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落語(54)帝釈さまと百姓夫婦

◎秋と言えば紅葉、読書、スポーツ、芸術、食欲…と色々ありますが、その中の一つに『月見』というものがございます。秋の夜長、涼しい風に吹かれながら、縁側でお月見なんて出来れば最高に贅沢なひとときでしょう。さて、ここにおります百姓夫婦。江戸と総州(千葉県北部)の境目にある柴又村にて、貧しいながらも仲睦まじく暮らしておりました。ある年の十五夜に、二人で縁側に出てお月見をしながら語らっておりますと…。

夫「(一杯やりながら)いやぁ、綺麗だなぁ。中秋の名月に月見酒とは、こりゃあ人生で五本の指に入る贅沢だな」

妻「はいお前さん、どうぞ。芋の煮っころがし」

夫「おお、すまねぇな。じゃあ、ちょっと呼ばれようか(食べる)。…うん、こらぁ出汁がたっぷり染み込んでてうめぇや。それでもって、その上からこう…(飲む)…うん、こらぁなかなか…(月に向かって)ウサギさーんっ、お前さんのおかげで今晩の酒は最高にうまいよーっ!」

妻「うふふふふ。ウサギさんもきっとお餅をつきながら『ふん、おらぁ見せ物じゃねぇや!』って言ってますよ」

夫「そうかい?…じゃあ、ウサギさーんっ!餅つきはそのくらいにして、こっち来て一緒に一杯やんねぇかーっ?よぉ、ウサギさーんっ!」

妻「うふふふふ。ウサギさんは徳が高いから、きっとお酒はお飲みになりませんよ」

夫「え、ウサギさんは徳が高いのか?」

妻「そうですよ。何たってお釈迦さまの前世が、あのウサギさんなんですから」

夫「えぇ!?お釈迦さまの前世がぁ!?」

妻「ええ、古いお話に『月うさぎ』というのがありましてね。昔、ある所にウサギとキツネとサルがいたそうで。ある時、三匹のもとに一人の老人が訪ねてきて、『腹が減って仕方がないから何か食べ物を恵んでくれ』と言ったんだそうで。三匹は老人のためにと、すぐに野山へと食べ物を探しに駆け出していきました。キツネは川へ行って魚を、サルは木に登って果物をとってきたんですが、ついにウサギだけは何も持ってくることが出来なかった。ウサギは悩んだ末に、『ならば私を食べて下さい』と言って、そのまま火の中へ飛び込み、焼け死んでしまった。実はこの老人というのが帝釈たいしゃくさまで、訪ねてきたのは三人の心を試す為だったんです。その後、帝釈たいしゃくさまはウサギをたいそう哀れに思い、月の中でいつまでも生き続けられるように、と永遠の命を与えたんですって」

夫「へぇー、知らなかったなぁ。あの月のウサギさんには、そんないわれがあったのかぁ。…ときにおめぇ、そんな話をどこで知ったぁ?」

妻「ふふふふふ。今までお前さんには内緒にしてましたけど、実は私もあの月から来たんです」

夫「えぇ、おめぇ月から来たのかぁ!?じゃあ下総しもうさの両親は、あれは一体誰なんだ?」

妻「あの人たちはあくまでもこちらに来てからの育ての親で、私の生みの親は、今もあの月に住んでるんです」

夫「へぇー、そらぁたまげた。こっちからはウサギが行くし、あっちからは人間が来るし、日本とお月さまとの間には随分と交流があったんだな。じゃあ、おめぇはひょっとすると、かぐや姫のことも知ってるのかぁ?」

妻「わが家のご先祖さまです」

夫「ご先祖さまぁ!?じゃあ、おめぇはかぐや姫の子孫かぁ!?」

妻「はい、れっきとした。わが家は平安時代から続く、由緒正しき家具屋***なのです」

夫「えぇ、家具屋ってのは平安時代からあったのかぁ!?そらぁ、初耳だぁ!」

妻「いい機会なので、お前さんに大事なお話をしましょう。近いうち、私もかぐや姫のように、あの月へ帰らなければなりません。お前さんと別れるのは辛いですが、今まで本当に…お世話になりました(三つ指をつく)」

夫「えぇ!?おめぇ、月に帰ってしまうのか!?(半べそで)そ、そんなぁ、行かねぇでくれよ。おめぇの言うことなら何でも聞くからよ。頼む、おらを一人にしねぇでくれっ(土下座)」

