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落語(71)ゆきすぎ雪女

冬山でお馴染みの妖怪といえば雪女。そのセクシーな口元からフゥーッと息を吹きかけられた人間は、たちまちあの世行きだそうで。しかし、中には見逃してもらい命拾いする者も。その際の条件はただ一つ、『雪女に会ったことを一切口外しない』こと。面白いのは、見逃してもらう男は大抵若くてイケメンだという事実。なるほど、いくら妖怪といえども、雪女もやはり“女”のようで…。

雪絵「ちょいと、小雪ちゃん。どう、最近。あれからイイ男見つかった?」
小雪「え、イイ男?…(ニンマリし)…うん、まあね」
雪絵「あら、ちょいと小雪ちゃん。その顔を見ると、さてはもうすでに見つけたわね?ねえ、いったい何処で見つけたのさ。んもぅ、水臭いわねぇ。早くおせぇてくれればいいのに。…ねえ、いったい何処のどんな人?」
小雪「え?…うーん、山の麓に住んでる素敵な人」
雪絵「んもぅ、それだけじゃ分からないじゃないのさ。ほら、たとえば菅原道真に似て賢そうだとか、安倍晴明に似て謎めいてるとかさ。何かこう、特徴があるでしょう?」
小雪「え?うーん、そうねぇ…あえて言うなら、在原業平ありわらのなりひら光源氏ひかるげんじをすり鉢で粉々にして、そこに水を加えて練って固めて作ったような人」
雪絵「え…、ちょいと何よそれ…。んもぅ、もっとわかりやすく言ってちょうだいよ。要するにあれだろう?つまりは色男だってことだろう?ちょいと、小雪ちゃん。ついに春が来たじゃないのさ。で、その人とは当然、一緒になる気なんだろうね?」
小雪「うん、まあ近々ね」
雪絵「あら、よかったじゃないのさ。もう、この一年ずっと独り身で淋しかったでしょうに。やっぱり女は、好きな男と一緒に暮らしてこそ、一番の幸せってものよね。で、その“業平光源氏ありわらのひかるげんじ”は、あっちの方はどうなんだい?かたいのかい?」
小雪「え、あっちの方って?」
雪絵「んもぅ、とぼけちゃって。あっちの方ったら、あっちの方でしょうよ」
小雪「え、あっちの…(照れながら)…やだ、雪絵ちゃんたら…」
雪絵「ちょいと、あんた。一体なんだと思ってんのさ。あたしが言ってる『あっちがかたいのか』ってのは、『口が堅いのか』ってことだよ」
小雪「え…?あ、なんだそっち…?やだもう、あたしったらてっきり…。あ、そうね、口はもう、きっとカッチカチに堅いと思うわ」
雪絵「あら、そう。なら良かったじゃないのさ。小雪ちゃんったら本当に男運がないからねぇ。これまでの亭主は、もうみんな口が軽くて、すぐ“雪女に会った”ってことを喋っちゃうんだからさぁ。やっぱり女は尻が軽くちゃいけないけど、男も口が軽いってのは駄目よね。そうすると、小雪ちゃんは今度の亭主で三人目になるのかい?まったく忙しいねぇ。今度こそは長続きさせないと、もういいかげん駄目だよ本当に」
小雪「うん、わかってる。と言っても、まだ決まったわけじゃないけどね。こればっかりは先方の意向もあることだし…」
雪絵「でも、相手も独り身なんだろう?だったら、早く嫁に行っておやんなよ。いくら“傷モノ”とは言え、あんたほどの美貌だったら、きっとまだまだ十二分に需要はあるはずだよ」
小雪「うん、ありがとう。そうね、じゃあさっそく今晩にでも、彼の家を訪ねてみるわ」
雪絵「うん、そうしなさい、そうしなさい。善は急げよ」

 てなわけで、“雪女の雪絵”からアドバイスをもらった“雪女の小雪”は、妖術を使って人間の姿に化けますてぇと、その晩さっそく山を下りていき、絶賛片想い中である在原業平ありわらのなりひら光源氏ひかるげんじを足して二で割ったような猟師のもとを訪ねていきまして…。

