ウクライナ東部内戦について
2019年12月9日、パリのエリゼ宮においてウラジーミル・プーチン大統領、ヴォロジーミル・ゼレンスキー大統領、エマヌエル・マクロン大統領そしてアンゲラ・メルケル首相による首脳会合が実施され、成果文書がまとめられました(露文:ロシア大統領府、和文については、例えば「ノルマンディ4首脳、結論文書に合意=大統領府発表」12月10日、Ukrinformを参照)。彼らがここに集まった理由は、2014年から5年以上に渡って続いているウクライナ南東部のドンバス地方における内戦の解決に向けて話し合うことでした。
上記ニュースによれば、ゼレンスキー大統領が「ウクライナの連邦化はない」と強調する一方で、プーチン大統領は憲法改正と東部に対する特別な地位の付与を主張し、隔たりが浮き彫りになったとあります。今回の記事では、このウクライナ東部内戦の経緯を追いながら、その難しさがどこにあるのか、検討していきたいと思います。
ウクライナ東部内戦の微妙な構図
ロシアが国際政治の局面で世間を騒がせることは少なくないわけですが、なかでも同国のクリミア併合は米国や欧州連合その他の同盟国からの強い反発を呼びました。ただ、このクリミア併合という事件の構図自体は明確と言えます。つまり、ロシアがウクライナの領土であったクリミア半島をロシア領域内に組み込んだということです。もっとも、法的正当性に関して言えば、米国、欧州連合諸国、また日本を含め多くの国は、これを合法とは認めていませんので、例えロシアが自国インフラを敷設しようが、クリミアの住人にロシア税法に基づいて課税しようが、クリミアは法的にはウクライナの一部であると理解しています。したがって、「ロシアがクリミアを併合した」という発言自体も、正確を期すならば括弧付きで語らなければならないわけですが、ここでは便宜上「併合」という言葉を使わせてください。
さて、鮮明な構図が看取されるクリミア併合と異なり、ウクライナ東部内戦については微妙な力学が働いているように思われます。ロシアはドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)を自国領内に組み入れることをしてませんが、そうかといって、同地方でウクライナからの独立を宣言し政府軍との内戦を続けるドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を無視するわけでもなく、非公式なルートで軍事支援を続けています。もっともロシアは、現地にはロシア関係者はいないし、これは純粋にウクライナの政府と反政府集団の内戦であって、ロシアはあくまで第三者であるという立場をとっています。電撃的なクリミア併合と比べると、ロシアは内戦の決着をあたかもペンディングしているように見えます。
なぜロシアはドンバスを併合しないのか。旧社会主義圏の政治が専門の松里公孝東京大学大学院教授は、ロシアにはドンバス併合のインセンティブがないと指摘しています。
セヴァストポリ海軍基地のような軍事的な価値はノヴォロシアにはありません。クリミアの観光業が相対的に安価に近代化されうるのに対し、ドニエツク州の採炭や冶金産業を近代化するのには膨大な予算がかかるでしょう。また、冶金産業はロシア国内で過剰生産の状態にありますから、ドニエツクを助けて近代化してやる意味はありません。自らが重厚長大型経済からの転換を目指すロシアにとって、もうひとつの重厚長大経済であるドンバスは必要ないのです。長年の無茶な工業化のおかげで、ドンバスでは河川や土壌が汚染されています。またアゾフ海の汚染も深刻な状況です。ドンバスを抱え込むことは、ロシアにとっては、何の意味もない財政負担を抱え込むということになるのです。(『社会人のための現代ロシア講義』東京大学出版会、2016年、68頁)
上述の本に詳しい解説がありますが、ドンバスは工業都市として19世紀後半に創設されて以降ウクライナの稼ぎ頭としてやってきたのでそれなりのプライドがありました。彼らからすると、ウクライナ西部が東部の稼いだお金に課税してのうのうと生活しているのが気に食わない。また、東部は根っからの工業都市であり、企業連合が一枚岩で地盤を固めているので、西部にいるウクライナ民族派のような地盤が育つ余地がなく、西部(キエフ)中心の政策決定に不快感を深めていました。こうした不信感がユーロマイダン以降のウクライナ政変で頂点を迎えるという流れです。
