人がきっかけ掴んで人生うまく回り始める話を読むと、自分も一緒に元気になってしまう効能ってあるよねと思った2冊。
ふと安達茉莉子さんの生活改善運動を再読してみたくなりました。
カテゴリーとしてはエッセイになるかと思いますが、読んでいるとたびたび小説の世界みたいと錯覚してしまいます。
まず、安達さんの引っ越したおうちというのが小高い丘のてっぺんにあって、強い風が吹くと窓ガラスがガタガタ揺れるような、七畳の木造アパート。もう、これだけで小説の一節のよう 笑
このアパートから、そこが「幸福が生まれる場所」になるように、知人が何気なく言った「生活改善運動」を通して、自分にとっての幸せが何なのかを探り、幸せに生活していくための具体的な行動をとっていく。そんな日々が綴られています。
お友達も小説の登場人物みたいなことを言います。部屋の家具や調度品を指差して、「これは好き?これは?見ていて良い気待ちになる?」答えられずに詰まったりすると、
「見ていて嬉しい気持ちにならないものを、なんで見えるところに置いているの?」
「これから目に見えるところには、まりちゃんが見ていて、嬉しいとか、かわいいって思えるもの、心が喜ぶものだけを、置いてみたらどうかな?自分が心地いいっていう感覚を大事にして、空間に落としこむと、自分の心が、ふわっと、ほぐれるんやないかなぁ」
帯の言葉にある、【「これでいいや」で選ばないこと。「実は好きじゃない」を放置しないこと。】
ふと青山美智子さんのお探し物は図書室まで も読み返したくなりました。
こちらの主人公は、ひょんなことから絵本ぐりとぐらに出てくるカステラを作ってみたくなり、久しぶりにキッチンに立ち、ふとこの言葉が浮かびます。
そしてカステラが焼ける間に掃除を始め、何か人生うまく回り始めるきっかけのような物を掴みます。
2人が何だか重なって見えました。
ふとしたきっかけから、自分の身の回りを粗末にしてきたことに気づき、それってそっくりそのまま、自分を粗末にしてきたことだと気づき、そこからまず整えていく。
それがそのまま自分の人生を整えていくことに繋がって、人生うまく回り始めていく。
2冊がピタリと私の中で重なりました。
安達さんのエッセイの、割れた鏡をいつまでも片づけられなかった話がすごく人間らしくて好きです。
やり始めたら一息でできるようなことなのに。その一歩がいつまでも出ない時って、あるなぁと。実際安達さんも現実逃避して旅に出たりします 笑
でも何かきっかけが訪れると、拍子抜けする位に、片づいてしまう。でもでも、そんなことも出来ない自分になってしまっていたんだなぁと、はたと気づく。
きっかけさえ掴めれば、自転車に初めて乗れた時、突然コツを掴めて突然進めた、みたいなことが、大人になっても、あるよね。
人がふとした時に突然きっかけ掴んで人生うまく回り始める話が大好物です 笑
読んでいると自分の人生のどこかのひと欠片も、一緒に進み始めた気がするのです。
人って、進み始める時、意外とあっさりと、なんだよね。きっかけさえあれば、そしてそれに気づきさえすれば。
そのために、まずは生活を整えて、いつかその時が来た時にはたと気づけるような自分であれるように。
読み終えたらそんな気持ちになれる【付録】つきの2冊です。
*あえて【付録】なんて強調してみましたよ。気づく方は気づきますね?笑
【追記】
きっかけと何度も書きすぎて思い出しました。ひょんなことがきっかけで一時期霊が見えるようになった友人が、ある時外から霊が部屋までついてきてしまい、来る日も来る日も自分の部屋の隅っこで膝を抱えて座っていることがあったそうで(突然話飛びすぎ 笑)友人がふと、「外に出るきっかけを掴めなくなったんじゃ」と思いついたそうで、ある日出かける時にその霊に向かって「出かけてくるね。」とあえて声をかけてみたらばそれから見なくなったことがあったそうな 笑
この世を卒業した人でさえもやっぱり、きっかけ掴めず動けないことって、あるんですね(何の話や)