小雪「(戸を叩く音)もし、夜分遅くにすみません。いらっしゃいましたら、戸を開けてはいただけませんでしょうか。この吹雪で、大変に難儀しております。よろしければ、今晩ひと晩だけでも、こちらに泊めていただくことは可能でしょうか」
猟師「…うん?はて、こんな遅くに来客とは。さては突然の吹雪で帰れなくなったんだな…。よし、人助けになるなら、喜んで力を貸そうじゃないか。…ちょっと待ってくれ。今、開けっからな…(戸を開け)…やあ、大丈夫か」
小雪「こんばんは。突然お邪魔いたしましたのに、親切に戸を開けてくださって、誠に有難う存じます」
猟師「あ…、い、いや、なんの…」
小雪「お願いです。明朝までで結構ですので、少しの間、わたくしをこちらに置いていただくことは出来ませんでしょうか」
猟師「あ…、ああ、ああ、もちろんだ。な、なんなら明朝までと言わず、あんたの気が済むまでずっと居たらいいさ。さあ、ずいぶんと冷えたろう。中へ入って温まりなさい」
小雪「はい。では、お言葉に甘えて」
猟師「さあ、上がって上がって。今、お茶淹れたげるからな…(戸を閉めて)…はぁ、なんていい女なんだろう…。あ、さあさあ、そこへ座って」
小雪「はい。では、失礼いたします」
猟師「(茶を淹れながら)ときに、あんたこの辺りじゃ見かけない顔だが、ひょっとして遠方から来たのかい?」
小雪「はい、わたくしは、雪国からやってまいりました」
猟師「雪国?…とすると、みちのくの方か?」
小雪「ええ、大体そのような所だと思っていただければ…」
猟師「へぇー、そらぁ随分とご足労だったなぁ…(お茶を差し出し)…さあ、これ飲みな。…ほらほら、もっとこっちへ座んなさい。そこじゃ温まらないだろう」
小雪「いえ、ここで結構です。わたくしは囲炉裏いろりの火が苦手でして、あまりそばに寄ると、身体が溶けそうになってしまうんです」
猟師「へぇー、そうかい。なかなか変わった人だなぁ…。要するに暑がりってことだな?まあ、いいや。いくら暑がりでも、この表の吹きっつぁらしじゃあ、さすがに死んじまうだろう。今晩は暖かくして、ここで朝までゆっくり休んでいきなさい。…ああ、おらはこの村で猟師をしてる、巳之作みのさくってんだ。よろしくな。あんた名前は?」
小雪「はい、わたくしは小雪と申します。どうぞ、よしなに」
猟師「へぇー、小雪さんか。あんた色が白いから、まさにぴったりの名前だな」
小雪「ありがとう存じます」
猟師「そうか、小雪さんかぁ。いい名前だなぁ。…さあ、じゃあ今晩はもう遅いから、そろそろ寝るか。ちょっと待ってな、今布団を敷くから。よっこらせっと…。さあ、あんたはこれに寝な。まあ、いささか煎餅布団だけど、我慢しとくれよ」
小雪「いえいえ、煎餅で充分です。あまり分厚いと、身体が溶けてしまいますから」
猟師「えぇ?…へっへっへっ、あんた本当に変わった人だなぁ。さあ、じゃあ寝よう。おやすみな(寝る)」
小雪「はい、おやすみなさいまし(寝る)」
猟師「(いびき)グゥー…、グゥー…」
小雪「巳之作さん、巳之作さん」
猟師「ん…、うん?…(隣の布団を見て)…あれ、いない…。なんだ、あれは夢だったのか…。そうだよなぁ、あんないい女が、いきなりおらの所になんか、訪ねてくるわけねぇか…」
小雪「巳之作さん、おはようございます。あさげの用意が出来ましたので、どうぞお起きになってくださいまし」
猟師「え?…(起き上がり)…あ、小雪さん。しかも、クンクン…、朝飯までこさえてくれて…。じゃあ、やっぱり夢じゃなかったんだな」
小雪「いえ、それは分かりませんよ。もしかしたら一夜限りの夢なのかもしれません。でも、巳之作さんさえよろしければ、この夢を永遠とわの現実に変えることも可能かと…」
猟師「えぇ…?」

 かくして、めでたく巳之作と小雪は夫婦めおととなり、その後六人の子宝にも恵まれ、大変賑々しい家庭を築いていきます。やがて、子守も一段落しまして、だいぶ平素の生活にも余裕が出てきました頃、ある日、巳之作が突然思い出したように、こんなことを口にし始めました。

