの歴史
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常連さんの話によると、八勝センターができるまでこの辺りの人達は、2キロほど離れた瑞穂通りや新瑞橋の方までお買い物にでていたそうだ。
八勝センターは、S43年にオープン。最大17軒のお店が入っていた。
お父さんは、技術を身につけようと冷蔵庫の会社に就職したが、配送の仕事ばかりで機会に恵まれず、家族が経営していた鶏肉の工場に転職した。そこでお母さんと出会い「鶏肉の事は覚えたからこの娘と結婚する」と社長にいって、24歳の時に商売を始めることを決意したそうだ。
お店を探し始めたものの、当時の物件は天井の梁が剥き出しになったような建物がまだまだ多く、空調を完備した近代的な八勝センターにオープンと同時に入った。
その頃の給料は、月2~3万円。だいたい2~30万円準備すればお店に入ることができたそうだが、八勝センタービルに入るには倍以上の80万円が必要だった。お父さんは、社長に頼んでお金を借り商売を始めたそうだ。
その後、組合でお金を出し合い自動ドア化した事からも、八勝センターがいかに賑わったかが想像できる。
25年ほど前、うどん屋さんやお惣菜やさんがやめてしまい、ここには食べるものがないからと、お客さんの要望もありお弁当を作るようになった。
お雛さま、お彼岸、クリスマス等に合わせて、注文でちらし寿司を作ったりぼた餅を作ったりする事もあり、季節ごとの行事も楽しんできた。
以来、中川区からここまで通い、朝6時前からお父さんは仕込みを始めている。
年々鶏肉の売上は減少していったが、病院の職員さんなどまとまったお客さんもおり、お弁当やお惣菜があったので今まで続けてこれた。
お二人を見ているとずっと何かしら作っている印象だ。
八勝センターとの別れ
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一旦は立ち退きの話もなくなり、まだまだ先のことだと思っていたが、出張前にお弁当を買いに尋ねてみると「もう来年はやらなかも」とお母さんに伝えられた。お父さんは来年80歳を迎え、腰の調子もあり無理をさせたくない様子だ。
「常連さん達にはやめないように言われているけど」
『そうですよね・・・』
まだちゃんと決まっていない様子だったので、それ以上、閉店の話題をせずお弁当を持って出掛けた。
その後、都合がつかずなかなか八勝センターに行く時間が取れなかったが、久しぶりに自由な時間ができた。
なんとなく『八勝センターに行かなくては』という気持ちになって訪ねてみると「もう来週お店を閉じることになったよ」と伝えられた。
驚きもあったが、今日、ここに来ることができた巡り合わせに感謝する気持ちの方が強かった。この日、もし来ていなかったら、二度とかしわやさんと会うこともできなかったかも知れない。カレンダーを確認してみると幸い閉店の前日と当日は都合がつきそうだった。
ショーケースには、3月25日に閉店に向けて挨拶が書かれた張り紙がしてあった。
「みんな、張り紙に『もとい』と書くようにって。そう書けばまだ間に合うって言っていくの」と笑って話してくれた。
帰り際「始めるよりやめる時の方が難しいわ」とお母さんが静かに言った。
翌週、落ち着いた時間帯を見計らって少し遅めに八勝センターに向かった。
気がつかなかったが、お隣のペットさんも最近お店を閉じたようだ。
いつも並んでいた色とりどりのお惣菜はほとんどなく、お弁当も売り切れてしまっていたようだった。
「今日は、作っても作っても追いつかないぐらい売れてしまって」お母さんは、申し訳なさそうにそういうと、残った混ぜご飯を茶碗に盛りテーブルに出してくれた。
お父さんは僕に気がつくと「おっ!にいちゃんきてくれたか」と玉子焼きを作りながら声をかけてくれた。
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娘さんも買い出しなどにでかけ、忙しいかしわやさんを手伝っている。野菜なども売り切れてしまったので、そういった足りないものはスーパーで買ってきて、お客さんの要望に応えようとしていた。
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常連さんといつもの席に座っていると、「明日は仕事で来れないから」とお別れの挨拶に訪ねてくる人もいた。
「子供の頃ここへくると、かしわやさんが僕たちに必ず声をかけてくれてそれがとっても嬉しかったです」
挨拶をしにきたお客さんは、ペットさんとも顔見知りのようで色々と思い出話をしている。
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最終日の明日は、巻き寿司を作るそうだ。
僕も注文をしたいが、忙しいのもわかっているので悩んでいたら「頼んだらいいって」と常連さんに背中を押してもらい注文を入れておいた。