妻「ふふふふふ、冗談ですよ。私はかぐや姫の子孫なんかじゃありません。ちょっとお前さんの心を試してみただけです」

夫「なーんだ、おめぇも帝釈たいしゃくさまと同じことするのかぁ?おらぁ、すっかり本気にしちまったじゃねぇか」

妻「お前さんの気持ちはよーく分かりました。これからもどうぞ、末永く宜しくお願い致します。…私も一杯頂こうかしら。(飲んで)あー、おいしい」

夫「うめぇだろ?月に帰っちまったんじゃ、こんなうめぇ酒は飲めねぇぞってな。はっはっはっ」


 なんてんで、月うさぎも夜通し一生懸命餅をついているのに、下でこんなノロケ話を聞かされたんじゃたまったもんじゃありません。そんなこんなで夜は更けていきまして、明くる日の朝でございます。亭主が、いつものように畑仕事に出掛けようと表でもって支度をしておりますと、そこへ一人の乞食老人がやってまいりまして…。


乞食「あのぅ、すいませんが…腹が減って仕方がねぇで、何か食べ物を恵んではいただけねぇかと…」

夫「おや、物乞いの老人か。…ん?あっ!お、お、おい、おっぁ!」

妻「ちょっとお前さん、どうしたんですかぁ。そんな大きな声出して」

夫「たたたたたた大変だぁ!たたたたたた帝釈たいしゃくさまがお見えになったぁ!」

妻「何をそんなたたたたたたたた言って。…え、帝釈たいしゃくさま!?」

夫「ああ、そうだ。夕べ月見しながらあんな話をしたもんだから、わが家にも帝釈たいしゃくさまがお見えになったんだ。…ほら、何をぐずぐずしてるっ。早くウサギの丸焼きを持ってこいっ」

妻「そんな、ウサギの丸焼きなんて、すぐに用意出来るわけないじゃないですか」

夫「じゃあ、キツネを捕まえてきて、魚や果物に化けさせてお渡しするんだっ」

妻「そんなまどろっこしいことしなくたって、今おむすびとお団子を持ってきますから。ちょっと待ってて下さい」

夫「えへへへへ、帝釈たいしゃくさま。ちょっとお待ちになって下さいね。今、ウチのが持ってきますから」

乞食「あのぅ、先ほどから帝釈たいしゃくさま帝釈たいしゃくさまとおっしゃいますけど、わしゃ帝釈たいしゃくさまでも何でも…」

夫「またまたぁ。そんなこと言って、おらたちの心を試そうってんでしょ?その手は桑名の焼きはまぐりですよ。おらたちは帝釈たいしゃくさまの絶対的信者なんですから」

妻「お待たせしました、帝釈たいしゃくさま。こちら、どうぞよろしければお召し上がり下さいませ(渡す)」

乞食「(受け取り)ああ、こらぁどうも有難うごぜぇます。これもきっと、ついさっき題経寺だいきょうじ帝釈たいしゃくさまをお参りしてきたご利益だなぁ。(合掌し)南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経…」

夫「ああ、そりゃそうでしょうねぇ。帝釈たいしゃくさまは、先ほど帝釈天たいしゃくてんからいらっしゃったんですもんねぇ。またいつでも気兼ねなくお越し下さいね、お待ちしてますから。では、お気をつけて。さようなら(手を振る)。…よし、これで一つ徳を積んだぞ。きっと何かいい見返りがあるに違いない。おい、おっぁ。いいか、どんな小さな吉兆も見逃すんじゃねぇぞ」

妻「あいよ、お前さん。蝶一匹だって見逃しやしませんよ」


 なんてんで、すっかり乞食老人のことを帝釈たいしゃくさまが来たもんだと信じ込みまして、夫婦は「さていつ良いことがあるか」と首を長くして待っておりますが、特にこれと言って何も起こる気配はありません。それから数日後、また例の乞食老人がやってまいりまして…。


乞食「あのぅ、先日は大変お世話になりました。恐れ入りますが、また何か食べ物を恵んでいただきたいと思いまして…」

夫「これはどうも帝釈たいしゃくさま、ようこそのお運びで。ちょっとお待ち下さいね。今、ウチのに持ってこさせますから。…おい、おっぁ!また帝釈たいしゃくさまがお見えになったぞ!何かこう腹にたまるような物をたっぷりお出ししなさい!…えへへへへ、少々お待ち下さいね帝釈たいしゃくさま。今すぐに持ってきますから」

乞食「あのぅ、こないだも言いましたけど、わしゃ帝釈たいしゃくさまでも何でも…」

夫「またまたぁ、もう分かってるんですから全部。…ときに帝釈たいしゃくさま、こんなことを言っては大変恐縮なんですけれども、そのぉ功徳の見返りと言いますか、ご利益のようなものは、一体いつ頃頂けるんでしょうか…?」

乞食「ああ、それでしたらすぐですよ。わしだって毎回帝釈たいしゃくさまを拝んだ帰りに、こうして食べ物にありつけてるんですから」



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