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落語(21)王子狐の行列(前編)
◎かつて毎年大みそかの夜になると、武蔵(東京)、相模(神奈川)、上野(群馬)、下野(栃木)、常陸(茨城)、安房(千葉県南部)、上総(千葉県中部)、下総(千葉県北部)の関東八カ国の狐が王子(東京都北区)の榎の古木のもとに集まり、装束を整えて近くの稲荷神社まで参詣したということです。今回はそんな「装束榎の狐火」にまつわるお話です。さて、どうやら今年も関東各地から狐たちが集まってきたようで…。
元締「(数える)ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな…。うむ、全員揃ったようだな。えー、諸君。本日は遠路はるばる、大みそか恒例の『狐の行列参り』への参加、誠にご苦労である。わしは毎年この一大行事の総元締めを任されておる『武蔵のどん兵衛』と申す。えー、例年であれば関八州(関東全域)より千匹あまりもの狐が集まるところではあるが、今年はコレラが流行しているということもあり、くれぐれも密を避けたいという理由と、あとは何と言ってもあまり多くの狐に来られると登場人物が増えて話がややこしくなり演じ分けが大変になるということで、今年は各州を代表して一匹ずつ、合計八匹のみで王子稲荷を参拝し、来年の豊作と商売繁昌を願おうという趣向と相なった。よって今晩ここに集まっている八匹は、それぞれ郷土の狐たちの願いを一心に背負っているということになる。従って各自責任重大につき、くれぐれも粗相のないよう願いたい。では早速顔見せとして、これから参詣を共にする者同士、挨拶代わりにそれぞれ自己紹介をしてもらおうか。うーん、そうだな…まずは上州、お前からいこうか」
上州「へぇ。(手のひらを差し出し)おひけなすって。(じろりと見回し)早速のお控え有難うござんす。手前、生国と発しますは関東です。関東関東申しましても関東いささか広うござんす。手前、関東上州上毛は西へ行って浅間山、東へ行って赤城の山の吹き下ろし伊勢崎の生まれでござんす。かかあ天下とからっ風、鶴舞う形の大上州。義理と人情を秤にかけて、義理が重たい仁義の墓場。刺せば監獄刺されば地獄、背中で吠えます唐獅子牡丹。ドスの大雨かいくぐり雲煙万里の血煙を、風狂無頼のはぐれ鳥です。手前、姓はコン藤、名はコン吉。人呼んで『国定のコン』と発します。以後、見苦しき面体お見知りおかれまして、行く末万端お引き回しの程おたの申します。(膝立ちになり腕を組み)赤城の山も今宵を限りぃ〜、可愛い子分の手前ぇ達ともぉ〜、別れ別れになるぅ〜門出よ」
元締「別れ別れにならないよ。これから皆で一緒に行くんだよ! 第一なんでお前が親分になってんだ。頭は俺だろ! もう、いいよいいよ。長いんだよお前は! ったく上州は国定忠治みてぇな奴ばっかりいやがるんだな。…はい、じゃあ次。下野、お前だ」
下野「へぇ。手前、生国は野州下野日光です。東照宮に産湯をつかい、姓名の儀と発しまするはコン野コン郎でございます。波高鳴る金波銀波の渡良瀬川。冷たい北風ものともせず、糞にまみれた浮世の風にしょっぱい血の雨飲み干せば、生きるか死ぬかの命が吠える法華経法華経と命が吠…」
元締「いいんだよ、お前まで真似しなくって! ったく、任侠モノは見るとすぐ影響受けるんだから…。こら、上州! 肩で風切って歩くなー! そして野州と親子の盃を交わすなー! …はぁ、駄目だこりゃ。もういい、この二人は。放っとこう。…次、常陸。ああ、言っとくが仁義は切らなくていいぞ。普通にやっとくれよ」
常陸「へ、合点で。あたしは納豆の名産地・常陸から参りました。昔から縦の糸はあなた、横の糸はわたし、納豆の糸は常陸と言うくらいで…」
元締「おい、誰がそんなこと言ったい」
常陸「今、あたしが言いました。つまり何が言いたいかっていうと、普段から納豆のネバネバを食べていれば皆さんもきっと粘り強く生きられるでしょうってことで…。今日はあのぅ、お土産に郷土名産の…」
元締「納豆かい?」
常陸「いえいえ、提灯を持ってきました。え? なぜ提灯かって? いやぁ、自慢するわけじゃありませんが、ヒタチの照明というのはとにかく品質がいいので是非皆さんに使っていただきたいと思いまして。本日は通常価格二百文のところを、年末一斉在庫処分につき半額の百文でご提供させていただきます。さらに今なら大晦日限定特典としましてローソクと火打石もお付け致します」
