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落語(25)辻醫者
◎江戸時代の医者というのは、どうも現代と違って資格が不要なため誰でもなれたようです。すると必然的に「そろそろ働かないと飯が食えないから」「特にやりたいこともないからとりあえず」医者になるなんて輩も出てくるわけでして。中には「髷を結うのが面倒になったから」なんて理由で医者になる者まであったとか…(当時、医者は剃髪していた)。と、なれば当然(?)、道端で片手間に開業しちゃう辻医者なんてのもまた出てくるわけで…。
子供「すいませーん。…あの、おじさん、もしかしてお医者さんですか?」
医者「ああ、いかにもおじさんはお医者さんだよ。どうしたい、坊や」
子供「あの、うちの旦那がすぐそこの杉田玄米先生の所で薬をもらってこいって言うのでお使いで来たんですけど、今行ったら杉田先生の所すごい混んでて半刻(一時間)くらい待つって言うんで、そんなに待つんじゃ退屈だなぁと思ってちょっと表をブラブラしてたら、おじさんがちょうどここでゴザ敷いて看板出してお医者さんごっこみたいなことしてたからちょっと遊んでもらおうと思って来たの」
医者「ああ、杉田玄米先生ねぇ。あそこは混むんだよなぁ。おじさんも長いことあそこに掛かってたんだけど、いつ行っても待たされるから、もうこんなんだったら自分で医者になって自分で診た方がいいやと思って医者になったんだ。だから家はないものの、一応これでも立派なお医者なんだよ。で、坊や。お前さん所の旦那は一体何の薬をもらってこいって言うんだい?」
子供「えーとね、たしか反魂丹ていう薬」
医者「ああ、反魂丹か。うーん、あいにくだが今ちょうど反魂丹は切らしててな。じゃあ、そうだな…(紙に書く仕草)反魂丹を下さい、と…これな、今おじさんが処方せんを書いてあげたから、これ持って杉田先生の所へ行きなさい」
子供「うん、ありがとう。じゃあね」
医者「おい、ちょっとちょっと。処方せんだってタダじゃねぇんだ。ちゃんとお金置いていきなさい」
子供「え? あ、はい。いくらですか?」
医者「うーん、そうだな…四文銭を三枚も置いてってもらおうか」
子供「はーい。ひー、ふー、みー…はい、どうぞ」
医者「おお、ありがとう。じゃあな。…へへへ、これでひとまずかけつけ三杯分は稼いだな。チョロいもんだぜ。…あの小僧、あんな紙切れ持ってったって何の役にもたちゃしねぇのにな。また一から並び直しだ。かわいそうに…」
職人「おう、ごめんよ。あんた医者かい?」
医者「うむ。いかにも私は医者だが、どうかしましたか?」
職人「いやぁ夕べよぉ、そこで火事があったろ? で、俺はすぐに見に行ったんだ。そしたらよぉ、俺が一番前で見てるのに、なんかいきなり知らねぇ奴が割り込んできてよぉ、俺の前で見やがるじゃねぇか。だから俺カチンときてよぉ、『やい、こんちくしょう! 俺が一番前で見てんじゃねぇか! 邪魔するなよ!』って言ったらよぉ、そいつが『なにを? お前はここにビタ一文でも金払って見てるのかい? それともお前はここの地主かい? もしも痔主だってぇんなら今みんなの前でケツの穴見せて証明してもおうじゃねぇか』なんて訳の分かんねぇこと言いやがるからよ、俺はそいつの横っ面パァンと張ってやったんだ。そっからはもう周りの野次馬も巻き込んでの大喧嘩よ。それからウチぃ帰って床につくまでは興奮してるから何ともなかったけどよ、朝起きてみたら体中あちこち痛くてよ。もう今日は仕事も休んじゃったい。おう、そんなわけだ。何とかしてくれや」
医者「はあ、それはお気の毒に。あ、いい薬がありますよ。さっきここに来る途中で摘んできたんです…はい、これ」
職人「うん? なんでぇ。これ、ただのタンポポじゃねぇか」
医者「うん。だから火事と喧嘩の怪我に効く薬が欲しいんでしょ? だから火事と喧嘩は江戸の花って」
職人「へ、くだらねぇこと言ってやがら」
医者「くだらないとは聞き捨てならんね。 タンポポはれっきとした生薬ですぞ」
職人「何だか知らねぇけどよ、タンポポなんかてめぇでいつでも採れらぁ。せっかくなんだから、もっと素人じゃ手に入らねぇような薬を出してくれよ。頼むよ」
医者「うーむ、仕方がない。それではとっておきのアレを出すしかないか。秘薬中の秘薬。先祖代々、子々孫々、奥義継承、門外不出のあの名薬を」
職人「な、何だい…。いってぇぜんてぇ、どんな凄げぇ薬を出してくれるてんだい」
医者「その名も…」
職人「その名も?」
医者「…葛根湯」
職人「なんでぇ。ここまで引っ張っといてまさかの葛根湯かい。おいおい、冗談じゃねぇや。期待して損したぜ」
