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落語(61)釈迦転生

4月8日はお釈迦様の誕生日。全国のお寺では、これをお祝いする行事・花まつり=灌仏会(かんぶつえ)が開催されます。お釈迦様と言えば産まれてすぐに七歩歩き「天上天下唯我独尊」と言った逸話はあまりにも有名です。さて、もしも現代にこれと同日に産まれ、且ついきなり言葉を喋ってしまうようなトンデモ赤ちゃんがいたら…それはやはりお釈迦様の生まれ変りなのでしょうか。

若旦那「(歩きながら)うーん、いい天気だねぇ。灌仏会かんぶつえにゃふさわしい晴天だ。お、お寺が見えてきたよ。わあ、山門からいっぱい人が出てくるねぇ。やっぱり、みんなお参りに来てんだ。なんたって今日は、お釈迦さまの生誕をお祝いする日だからねぇ。日本人ってのは、本来こうでなくちゃいけねぇんだ。(歌う)きっと君は来ない〜 一人きりの灌仏会かんぶつえ〜♪♪ってかぁ。…お、今年もしっかり本堂の前に花御堂はなみどうがこさえてあるよ。でもって、近所の人間が老若男女みんな集まってきてらぁ。どれ、ちょいと俺も混ぜてもらうかな。…こんちはぁ」
町人(女)「あら、米屋の飯太郎さんじゃないの。こんにちは。あれ?今日は、おまやさんは一緒じゃないの?」
若旦那「いえね、女房のやつ、なんだか今朝からずうっと腹が痛ぇみたいで。なんせ身重なんでね、あまり無理させちゃいけねぇと思いまして、うちに置いてきました」
町人(女)「あら、そう。じゃあ、いよいよ産まれるんじゃないのかい?」
若旦那「産まれる?…ああ、赤ん坊がね。なるほど、そういうことでしたか。あたしゃてっきり、夕べ食べた鯛の天ぷらにあたったもんだとばっかり思ってましたよ。どうりでさっきから、うちのおふくろやなんかと納屋にこもったっきり、ちっとも表に出てこねぇわけだ」
町人(男)「へっへっ、若旦那、あんたも鈍いねぇ。あんな大きな腹ぁしてて『腹が痛ぇ』ったら、もうそれしかねぇじゃねぇか。今ごろきっと、おまやさんは力綱握りしめながら必死に踏ん張ってるよ」
若旦那「へえ。赤ん坊ってなぁ、そんな急に産まれてくるもんすかねぇ。前もって教えてくれりゃあ、こっちもバタバタしなくて済むのにねぇ。ずいぶんと気の利かねぇ奴だ」
町人(女)「もう、なに言ってんのさ。お腹の赤ん坊が事前に『お父つぁん、おっ母さん。そろそろそっちへ行くから準備しといてくりょ』なんて言うわけないじゃないか。さあ、馬鹿なこと言ってないでさ、無事に産まれてくるように、お釈迦さまにちゃんとお願いしな」
若旦那「あ、そうっすね。(釈迦像を見て)お釈迦さま、今年もこうして無事お目にかかれましたね。一年間、お元気でしたか?じゃあひとつ今回も、頭から恒例の甘茶をかけさせていただきますね…(かけながら)…わが家に、無事に元気な赤ん坊が産まれてきますように、っと」
和尚「おやおや、皆さんお揃いでしたか。ご苦労さまです」
町人(女)「あら、和尚さん。本日はお釈迦さまのご生誕記念日、誠におめでとうございます」
和尚「ああ、おかげさまでこのように天気も味方してくれたようですな。はーはーはー」
町人(女)「あ、そうそう。おめでたいって言えば和尚さん、この飯太郎さんの所にも、もうすぐ赤ん坊が産まれるそうですよ」
和尚「ほう、さようでしたか。あの放蕩ほうとう三昧だった米屋の若旦那も、ついに人の親になりますか」
若旦那「へぇ、その節は誠にお恥ずかしい話で…。ですから、これを機にあたくしも心を入れ替えて、さっきからお釈迦さまに一所懸命、安産をお頼みしてたところです」
