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落語(39)塞翁が馬

◎前回に引き続き中国故事成語ネタの第二弾です。『人間じんかん万事塞翁さいおうが馬』…幸と不幸は表裏一体、人生楽ありゃ苦もあるさ。捨てる神に拾う神、禍福かふくあざなえる縄の如し…。とある長屋に禍六かろくとお福の"禍福かふく夫婦"が住んでおりましたが、このたびどうも一悶着あり大家さんに助けを求め…。

禍六「(戸を叩く音)こんちはー!大家さん!禍六です!」

大家「(戸を開けて)おや、どうした禍六さん。カネなら貸さないよ」

禍六「ちょっと大家さん、いきなりそんなこと言わないで下さいよ。そうじゃなくて、今日はひとつ米のとぎ方を教えてもらいたいんで」

大家「なに、お米のとぎ方を?それならお福さんに聞けばいいじゃないか」

禍六「いや、それがそのお福がいないんですよ」

大家「なに、いない?一体どういうことだい?」

禍六「いえ、さっきあっしが仕事から帰ってきましたらね、ちゃぶ台の上に書き置きがしてあるんですよ。読んでみたらね、『あなたの女房としてやっていく自信をなくしました。しばらく実家に帰ります。わがまま身勝手をお許し下さい』って書いてあるんですよ」

大家「つまり逃げられたわけだな?」

禍六「そういう言い方ないじゃないですか、大家さん。あっしゃね、自慢じゃないですけど所帯を持ってからこのかた、女房に逃げられるようなことをした覚えはないですよ?」

大家「じゃあ、お福さんも何かの拍子に魔がさしたのかもしれないな。きっと思うところがあったんだろう。いずれにしても今日明日戻ってくるという話ではなさそうだ」

禍六「いや、それでね、さっきお隣りの嘉右衛門かえもんさんの所に行って占ってもらったんですよ」

大家「なに、嘉右衛門かえもんさんに?ああ、あの人はたしか八卦はっけの趣味を持っていたっけな」

禍六「で、観てもらったらね、『失せ物返らず、待ち人来たらず』って言うんですよ」

大家「おや、そうかね。じゃあ、お福さんは戻ってこないと。まあ、占いがそう言うんじゃ、お前さんもこの際ヤモメになるしかなさそうだな。で、ウチに炊事の仕方を教えてくれと」

禍六「ええ、何しろあっしは今まで台所に立ったことなんてないですからね。明日からどうやっておまんま食っていきゃいいんだか…包丁も持ったことねぇ、食器も洗ったことねぇ、ちゃぶ台を拭いたことすらねぇんですから」

大家「そりゃひどいねぇ…まあ、何にせよ起きてしまったことは仕方ない。前を向いて生きていくしかないからな。ああ、お前さんにいい話を聞かせてやろう。『人間じんかん万事塞翁さいおうが馬』と言ってな」

禍六「え?金看板、滋養が馬?」

大家「『人間じんかん万事塞翁さいおうが馬』だ。昔、唐土もろこしの国に塞翁さいおうという、占いの得意なおじいさんがいてな」

禍六「馬になっちゃったんですか?」

大家「そうじゃないよ、まあ聞きなさい。『塞翁さいおうが馬』というのは、そのおじいさんが大事に飼っていた馬が、ある日突然逃げ出してしまった」

禍六「イジメてたんでしょう?」

大家「そうじゃないよ。どうしてお前さんはすぐそういう風に取るんだ」

禍六「だっておかしいじゃないですか。大事に飼ってた馬なら逃げるわけないでしょ。普段から横っ面はたいたり頭叩いたり、『こんなまずい飯食えるかー!』ってちゃぶ台ひっくり返したり、髪の毛引っ張ったり着物破いたり、足で蹴っ飛ばして『このバカ女房!』とか言ってたんでしょう」

大家「なるほど、そういうこと言ってたんだな、お前は。そりゃ、お福さんも逃げるわな」

禍六「い、いや、あっしがそんなことしてたってんじゃないんですよ。例え話ですよ、例え話」

大家「本当かねぇ。どうも怪しいなぁ」

禍六「ま、まぁ、いいじゃないですか。で、その後どうなったんですか?」

大家「で、結果的にはその馬が仲間を何匹も連れて戻ってきたから、人生先のことは分からない、一喜一憂してはいけないよって話だ」

禍六「じゃあ、うちの女房も女友達を何人も連れて戻ってくるかもしれないってことですね?まいったなぁ、一夫多妻だ。体もつかな…」

大家「何を馬鹿なこと言ってんだ」

禍六「いや、冗談ですよ…でも、おかしいですね。そのおじいさん、占いが得意なわりにはどうして馬が逃げることを予知できなかったんですかね。それに、いったい虐待されてた馬がまた飼い主の所に戻ってきますかね…あっしが思うには、きっとその馬はおじいさんに復讐しにきたんだと思いますよ?そうじゃないと辻褄が合わないでしょう」

大家「お前さんもなかなかヘソ曲がりな奴だね。これじゃ、せっかくいい話が台無しじゃないか」

禍六「で、続きは?馬は仇討ちを遂げたんで?」

大家「仇討ちって…いやそれでな、無事に馬が戻ってきたんで、村人たちが『これはよかった、おめでたい』と言って、たいそう祝福してくれた。でも、おじいさんは『いや、これはもしや悪い事の前兆かもしれない』と言ったんだ」

禍六「素直じゃないですねぇ、そのおじいさん。村人が祝福してくれてるんだから喜んだらいいじゃないですか。で、どうなったんです?」

大家「ある日、そのおじいさんの息子がその馬の中の一頭に乗っていたら、突然馬が暴れだした為に落っこちて足を骨折してしまったんだ」

禍六「ほら、やっぱり復讐しにきたんだ」

大家「いや、それは分からないよ。分からないけど、何にせよ災難だということで村人たちはおじいさんのことをたいそう気の毒に思ったんだ。でも、おじいさんはそこで『いや、これは良いことが起こる前兆かもしれない』と言った」

禍六「また反対のこと言ってるよ。復讐されてるのに、どんな良いことがあるってんですか?」

大家「やがて一年後に戦争が始まり、その村の若者たちはみんな兵士として戦場に出ていった。しかし、おじいさんの息子は足を怪我していた為に行かずに済んだんだ。結果、多くの若者が戦争の犠牲になる中、おじいさんの息子は生き残ったから『ああ、やっぱりあの時足を怪我しておいてよかった』と喜んだんだ」

禍六「ちょっと待って下さい。戦争に行った若者がみんな死んじゃってるのに喜ぶなんて、あまりに薄情じゃないですか。そもそも足を骨折してから一年経っても治らないなんてあり得ないでしょ、普通。いや、もしかしたらおじいさんは占いで戦争を予知していたのかもしれない。だから、実際はとっくに治ってるのに、いかにも『まだ治らない』みたいな芝居を息子にさせてたのかもしれないですよ?」

大家「いや、そこまで言われちゃうとこっちも困っちゃうんだが…何しろ昔話なんでね、その辺はある程度大目に見てもらわないと…」

禍六「この親子、絶対あとで村人たちから袋叩きにされてますよ。いえ、あっしが村人だったらそうしますね」

大家「そ、そうかい?まあ、そう言われるとたしかに、そんな気がしてこなくもないがなぁ…」

禍六「でしょ?で、大家さん、こんな話をあっしにして、いったい何を伝えたかったんです?」

大家「まあ、つまり人生何があるか分からないから、あまり占いを信じすぎるなってことだ」






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