明日もとても忙しそうなので、お昼過ぎに訪ねることを伝えると「お弁当はもう残っていないかも知れないけど」と気にしてくださっていたが『巻き寿司も注文させてもらったので僕の数は気にしないでください』と伝えて帰った。
かしわやさんの最後の日
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八勝センターを訪ねると休憩所は、巻き寿司を作るための場所になっており、通路にはお客さんから届けられたメッセージやお花、お酒などが飾られていた。
お母さんと、かつて八勝センターで商売をしていた"漬物屋さん"が巻き寿司を作っている。かしわやさんの家族の方も揃って手伝いに来ていたので、店内はとても明るい雰囲気だった。
お弁当はなかったが、お父さんが僕のために残しておいてくれた骨付きの鶏もも肉とご飯を食べて行くようにと出してくれた。いつもの席は使えないので、ダンボールを借り空き店舗のスペースでご馳走になった。
ご飯を食べ終わり、息子さんに八勝センターの中を案内してもらった。
「僕たちが子供の頃、幼稚園や学校に送ってもらって終わったらバスでここまできて。ここにも子供がたくさんいたから、皆んなで遊んでいましたね。それはそれで楽しかったです」
正面の一番目立つ場所は薬屋さん、乾物屋さん、お花屋さん・・・
かしわやさんのお隣は手芸屋さんで、休憩所に使っていた場所は八百屋さんだった。その他、お寿司やさんに、魚屋さんに豆腐屋さん。角にあったうどん屋さんは、早い段階で八勝センターを出て守山の方で香流庵というお店をやっているそうで、八勝センターの話をすればわかるかも知れないとのこと。いっときは、お惣菜屋さんがゲームコーナーを管理していたこともあったそうだ。
あっという間に回り切ってしまったが、ひと通りなんでも揃っていたようで、最終日という事もあり、いつもより多くの人が訪れていたせいか、お店が無くなったまま時が経過した薄暗い通路側も、たくさんの人が行き交った様子が目に浮かんだ。
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夕方、いつものように常連さん達が集まってきた。
「明日は日曜日だから普段からお休みで、もうこれからはここにきても閉まっているからね」
賑やかな店内で、お母さんはが物忘れをするお客さんに向かって丁寧に説明する場面もあった。
「明日から行く場所がないから、ふらふら歩くしかないわ」「これからはペットさんに集まればいいね」
『じゃあ、僕もここを通ったらお菓子持ってペットさんを訪ねればいいの?』
「いいよ。きてくれたら開けるから」「お兄ちゃん、ペットさんは普通のお家になったからお菓子は大事!」
お母さんは、閉店後もこちらに用事はあるようで、八勝センターを通じたお付き合いはずっと残っていきそうな様子だった。
注文の巻き寿司も全部行き渡り、常連さん達もお店を出ていくと閉店の時間がきた。
八勝センターは水を打ったような静けさに包まれた。
特に写真を撮るとは伝えていなかったが、そろそろ写真を撮ろうかと自然にそういう流れになった。
まずは閉店を見守った家族の皆さんと。
そして、初めて訪れた日に思い浮かんだ通り、かしわやさんのお二人を撮った。
暫くして、出張帰りに八勝センターの通りを車で走ったが、建物があった場所は、まるでそこに何かがあったことすら忘れさせるように、ぽっかりと空いていた。
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あとがき 名古屋市内の市場を巡ってみて
昨今、「買い物難民」という言葉が頻繁に耳に入りますが、それはもはや地方だけの問題ではなく、身近なところでも起こりつつあります。八勝センターの閉店で、日々の買い物に困る人もいることでしょう。都市部を離れると、個人店が地域コミュニティの中心になっている光景をよく見かけます。行政や大規模な組織では手が届かない部分で、個人店が果たす役割は大きいと言えるのではないでしょうか。
こうした店が減ることで、人々はコミュニケーションの場を失い、孤独感を深めるかもしれません。結果として、外出の機会が減り、地域全体の活力が低下し、高齢化や過疎化の問題をさらに深刻化させる可能性があります。
身近なところを見渡すと、品揃えが豊富で合理化された大規模なチェーン店が増え、小さなお店は数を減らしています。私も日用品は便利なチェーン店やネットで購入します。でも、利益を追求しつづけ、無駄を省いていった先にどのような光景が広がっているのか、そこに豊さを感じられる景色があるのか疑問に感じることも増えてきました。
あれ以来、市場を訪ねる機会がほとんどなくなってしまいましたが、また、元気な市場を訪ねてみたいと思います。
最後になりましたが、八勝センターの皆さまにお礼申し上げます。
ありがとうございました。
「最後の記念写真」では、全国各地の大切な場所を記録し続けています。他の取材記事もご覧いただけます。▶ [目次ページはこちら]