和尚「うむ、これも仏縁です。今日産まれるにせよ明日産まれるにせよ、この祈りはいずれ何がしかのご利益をもって報われることでしょう。ああ、有難い。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」
若旦那「こりゃどうも和尚さん、ありがとうございます。そんな、和尚さんにまで願掛けしていただけるなんて、おそれ多くももったいねぇことで。…それじゃあ、あたくしはこの辺で失礼しますね。どうぞ、いい報告をお待ちんなってておくんなせぇ。では、ごめんなすって…(歩きながら)…そっかぁ、俺もいよいよ父親てておやになるのかぁ。ときに女房のやつ、まだ納屋で気張ってんのかなぁ。それとも何かい?帰ったらもう赤ん坊が俺のこと出迎えてくれんのかい?『お父つぁん、おかえり』なんてんで…はは、いくら何でもそりゃねぇか。へへ…さ、そろそろ我が家だよ。…(立止まり、空を見て)…ん?なんだい、ありゃ。変な雲だねぇ。一つ所から細長ぇ雲が、ひーふーみーよー…九つも伸びてるよ。なんだか龍みたいだねぇ。頭が九つだから九頭龍くずりゅうってやつだ。へぇ、珍しいもんだねぇ。ちょうど俺んちの真上あたりじゃないか。…(再び歩き)…ささ、早く帰ろう。もうすぐ赤ん坊とご対面だ。…ただいまぁっ」
大旦那「おお、飯太郎、戻ったか」
若旦那「あ、お父つぁん、聞いてくれよ。凄いんだ。今、うちの真上に九頭龍くずりゅうがいたぃ」
大旦那「めでたいな。男だよ」
若旦那「なんだい、お父つぁんも見てたのかい。…しかもお父つぁん、あの九頭龍くずりゅうが男だって分かんのかい?そりゃ一体、どこを見て分かるんだい?どっかに金玉でも付いてんのかい?」
大旦那「違うよ、赤ん坊の話だよ」
若旦那「赤ん坊?…あ、産まれたのかい?」
大旦那「ああ、ついさっきな。それはそれはもう、玉のような赤ん坊だ」
若旦那「あ、そうかい、産まれたかい。ああ、そりゃよかった」
大旦那「今、ちょうど産湯から上がったところだ。奥の座敷にいるから、お前も来なさい」
若旦那「お、するってぇと風呂上がりだね。じゃあ、さっそく親子のさかずきを交わそうじゃねぇか」
大旦那「こらこら、馬鹿を言っちゃいけないよ」
若旦那「へへ、冗談だよ。さて…(履物を脱ぎながら)…いったい、どんな顔してんのかねぇ。俺より二枚目だったら承知しないよ」



大旦那「さあ、ここだよ…(座敷を覗き)…お、赤ん坊のやつ、さっきまで火がついたみたいに泣いてたが、だいぶ落ち着いたようだねぇ。…さあ、こっちへ来なさい。…これ、おまや。飯太郎が戻ったよ」
女房「あら、あなた、おかえりなさい。ふぅ、無事に産まれたわよ。ほら、見て。あたしたちの子供よ」
若旦那「どれどれ、俺のせがれはどんな顔をしてんだい…わあ、小っちぇえなぁ。へぇ、こんなに小っちぇえのに手や足が動いてんだもんなぁ。いったい、何でもって動いてんだろうねぇ。不思議だなぁ。…おまや、大変だったな。ご苦労さん」
女房「うん、これでどうにか峠は越えることが出来たけど、あともうひと踏ん張り」
若旦那「え?なんだい、続けてもう一人産まれてくんのかい?」
女房「違うわよ。これから七日間は横になっちゃいけないって、おっ義母さんに厳しく言われてるの」
若旦那「へぇ、横になっちゃいけねぇって、まるで千日回峰行の行者ぎょうじゃみてぇだな。するってぇと、ゆくゆくはお前も大阿闍梨だいあじゃりになっちゃうんじゃねぇのかい?」
女房「もう、なに言ってんのさ。…あ、あなた、ほら見て。今、この子が笑ったよ」
若旦那「え、笑ったって?そんな訳ゃないだろう。まだ産まれたばっかりだよ」
赤子「…(満面の笑み)…」
若旦那「おい、本当だなぁ。こいつ、口開けてにっこり笑ってるよ。…(赤子に)…おい、お前。今、お父つぁんが言った冗談が解ったのかい?お前のおっ母さんはよぉ、これから七日間堂入りして、しまいにゃ大阿闍梨だいあじゃりになるんだってよ。凄ぇなぁ、おい」
