好きなこと探しじゃなくて、違和感探しでもいいんだよとあの時の私に言いたい。#269
「将来の夢は?」という質問が苦手でした。
おそらく人生で初めて聞かれたのは、幼稚園卒園間近の時。
周りのみんなはどんどん答えている。
「お花屋さん!」
「ケーキ屋さん!」
ヤバい、もうすぐ自分の番だ。答えなきゃいけない雰囲気だぞ。
「本屋さん…」
苦し紛れに咄嗟に答えたのを覚えています。
高校生の進路希望を出すのとかも、困った記憶があります。「看護師になりたい!」とかもう道を決めていて専門学校を志望する子のことなんて尊敬の眼差しでした。
好きなことは?とか、やりたいことは?
と考えるといつもピンと来ない子どもでした。
この時期にやりたい事が決まってない私ってやっぱり、ワンテンポ遅いというか、何か流れに乗れてないんだろうな…
そんな漠然とした不安が子どもの頃はありました。
でも今あの時の自分に声をかけるとしたら
「大丈夫だよ」
と言いたい。
「あれやりたい!やってみたい!」
そんなキラキラした感じで選択することだけが選択じゃないよと。
「あれは何か違うな?ピンと来ないな?」
そんな始まり方の選択だって立派な選択だよ。
キラキラしたものだけが「決める」ってことじゃないよ。
私はたぶん、好きなこと探しよりも違和感探しの方が得意だったのだと、30年以上生きてやっと気づきました。
学校時代は「好きなこと探し」の風潮が強かったからずっとしっくり来なかったのだと。
時を戻せるなら、「夢は?好きなことは?」ってキラキラワードを並べる先生にしっくり来ない顔してる子の隣にこっそり行って
「なくてもいいからね?その代わり、あれは何か違うな?とか、そういうもやっとする感覚大事にすれば何とかなるから」
って耳打ちしに行きたい 笑
もちろんそれで即答できる人はいいけれど、あの時「お花屋さん!」とか「ケーキ屋さん!」と、言えるタイプの人だったら良かったのだけど。私はヤバい答えなきゃいけない雰囲気だと身構える方だったから 笑
そうか、5歳のあの時にもうどっちタイプか答えは出てたんだなと、30年以上経って気づく 笑
うん、だから
やりたいことがわからなかったとしても
やりたくないことがわかっていたらいいんじゃないかな?
わかってたつもりがやってみたら違くて
「あ、何かこれ違ったな…」
そう思えば引き返せばいい。
違うと気づきながらも続けることが一番怖い。それは自分からどんどん離れることになってしまうから。
大切なのは「違うことをしないこと」
それを続けていたらきっと、この道があったと気づく瞬間があると思うんだ。
さぁ
今日も
新しい一日が
始まります。