ウクライナ連邦化
ここで論点として浮上するのは、ウクライナの連邦化です。連邦化すれば、もちろん連邦憲法の大きな枠組みの中ではありますが、地方政府が独自の憲法を持ち、財政の独立性も認められるようになり、ドンバス地方の不快感も制度上は解消されるはずです。そもそも連邦という制度はそうした問題を解消するための国家の統治形態だとも言えるでしょう。そしてこれは一方的な独立宣言をして勝手に国を作ってしまう場合と比べれば中道的な解決策と言えます。実際、ドンバス地方で中央政府に反旗を翻した人々が当初要求していたのは、ウクライナの連邦化だったとされます。
また、ロシアにとっても、ドンバス併合はハイリスク(国際的非難や制裁強化)・ローリターン(荒廃した土地)なオプションであり、むしろウクライナの連邦化によって同国内に生まれる親露派地方政府を通じてEUやNATOへの加盟等を阻止する外交ルートを確立することが真の狙いだとの見方があります(例えば、Sep. 1, 2014, Putin's Trap Why Ukraine Should Withdraw from Russian-Held Donbas, Foreign Affairs や Dec. 6, 2019, What the West Gets Wrong About Russia’s Intentions in Ukraine, Foreign Policy 等を参照)。この点については後ほど考えてみます。
ロシアのウクライナにおける活動の真実はより微妙である。ロシア政府が東部ウクライナの親露分離派を支援する最初の目的は、併合というより、連邦化したウクライナ内におけるドンバス地方の法的自律性を確立することだった。ロシアはそうすることでウクライナ内の重要な地域に影響力をふるうことができ、ウクライナ政府が西側との戦略的な関係を樹立する際に拒否権を行使することができる(Foreign Policy)。
ウクライナ連邦化問題はその後も継続して議論されることになります。その経緯を追ってみたいと思います。
ロシアがクリミア半島を自国に併合したのが2014年3月18日で、このロシアの決定はウクライナ東部住民を鼓舞しました。2014年4月6日頃から、ウクライナ東部のドネツク州やルガンスク州の議会などの地方政府関連施設の占拠が始まりました。彼らの政府への要望は、ウクライナにおけるロシア語の地位に関する問題の解決(中央政府はウクライナ語の使用を押し進めています)と同国の連邦化に向けた憲法改正を実施することでしたが、中央政府はこれに対して「対テロ措置」をとる方針を明確にしました。連邦化の挫折に業を煮やした一部の勢力は、ウクライナからの独立を一方的に宣言します。4月7日にドネツク人民共和国、同月27日にはルガンスク人民共和国が創設され(いわゆる未承認国家です)、5月11日にそれぞれの地域で自決権に関する住民投票が実施され、翌12日に国家主権が宣言され、続いて憲法が採択されました。この間、占領地域の制圧を目指す政府軍と独立宣言国との間で武力衝突が発生しています(参照:1 ноя. 2014 г. История конфликта на юго-востоке Украины, "ТАСС")。
2014年6月6日、フランスで開催されたノルマンディー上陸作戦70周年記念式典に参加したドイツ、フランス、ロシア、ウクライナの首脳がウクライナ内戦の解決に向けて協議したことから、この形式での会合がノルマンディー・フォーマットと称されるようになりました(この4カ国はノルマンディー4とも呼ばれます)。12月9日にフランスで開催された首脳会合もこのノルマンディー・フォーマットです。また、より実務的な協議については、ロシア・ウクライナ・OSCEによって構成される3者コンタクトグループが、ここにドネツク人民共和国及びルガンスク人民共和国の代表者を加えて実施しています。
ミンスク合意