赤子「ひゃははははっ」
若旦那「おい、見ろ。今度ぁ、声出して笑ったよ。こいつ赤ん坊のくせに、なかなか洒落のわかる奴だよ」
女房「本当だねぇ。もしかしたらこの子、神童かもしれないわよ」
若旦那「ええ、神童!?するってぇと、神の子かい?とんでもねぇ、あたしゃ神様じゃねぇよ」
女房「いや、あなたが神様じゃないことは分かってるけど、神様があたしたちを通じて、この子をこの世に産み落としたのかもしれないわ」
若旦那「ん?…ちょっと待てよ、なんだかややこしい話になってきたな。なになに?…神様が俺たちを通じて自分の子を…おい、それじゃ何か?お前、神様と寝たのか?」
女房「んもう、違うわよ。でもほら、耶蘇教やそきょうでも何でもさ、昔から偉大な預言者っていうのは、ある日突然、人の子として生まれてくることがあるでしょう?」
若旦那「ま、まあな…あのお釈迦さまだって、おっ母さんのわきの下から出てきたって言うしな。どう考えても普通の人間の産まれ方じゃねぇよな…まさか、お前もわきの下からこれを産んだのかい?」
女房「もう、そんなわけないじゃないですか」
若旦那「だったらお前、これも普通の赤ん坊なんじゃないのかい?…(赤子に)…なあ、お前、そうだよな。お前は神の子じゃなくて、俺の子だよな。…ほら、見てみろ。頷いてるよ」

 なんてんで、それからあっという間に六日が経ち、赤ん坊に名前を付ける『お七夜』の日となりまして…。

若旦那「こんにちはー。和尚さん、いらっしゃいますかぁ?」
和尚「おや、飯太郎さんじゃないですか。ごきげんよう。聞きましたよ、赤ん坊が無事に産まれたそうですな」
若旦那「へへ、そうなんすよ。おかげさまで」
和尚「ああ、それはおめでとうございます。で、産まれたのはいつですか?」
若旦那「それがですね、こないだの灌仏会かんぶつえの、あのちょうど後なんですよ」
和尚「はあ、あの日にね。では、お釈迦さまに甘茶をかけてお祈りした甲斐があったというものですな。へえ、さようでしたか。…おや?とすると、その赤ん坊はお釈迦さまと同じ日に産まれたということになりますかな」
若旦那「そうなんです。ですから、あたくしも驚きましてね。こいつぁ、めでたいやってんで」
和尚「うむ。確かにそれはおめでたいですなぁ」若旦那「これも、お釈迦さまと和尚さんのおかげです。それでですね、この際めでたいついでに、ぜひ和尚さんにもめでたい名前を付けてもらおうと思いまして、今日お伺いしたわけです」
和尚「ああ、そういうことでしたら、有難くお受けしましょう。飯太郎さん、実を言うと私はね、この赤ん坊に何か深遠なる仏縁を感じるのです」
若旦那「へ?…するってぇと、それはつまりどういう意味ですか?」
和尚「うむ。この赤ん坊は、あるいはお釈迦さまの生まれ変わりかもしれませんぞ」
若旦那「えぇ、お釈迦さまの!?」
和尚「さよう。ですから、私も責任重大です。この度は、それにふさわしいような尊い名前を付けなければなりません。ということで、さっそく考えました」
若旦那「え、もう考えたんですか?ずいぶん早いっすねぇ」
和尚「善は急げです」
若旦那「で、どんな名前ですか?」
和尚「れん
若旦那「え?」
和尚「れん
若旦那「レン?…珍しい名前ですねぇ。どう書くんですか?」
和尚「はすと書いてレン。以上」
若旦那「え、一文字ですか?随分あっさりしてますね。しかも、人間つかまえてはすって。まあ、仏教らしいっちゃ仏教らしいけど…あまり最近じゃ聞かない名前ですね」
和尚「それもそのはず、この名前はあと百五十年後に隆盛を誇る名前ですからな」
若旦那「ひ、百五十年後!?」