医者「あなた葛根湯をみくびってはいけませんよ。あれこそ真の万能薬。今夜これを飲んで寝れば、明日にはもう次の喧嘩をしていることでしょう。よござんす、よござんす、おおいに喧嘩して下さい。じゃあ、今処方せんを書くから…(書く)葛根湯を下さい、と…じゃあ、これを持って、この先の杉田先生の所へ行きなさい。はい、じゃあ診察料は四十文」
職人「なんでぇ、結局ここに葛根湯ねぇのかよ! 杉田先生の所へ行きなさいだぁ? 俺は元々杉田先生の所へ行くつもりだったんでぇ! それがちょうど手前であんたが医者やってたから覗いてやったんじゃねぇか! ったく、こんなことならハナっから杉田先生ん所へ行きゃよかったぜ! 時間を損した。とんでもねぇ藪だ。あばよ!」
医者「…あーあ、怒らしちゃった。あんなに怒りっぽくちゃ、そりゃ喧嘩も絶えねぇわな。何の職人だろうな。茹でダコみてぇに真っ赤になってたから凧職人か。喧嘩凧ってやつだな、ハハ」
熊「ごめんよ。ここ医者かい? ちょっと診てくれや」
医者「あ、はいはい。どうされました?…ああ、なんだ熊さんか」
熊「お? なんだ八つぁんかい? 何やってんだ、こんな所で」
医者「何やってんだって見て分かんねぇかい? 医者やってんだよ。…あ、そうか。目が悪くて見えねぇのか。じゃあ、いい薬があるよ、ほら」
熊「なんでぇ、これ。ただの雑草じゃねぇか」
医者「目には青葉だ」
熊「おいおい、これで銭取ってんのかい? これじゃまるで子供のお医者ごっこと変わんねぇじゃねぇか」
医者「何をぅ? やい、甘く見てもらっちゃ困るぜ。こちとら昨日今日始めた素人とは訳が違うんでぃ」
熊「じゃ、いつから始めたんだ」
医者「おとついからだ」
熊「大して変わんねぇじゃねぇか! ところでどうでもいいけどよぉ、一体どうしたい、そのツルツル頭は。全部抜けちゃったのかい?」
医者「まさか。医者やるからってんで、この為にわざわざ剃ったんじゃねぇか。こちとら伊達や酔狂でやってんじゃねぇんだ」
熊「ほう。そのわりにはこの看板、字ぃ間違ってるぜ? 辻醫者の醫の字が醤油の醤になってら」
医者「あら、しょうだった?」
熊「くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ。しかも、なんだこの『辻醫者 山井改善』てのは」
医者「そりゃ俺の医者としての名前だ。だから、ここに座ってる時はもう長屋の八五郎じゃねぇんだ。きちんと長崎に留学してシューベルトの元でもって修行を積んだ名医・山井改善なんだ。だから、熊さんも『ハつぁん』なんて気安く呼ばないでもらいたい。『山井先生』と呼びたまえ」
熊「へっ、シューベルトだかシーボルトだか知らねぇけどよ、名医がドクダミだのタンポポだのアロエだのって、どこにでも生えてる雑草並べて金取って患者に出すのかよ。そこにあるミカンの皮なんてなんだ。腐ってんじゃねぇかよ」
医者「こらこら、君ぃ。ミカンの皮は陳皮という立派な生薬だよ?…それが腐ったら陳腐というんだ」
熊「何わけの分かんねぇこと言ってんだ。大体そこにある草なんてお前、犬が食うやつじゃねぇか?」
医者「よく分かったね。犬はこれを食べて本能的に胸焼けや消化不良を解消してるんだ」
熊「そんなもんばかり人間に食わせて万が万一、体を壊しちゃったらどうするんだ」
医者「そりゃ、医者の本望だな。だって病人がいなくなっちゃったら医者の仕事はなくなっちゃうもん」
熊「滅茶苦茶なこと言ってやがら…。これじゃ命がいくつあっても足らんわ」
客1「おい、コラ辻医者! お前ん所でおととい処方されたあの『免疫上ガリクス』とかいうキノコ! あれ食ったら下痢が止まんなくなって『お腹下リクス』になったじゃねぇか! どうしてくれるんだ!」
客2「ちょいと辻医者さん! おととい先生が息子のすり傷に唾つけて『痛いの痛いの飛んでけー』ってやったせいで、あの後息子の足が化膿しちゃったじゃないの! 一体どうしてくれるのさ!」
客3「やい、辻医者! 昨日お前がめまいに効くからってんで処方した蜂の巣を持って帰ったら、中の蜂がまだ生きてやがってあちこち刺されちまったじゃねぇか! どうしてくれんでぃ!」
客4「おい、辻医者! お前が『柿が赤くなれば医者が青くなる。柿は体にいいから食べなさい』とか言うから、帰りに他人んちの柿を盗んだら怒られたじゃねぇか! どうしてくれるんだ!」
客5「ちょいと辻先生! 先生が『一日一個の林檎は医者を遠ざける。林檎は体にいいから毎日食べなさい』って言うから毎日八百屋で林檎盗んでたら遂にバレちゃったじゃないの! どうしてくれんのさ!」
客1「この藪医者!」
客2「このたけのこ医者!」
客3「嘘つき!」
客4「下手くそ!」
客5「人殺し!」
熊「…あららら、こりゃ凄げぇな。こりゃ相当恨み買ってるなぁ…ん? おいおい、八つぁん、待てよ。どこ行くんだ?」
医者「いやぁ、なんか急に胃が痛くなってきちゃったんで、ちょっくら杉田先生の所へ行って診てもらうわ」