元締「こら、商売をすな商売を!…て、お前らも買うなー! ったく、いいんだよ。もう提灯はこちらで用意してあるんだから。毎年浜松町にある馴染みの提灯屋で借りてきてるんだ」
常陸「ちっ。東芝のまわし者め…」
元締「何だとコノヤロー!」
常陸「いえ、何でもないです」
元締「はぁ、まったくどうも…。今年の参加者はロクな奴がいねぇなぁ…。よし、じゃあ次。相模の番だ」
相模「へ。本日は年に一度の神事に携われるということで、私うれしさのあまり箱根から江戸まで走ってまいりましたんで」
元締「えぇ! 走ってきたのかい?」
相模「ええ。ちょうど今日の昼に箱根を発ちまして、あれから石畳を下りまして甘酒茶屋を横目に追込坂から猿滑坂、橿木坂から西海子坂と越えまして、そのころ東海道をまっすぐに三枚橋を渡りましたら右に曲がりまして、小田原小磯大磯がしやと松並木をまっすぐ行きまして、馬入橋を渡りまして茅ヶ崎へ入りまして、藤沢橋から戸塚へ入りまして、権太坂から神奈川川崎へと出まして、六郷の渡しでもって弁当食ってひと休み。再び走りだしまして、蒲田大森品川から海沿いの道を一気に駆け抜けまして、そのうち日本橋を渡りまして、あれから日光御成道をまっすぐと、駒込で中山道へ入りまして、滝野川から飛鳥山へと出まして真っ暗な田んぼ道を蹴つまづいたりすっ転んだりしながら、ようやくこの榎までたどり着いたのがついさっきで」
元締「…随分と走ったねぇ。疲れたろ」
相模「ええ。足も疲れましたが舌も疲れました…」
元締「そりゃそうだ、そんだけ喋れば。もういいや。お前はもう休んでろ。お参りももう行かなくていい」
相模「いやいや、それじゃ元も子もありませんで…」
元締「ああ、そうか。まあ、とにかくお前の自己紹介はもういいから。…さあ、次は房総半島…なんだ全員女か。よし、じゃあまずは安房の番だ」
安房「どうも皆さま、はじめまして。只今ご紹介にあずかりました安房代表の…安房代表とは申しましても、もともと私、生まれは四国の阿波でして。ご縁あって三年前に急に結婚が決まりましたので、四国の阿波から房総の安房へと嫁いできたのであります」
元締「これまた随分と遠くから来たもんだなぁ。急に阿波から安房じゃ焦ったろ」
安房「はい、あわ食いました。おまけに四国の阿波を出る時に突然の天気雨で…」
元締「阿波照ったと…」
安房「はい。『狐の嫁入り』とはよく言ったものです。もう花嫁衣装もぐっしょり。嫁ぐ前から濡れてしまう、ふしだらな女です」
元締「何を言ってるんだ。もういい、次。次は上総だ」
上総「只今ご紹介にあずかりました上総代表の…上総代表とは申しましても元々は四国の生まれで…」
元締「ちょちょちょ、ちょっと待て。お前さんも四国の出身なのかい?」
上総「はい、瀬戸の花嫁です。(歌う)瀬戸は〜、日暮れて〜、夕波小波〜♪」
元締「いや、歌わんでいいから!…するってぇと何かい? お前さんも四国から房総半島まで嫁いできたってぇのかい?」
上総「はい、黒潮に乗ってきました。おまけに嫁入りの日、突然の天気雨で花嫁衣装がぐっしょり。嫁入り前から濡れてしまうようなはしたない…」
元締「もういいから、その話は! しかしまぁ、奇遇なこともあるもんだな。二匹の女狐が四国から房総に嫁いでくるとは。うーむ…じゃあ次、下総」
下総「はい。私、下総代表の…下総代表とは申しましても元々は四国の…」
元締「お前もか! 何なんだお前たちは! 一体顔見知りか何かか?」
安房「はい」
上総「私たちは」
下総「姉妹です」
元締「やっぱりそうか。どうりで話が似通ってると思ったんだ。…しかし、それにしても偶然だなぁ。嫁ぎ先ってのはそれぞれがそれぞれ、赤の他人の家なんだろ?」
安房「はい」
上総「みんな」
下総「バラバラです」
元締「それがそれぞれ国は違えど房総半島へと収まり、そして大みそかにこうして各州の代表として選ばれ一堂に会する。うーむ…まさにお稲荷様のお力が働いているとしか思えぬ…うむ。やはり信仰とは尊いものだな。よし、諸君! 待たせたな! ではこれより王子稲荷神社へと参り、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、宇気母智之神(うけもちのかみ)、和久産巣日神(わくむすびのかみ)のご祭神に参拝致す。一同の者、出発ぅ進行ー!」
…てなわけで狐の一同、これより装束榎から王子稲荷神社までの道のりを行列となりましてとぼとぼとぼとぼと小一時間かけて歩いていくわけですが、この続きはまた次回ということで…。(後編へつづく)