和尚「さよう。その頃には、周りはもうれんだらけになっていることでしょう。まあ、言わば時代の先取りです」
若旦那「先取りったって、それはちょっと先取りし過ぎなんじゃないですか?」
和尚「不満ですか?仕方がない。では、もう少し近いところで、百年後を見据えて昭和しょうわというのはいかがでしょうか」
若旦那「ショウワ?」
和尚「うむ。和をあきらかにすると書いて昭和しょうわ。きっとその頃には、日本人が年中この言葉を耳にしていることでしょう」
若旦那「いやぁ、それにしたって和尚さん、百年後じゃ…その頃にゃ、うちのせがれはもうとっくに死んじゃってますよ」
和尚「まだ不満ですか。ならば五十年後で、大きく正しいと書いて大正たいしょうというのはいかがかな?」
若旦那「ちょっと和尚さん、その何十年後かに流行るってのはやめてもらえませんかね。あたくしは、もっと今どきの名前がいいんですよ。例えば与太郎とか、定吉とか、金八とか…」
和尚「困ったものですねぇ。飯太郎さんは口を開けば不平不満ばかりだ。そんなことでは極楽浄土へ行かれませんよ。まあ、仕方がない。こういう罰当たりな人は、いっぺん地獄で閻魔さまに舌を抜かれなければ治らんでしょうからなぁ」
若旦那「ちょっと、なんてことを言うんですか」
和尚「よろしい。ならば、これにしましょう…(筆を取って紙に書く)…もう、これで決まりです。これ以上の異議申し立ては受け付けません…(紙を見せ)…はい、これで行きましょう。釈太郎」
若旦那「釈太郎?」
和尚「うむ。釈尊の『釈』を取って釈太郎。これなら文句ないでしょう」
若旦那「あ、なるほどね。これは有難い名前かもしれませんね。釈太郎ってぇと、なんか発音的にも“シャク歳“まで生きそうな気がしますしねぇ」
和尚「そうでしょう。では、これで決まりですな。命名ーーお釈迦さまの生まれ変わりである赤ん坊の名前は釈太郎。今日この日を境に、仏教の新しい歴史が始まりますな。はーはーはー」

 てな具合に、無事赤ん坊の名前が決まりましたので、若旦那は和尚から受け取りました半紙を手に、跳ねるようにして我が家へと帰宅しました。

若旦那「ただいま」
女房「あら、あなた、おかえりなさい」
若旦那「おい、赤ん坊の名前が決まったぞ」
女房「そう、和尚さん決めてくだすったんですね。で、何て名前ですか?」
若旦那「へへ、なかなかいい名前だぜ。見ろ…(半紙を見せ)…ジャジャーン。お釈迦さまの『釈』を取って、釈太郎だ」
女房「釈太郎…なるほど、これは有難い名前ね」
若旦那「だろ?なんたってこいつは、四月八日生まれだからな…(赤子に)…なあ、釈太郎。お前は、お釈迦さまの生まれ変わりなんだもんな?」
女房「まあ、お釈迦さまの?…じゃあ、やっぱりこの子は神童なんですね?でも、お釈迦さまは産まれてすぐに『天上天下唯我独尊』って言ったっていうけど、この子は何も言いませんでしたねぇ。それとも、これから何か言うのかしら…あっ、あなた見て。この子、立ち上がろうとしてるわよ」
若旦那「お、おい、本当だなぁ。まだ生まれて七日目だよ。もう立っちゃうのかい?…おいおい、本当に立っちゃったよ。そして歩きだしたよ。…(目で追いながら)…でもって、座敷の中をぐるっと一周回ってらぁ。よく見りゃ全部七歩ずつだ。お釈迦さまと同じだよ。するってぇと、ここで立ち止まって何か喋るのかい?…おい、立ち止まったよ。『天上天下唯我独尊』か?」
赤子「(右手で天を指し)天竺てんじく発祥による米の加工法を用ゆれば、(左手で地を指し)たちまちのうちに脚気かっけ治るとの評判たち、当家に末代までにわたるやんごとなき繁栄をもたらすことであろう」
若旦那「へ?…『天上天下唯我独尊』じゃないの?」
女房「本当ですねぇ。八文字どころか、普通に話し言葉でしたねぇ」