猟師「なあ、小雪よ。お前にはこれまで一度も話したことはなかったんだが、実はお前と一緒になる前に、こんなことがあってなぁ…」
小雪「…え?」
猟師「あれは、かれこれ十年ほど前になるか。おらはある日、死んだ親父と一緒に、山へ猟に出かけていった。ところが、その日は日暮れ前から急に吹雪になってなぁ。おら達ゃあ、うっかり山を下りる機会を逃しちまったんだ。このまま歩ってても仕方ねぇってんで、おら達ゃあ山頂付近にあった山小屋で夜を明かすことにした。夜更けになっても吹雪の勢いは相変わらずで、心張り棒のねぇ山小屋の戸からは、すきま風がピューピューピューピュー吹き込んできて、おちおち寝付くことも出来ねぇ。そんな時さ。入口の戸が一尺ばかり開いたかと思うと、冷てぇ風雪とともに、真っ白な着物を着た髪の長い色白の女が入ってきてな。おらぁ驚いて起き上がろうとするんだが、どうしたものか身体が縄で縛られちまったように言うこときかねぇし、声も出せねぇ。仕方ねぇから、じっと様子をうかがってたんだが、そのうち女はおもむろに親父の枕元に座り込むと、口から白い息をフゥーッと親父の顔に吹きかけたんだ。おらぁ、その光景を見た時に直感したんだ。間違いねぇ、こらぁ噂に聞く『雪女』だってな。知ってるか?雪女ってのは、そうやって人間に息を吹きかけちゃあ、魂を抜き取るんだ。『まずい…、お、親父が雪女に殺されちまった』…おらぁ、すっかり全身が粟立あわだっちまってなぁ。けども、金縛りにあっちまってるから逃げることも出来ねぇ。そのうち、雪女は今度はおらの枕元へ寄ってきたんだ。『さあ、いよいよ困ったぞ。今度は、おらの魂が抜かれる番だ。誰か助けてくれぇ!このまま死にたかねぇ!』…そう思って、眼をぎゅっとつぶった時だ。雪女は、その透き通るような声で、おらに向かってこう言った。『気に入った。お前はわたしの好みの男だ。このまま殺してしまうのもいささか忍びない。よって、今回は特別に見逃してやろう。ただし、一つだけ条件がある。もしも今晩見たことを誰かに喋ったら、その時こそお前の命をりにくる』…。雪女はその言葉を最後に、再びスゥーッと戸口から出ていった。以降、おらの身には特に変わったことは起きていない。いったい、雪女にどこをどう気に入られたのか分からねぇが、おらは奇跡的に一命をとりとめたというわけだ。…ふっ、まあ本当なら墓場まで持っていかなきゃならねぇ秘密なんだろうけど、もうあれから随分と日も経ってることだし、女房のお前にぐらいは話したってバチは当たらねぇだろう。なんたって、今じゃお前はもうすっかり、おらの分身わけみみてぇなもんだからなぁ。はっはっはっ」
小雪「そうですか…。かつて、そんなことがあったんですね…」
猟師「そうさな、驚いたろう?こんなのは昔話か民話の世界の話で、まさか現実の身に起こるだなんて夢にも思わないよな。だからこそ、おらはこの十年間、誰かに話したくてもうウズウズしてたんだ。あゝ、ようやく今日話すことが出来てすっきりしたよ」
小雪「そうですか…、それは残念ですね…」
猟師「え…?」
小雪「(声色が変わり)あれだけ言ってはならぬと忠告したのに、お前はついにその戒を破ってしまった。非常にもったいないが、かくなる上は、今度こそお前の魂を抜き取らなければならぬようだな」
猟師「こ、小雪…、お、お前まさか…」
小雪「そうさ、あたしがあの晩の雪女さ。お前と暮らしてきた日々はとても幸せだった。しかし、約束は約束。残念だが、あたしのこの手で、今日こそお前の息の根を止めねばならぬようだな」
猟師「お、おい、小雪…、ま、ま、待ってくれ…」
小雪「いいや、ならぬ。お前にはたった今ここで死んでもらうぞ。スーッ…(息を吸い)…フゥーッ(吹く)」
猟師「う、うわぁーっ!やめてくれーっ!」
長男「お父つぁん、おっ母さん。あたいたち、表で遊んでたら腹が減っちゃったよぅ。何か食わせてぇ。…(弟妹に)…な?お前たちも腹が減ったよな?」
長女「うん、あたいたちも腹減ったぁ。お父つぁん、おっ母さん、何か食わせてぇ」
次男「何か食わせてぇ」
次女「何か食わせてぇ」
三男「何か食わせてぇ」
三女「何か食わせてぇ」
小雪「うっ…、わ、わかったよ…、お前たち…。今、おっ母さんがおやつをこさえたげるから、もうしばらくお外で遊んでなさい。出来たら声掛けるから…」
長男「うん、わかったぁ。なるべく早くこさえてね。…(弟妹に)…よし、お前ら、かくれんぼの続きだ。行くぞ」
小雪「ふぅ…、駄目ね。やっぱりあたしには、お前を殺すことは出来ない。誠に不本意ではあるが、あの子供たちにめんじて、今回も特別に見逃してやることにしよう」
猟師「え…、そ、それは本当か…?」
小雪「ああ。だが、もし次に誰かに喋ったら、その時こそ本当に最後だと思え。解ったな?」
猟師「わ、解った解った…。もう喋らない、今度こそ絶対に喋らないよ…」
雪女「そうか。なら、いいだろう。だが、最後にもう一度だけ確認しておく。雪女のことを話す…、これはつまり、どういうことだ?」
猟師「あ、ああ…、それはつまり、“命奪いのちとり”ということだ」

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