若旦那「おい、何て言ったんだよ。天竺てんじく発祥の?…米の加工法がうんぬんかんぬんって言ってたなぁ」
女房「お米屋の私たちに、何か商いに関する助言をしてくれたみたいですねぇ。なんでも、脚気かっけくなるとか言ってましたよ」
赤子「(例のポーズのまま)江戸わずらいーーすなわち脚気かっけの原因とは、ひとえにこれ、白米偏食による栄養不足に起因するものなり。これを解決する手立てとして、何千年もの昔より天竺てんじくに伝わる特殊精米法にならうことを推奨する。してその手段とは、まず米をもみのまま丸一日以上水に浸し、全体に充分水分を含ませた上で今度は小一時間これを蒸し煮し、その後天日干しにて乾燥させたのちに籾摺もみすりする。これにより、従来玄米から白米へと搗精とうせいする際に失われていた栄養素が事前に胚乳へと移行・吸収されるため、これを食することによって万人あまねく体内に取り込むことが出来るのである」
若旦那「…おい、えらい良く喋るお釈迦さまだなぁ。えぇ、何だって?もみを水に浸けて、蒸して乾かして…それを食べてれば脚気かっけが治るって?」
女房「これがもし本当なら、凄い画期的なことですよ。だって、どこのお米屋さんだってそんなことやってないんですもの」
赤子「(例のポーズで)これで、なんじらの家系は半永久的に安泰だな。おめでとう。これからも未来永劫、末永く幸せに暮らしてゆけよ。…(布団に戻って寝転がり)…だぁー、だぁー」
若旦那「おい、また赤ん坊に戻っちゃったよ。…驚いたねぇ。今度のお釈迦さまは、ずいぶんと舌の回るお釈迦さまだよ」
女房「そうですねぇ。二千年以上も経つと、お釈迦さまの方も進化するんですねぇ」
若旦那「よし。じゃあ、さっそく明日からその天竺てんじく式精米法を導入するぞ。なんたって、お釈迦さまの金言なんだから間違いねぇや。これでうちの店は『江戸わずらいの救世主』だてぇんで、入れ食い状態だよ。おい、どうするよ。やばいよ、やばいよぉ」

 てなわけで、さっそくこれを実践しましたところ、効果は的面でしたようで、早くも得意先から感謝の声が届くようになりました。

主婦「こんにちは、若旦那いらっしゃる?」
若旦那「(暖簾のれんの奥から)へい、らっしゃい。…あ、こりゃどうも。大工の源さんところのお蜜さん。毎度」
主婦「若旦那、こないだのお米凄いわねぇ。うちの人にさっそく食べさせたら、あんなに立たなかった足腰がみるみるくなっちゃって。もう、今じゃ何事も無かったかのようにピンピンしてるわよ」
若旦那「さいですか。そりゃあ、何よりで。あれはね、この江戸界隈でも、うちだけで販売してる『天竺米てんじくまい』てぇんですよ」
主婦「ねぇ、あんなお米、いったいどうやって思いついたの?」
若旦那「へへへ。それについちゃ、いちおう参入障壁ってもんがありますんで、門外不出なんですが…」
主婦「え、サンニュウ…何?」
若旦那「けどまぁ、お蜜さんところは大事な得意先なんでね、少しだけ種明かししましょう。実を言いますとね、先だって産まれましたうちの赤ん坊ってのが、ちょいとだけ特殊な能力を持ってましてね。あたしらは、それの助言に素直に従ったってわけでさ」
主婦「え、じゃあ何かい?おたくの赤ん坊は、まだ産まれて間もないのに、もう言葉を喋ってんのかい?」
若旦那「へへ、そうなんでさぁ。これについちゃ、親であるあたしらも驚いてまして」
主婦「あら、そりゃ一度見てみたいもんだねぇ。ねえ、今その赤ん坊はいるのかい?」
若旦那「ええ、奥におりますよ。呼びましょうか?…おい、おまやぁっ。ちょっと赤ん坊を連れてきておくれっ」
女房「(赤子を抱きながら)あら、どうも。お蜜さん、いらっしゃいまし」
主婦「ねえ、おまやさん。今、若旦那から聞いたんだけどさ。なに、その赤ん坊もう言葉を喋れるんだって?」
女房「はい、そうなんですよ。なんだか突然立ち上がっては、七歩歩いて預言めいたことを言うんです」
主婦「あら、凄いじゃないのさ。それじゃ是非、あたしんとこも預言を授かりたいわねぇ。…ねえ、坊や、教えとくれ。どうすれば、うちはお金持ちになれるかねぇ?…あっ、なんだかもぞもぞ動き出したよ」
女房「お蜜さん、そろそろ始まるみたいですよ…(赤子に)…あ、よしよし釈太郎。今、降ろしたげるからね。よいしょっと…(降ろす)」
主婦「まあ、驚いた。まだ乳飲み子だってぇのに、ちゃんと二本足で立ってるよ。…あ、そして歩き出したよ。ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、七歩歩いたよ。さあ、ここで預言かい?いったい、何て言うんだい?」
赤子「(右手で天を指し)これより北北西へと三十と余里行った所にある山に、近い将来、徳川家が埋蔵金を埋めるであろう。その頃になったらなんじはその山へと出向き、(左手で地を指し)ただひたすらに埋蔵金を採掘せよ。見事掘り起こしあたわざれば、なんじの家系は子々孫々に至るまで安穏あんのんたる暮らしが保証されよう…以上、終わり!(寝転がり)…だぁー、だぁー」
主婦「あら、また赤ん坊に戻っちゃったよ。…まあ、驚いたねぇ。徳川埋蔵金だって?え、北北西に三十と余里の山?…ってぇと、どこになるんだい?」
若旦那「おそらくぅ…赤城山でさぁ」
主婦「赤城山かい。近い将来ったってねぇ。じゃ、五年後あたりにうちの亭主と一緒に行ってみるかねぇ」
若旦那「よし。じゃあ、おまや。俺たちは三年後に行くぞ」
主婦「ちょいと、若旦那。あたしが授かった預言なんだからさ、横取りしないどくれよ。…いや、しかし驚いたねぇ。まるでお釈迦さまの生まれ変わりじゃないか」
若旦那「凄いでしょ?それで名前が釈太郎ってんでさ」
主婦「ああ、なるほどねぇ。それじゃ、きっともうお釈迦さまも解脱げだつに飽きちゃったのかもしれないねぇ。そりゃそうさね。もう、あちゃらに二千年以上もいるんだもんねぇ。いくらお釈迦さまったって、そりゃ飽きも来るさね。へぇ、この赤ん坊がねぇ…(合掌し)…ナンマンダブ、ナンマンダブ。…あ、ほら、お客さんだよ。きっとこの人たちも天竺米てんじくまいのお礼を言いに来たんじゃないのかい?忙しいねぇ。じゃあ、あたしはこれで失礼するよ。へぇ、徳川埋蔵金か…楽しみだねぇ。おほほほほっ」
床屋「こんにちは、若旦那いる?」
若旦那「へい、らっしゃい。ああ、これは髪結床かみゆいどこの結五郎さん。先日はどうも」
床屋「いやあ、若旦那。この間のお米は凄いねぇ。あれを食べるようになってから、みるみる体調が良くなっちゃってさぁ。今じゃ毎日あたし、朝日が昇る前に起きちゃ、川沿いを走ってるよ。おかげで、草鞋わらじ代がかさむかさむ、へへへ。でね、いつもあたしが買ってる草履屋ぞうりやの亭主も『なんだか最近体が重だるい』って言うんでね、それならいっぺん騙されたと思って、ここの天竺米てんじくまいを食べてみろって言ったの。だから、近いうちやっこさんもここに買いに来ると思うよ」
草履屋「御免ください。あのぅ、天竺米てんじくまいを売ってる米屋さんというのは、こちらでしょうか?」
床屋「ほら、噂をすればさっそく来たよ。…草履屋ぞうりやさん、あたしだよ、あたし」
草履屋「おや、髪結かみゆいの結五郎さん。では、天竺米てんじくまいを売っているお店というのは、こちらで間違いないんですね?」
床屋「いかにも。見てよ、ここにいるこの若旦那が、あの画期的な米を発明した張本人だよ」
若旦那「いえいえ、結五郎さん。あの米は古くから天竺てんじくに伝わるもので、なにもあたくしが発明したわけじゃ…」
床屋「ときに若旦那、あんな天才的な発想、いったいどうやって思い付いたんだい?」
若旦那「はぁ、やっぱりそこを訊かれちゃいますかぁ…まあ、仕方がねぇ。お得意さまだし、この際話しておくか。…実を言いますとね、ここであたくしの女房が抱いているこの赤ん坊が、あの米を作ることで運命が拓けると言ったんでさ」
床屋「なに、運命が…?すると、何かね。その赤ん坊は、未来を予知出来るというのかね?」
若旦那「へへ、どうやらそうみたいで」
床屋「それは面白い。ではひとつ、あたしとこの草履屋ぞうりやさんの運命も拓いてもらおうかな。…なあ、赤ん坊よ。あたしは髪結床かみゆいどこ、こちらは草履屋ぞうりやだ。あたしたちの商売が、この先もっともっと繁昌していくためには、いったいどうすればよいかな?…お、なにやらもぞもぞと動き出したよ」
女房「ああ、よしよし釈太郎。今、降ろしたげるからね。よいしょっと…(降ろす)」
床屋「おいおい、二本足で立ったよ。そして、ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、七歩歩いたよ。何だい何だい、お釈迦さまかい?」
赤子「(右手を天に)近い将来、人々は髪を結わなくなり、(左手を地に)足元には舶来品はくらいひんの革靴という物を履くようになるであろう。だによって、髪結かみゆいは本日よりすべからく西洋の散髪技術を修得されたし。また、草履屋ぞうりやもすべからく異人と積極的に交流し、今のうちから革靴貿易への道筋をつけておくべし。以上!…(寝転がり)…だぁー、だぁー」
床屋「おや、また赤ん坊に戻っちゃったよ。たまげたねぇ。…ときに今の偉そうなのは、いったい誰だったんだい?」
若旦那「お釈迦さまでさぁ」
床屋「お釈迦さま!?…じゃあ、何かい?今度、若旦那のとこに産まれた赤ん坊というのは、お釈迦さまの生まれ変わりかい?」
若旦那「ええ、まあ一応そういうことになるみたいですねぇ」
床屋「ひえぇぇ、これは有難い。仏さまに感謝だ。ナンマンダブ、ナンマンダブ…」
草履屋「あのぅ、そうしますとうちは草履屋ぞうりやをやめて、靴屋を営んだ方が良いということでしょうか?」
床屋「そうだよ。だから、今日でもう草履ぞうりなんか全部売っ払っちゃってさ、明日からは靴屋を開くための準備をした方がいいよ。あたしも、もう髪結床かみゆいどこなんかやめて、理髪店を開く準備をするから。きっと、そのうち時代が大きく変わるんだよ。ひょっとしたら、今はもう幕末なのかもしれないよ。なんたって、お釈迦さまがそう言うんだからさ。…それじゃ、若旦那。私たちは、これからさっそく新店開業の準備に奔走しますからね。これで失礼しますよ。…さあ、こうしちゃいられないよ。ほら、早く。草履屋ぞうりやさん、行くよ」
若旦那「あのぅ、ちょっとちょっと二人とも、天竺米てんじくまいは買っていかないんですかぁ?…行っちゃったよ。まったく、気が早いねぇ。それにしても『幕末』とか言ってたけど、本当に近いうちにそんな御一新があるのかねぇ」
老婆「もし、若旦那はいますかぇ?」
若旦那「へい、らっしゃい。ああ、横丁のお婆ちゃん、毎度」
老婆「こないだの天竺米てんじくまいは凄いねぇ。あんな物、どうやって考えついたんだい?」
若旦那「いやぁ、実はこれこれこうで…」
老婆「そうかい。じゃあ、あたしもその赤ん坊に観てもらいたいねぇ。…あ、赤ん坊が立ったよ」
赤子「(右手を天、左手を地に)なんじ、これこれこうしなさい」
老婆「へぇ、こりゃ有難いねぇ。ナンマンダブ、ナンマンダブ…」
異人「チョト、スイマセン。コチラニ、フシギナアカンボウガ、イルソウデ…?」
若旦那「ええ、うちのせがれでさぁ」
異人「ゼヒ、ワタシモ、ミテクダサイ」
赤子「(右手を天、左手を地に)なんじ、これこれああしなさい」
異人「オー、アリガトウゴザイマス。アーメン…」

 てな具合に、天竺米てんじくまいをきっかけに、赤ん坊の噂はみるみる江戸じゅうに広まっていきました。こうなりますてぇと、中にはそれを悪用しようとするやからも出てくるわけで…。

犯人「(赤子を抱えながら)いやぁ、酷い雨だねぇ。急に降ってきたよ。さっきまで、あんなに晴れてたのにねぇ。いやぁ、濡れた濡れた…(体を拭き)…しかしまぁ、この雨のおかげで、道中どうちゅう人目に触れることなく赤ん坊をここまで連れ帰ることが出来たよ。ふっふっふっ。見事、かどわかし成功だ。よいしょっと…(赤子を降ろし)…これの母親が息抜きがてら、荒川の土手でもって休んでるところを、偶然あたしが見つけちまったんだ。今やこれだけ有名な赤ん坊だからねぇ。一目見てすぐにわかったよ。きっと、あの母親も毎日のべつ客が店に押しかけてくるもんだから、たまには息抜きの一つもしたくなったんだろう。ずいぶんと疲れも溜まってたんだろうねぇ。暦は四月だ。天気はいいし風は気持ちいいし、そのうちにやっこさん、こっくりこっくりと居眠りを始めたよ。かたや赤ん坊は若草の上でもって、無邪気にはいはいしてるじゃあないか。『今だ!』と思ったね。気がついたら勝手に体が動いてたよ。あたしは赤ん坊を抱えるや否や、一散にここまで走ってきたってわけだ。へへ。…なあ、赤ん坊よ。あたしは何もお前さんをどうにかしようてぇわけじゃないんだ。ただ、その預言とやらをあたしにも授けてさえくれりゃあ、すぐにまたおっ母さんのもとへと帰してやるつもりだ。なあ、赤ん坊よ。どうしたら、あたしはこの貧乏から抜け出せるかね?」
赤子「(はいはいしながら)だぁー、だぁー」
犯人「なにもこんな手荒な真似はしなくても、お前さんところの米を買いに行ったついでに預言を授かればよかったんだろうが、情けないかな、今のあたしには、その米を買いに行く金もない有り様でねぇ。いえさ、あたしだって元は裕福だったんだ。なんせ、蔵前の札差ふださしの旦那よ。それこそ、うちに蔵が建ってたんだからねぇ。そりゃもう、有り余るほどの財産があったんだ。しかし、いかんせん札差ふださしってのも浮き沈みの激しい商売でねぇ。その後、店は見事に潰れちまって、今じゃこのざまよ。ふっ、赤ん坊のお前さんにこんな話をしたところで、仕方ないんだけれどもね」
赤子「(はいはいで)だぁー、だぁー」
犯人「なあ、赤ん坊よ。聞くところによると、お前さんはどうもお釈迦さまの生まれ変わりなんだって?どうだい、ひとつあたしにも預言を授けてくれないかい。それさえ済めば、すぐにまたおっ母さんのもとへ帰してやるんだから」
赤子「(はいはいで)だぁー、だぁー」
犯人「さあ、赤ん坊よ、教えとくれ。どうすれば、また人生盛り返せるかね?今はこんなオンボロのほったて小屋に暮らしているが、また昔のように蔵が建つような生活をするには、一体どうすればいいかね?なあ、赤ん坊よ。教えておくれ」
赤子「(はいはいで)だぁー、だぁー。…(急にすっくと立ち上がる)」
犯人「おっ、ついに立ったぞ。いよいよ預言だな?…おっ、そして歩き出したぞ。北に七歩、西に七歩、南に七歩、東に七歩。家の中をぐるっと回ったよ。さあ、何と言う?」
赤子「なんじに、今よりもっと豊かに暮らせる方法を教えてしんぜよう」
犯人「おう、教えてくれ。どうすれば、今よりも豊かに、もっと心穏やかに暮らせる?」
赤子「それには、たやすいことじゃ。(右手を天に)天井が雨漏りしてるから、(左手を地に)床にタライを置け」








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