2014年6月20日にはウクライナのペトロ・ポロシェンコ新大統領がドンバスを訪問して紛争の平和的解決に向けた提案を行うなど具体的な取り組みが続けられましたが、内戦は激化の一途を辿ります。特に、2014年7月12日に紛争地帯上空を飛行していたマレーシア航空17便が撃墜され搭乗者全員が死亡した事件は世界に衝撃を与えました。
内戦情勢としては、徐々に政府軍が反政府勢力の占拠地域を奪還しつつあったものの、8月に入って反政府側が政府軍を押し返し始めたことから、ポロシェンコ大統領とプーチン大統領の主導の下、9月5日に上記3者コンタクトグループの間でミンスク議定書(Minsk Protocol)が交わされました。これが一連のミンスク合意を構成する最初の合意文書になります(OSCEのホームページに署名文書が掲載されています)。これによれば、3者コンタクトグループは以下の項目の実現の必要性に関して一致しました。(3)には、連邦化という言葉は使われていませんが、地方分権化(decentralization / децентрализация)が明記されています。これはもともとのドンバスの要望だったものです。
(1)迅速な停戦
(2)OSCEによる停戦レジームのモニタリングと検証
(3)「ドネツク州及びルガンスク州の諸地区における地方自治の一時的な規則に関する法律」(特別な地位に関する法律)をウクライナ最高議会が可決することを含めた、地方分権化の実施
(4)緩衝地帯設置を通したOSCEによるラインのモニタリングと検証
(5)全ての人質と違法に拘束された者の迅速な解放
(6)ドネツク州及びルガンスク州の諸地区において生じた出来事に関する捜査や科刑の禁止に関する法律の採択
(7)包括的かつ全国民的な対話の継続
(8)ドンバスにおける人道的状況の改善に関する措置の実施
(9)「ドネツク州及びルガンスク州の諸地区における地方自治の一時的な規則に関する法律」(特別な地位に関する法律)に準拠する形での地方選挙の期限内の実施
(10)ウクライナ領土からの違法な武装組織、兵器、兵士・傭兵の撤退
(11)ドンバスの経済復興及び地域の生活環境の回復に関するプログラムの採択
(12)協議参加者の安全の保証
続く9月19日にはミンスク覚書(Minsk Memorandum)が採択されました。これはミンスク議定書のフォローアップとして、停戦などの軍事的項目について具体的内容を定めたものです。下図に示されたように、前線からそれぞれ等間隔に30km以上の緩衝地帯を創設することが覚書で定められました(図はwikipediaより転載)。
これにより一旦は停戦が実現しますが、2015年に入って再び紛争が再燃しました。前掲書の中で松里教授は、緩衝地帯のなかにドネツク州とルガンスク州の首都(人民共和国側の本拠点)が含まれるという到底受け入れられない要求であったこと、ロシアへの帰属を求める分離派にとっては独立地域を再びウクライナ憲政下に戻すことは受け入れ不可だったことなどを指摘しておられます。
紛争の再燃を受け、2015年2月11日にミンスクで再度ノルマンディー・フォーマットによる首脳会合が実施され、長時間の会合の後ミンスク合意の履行に関する措置パッケージが合意文書としてまとめられました(Feb. 12 2015, Full text of the Minsk agreement, Financial Times)。これを「ミンスク2」ということもあります。この文書で一連のミンスク合意が出揃いました。一般に「ミンスク合意」と呼ばれる際には、この措置パッケージが想定されているように思います。内容は以下のようなものです(英訳のほか、OSCEが公表したロシア語版も参照)。
(1)現地時間で2015年2月15日正午からのウクライナのドネツク州及びルガンスク州の諸地区における迅速かつ包括的な停戦とその厳格な履行を確保する。
(2)緩衝地帯の創設のために重火器を前線からそれぞれ等距離で後退させる:100mm砲及びこれを上回る口径の大砲については50kmずつ、MLRSについては70kmずつ、タルナードS、ウラガン、スメルチ及び戦術ミサイルシステム(トーチカ、トーチカU)については140kmずつ、また、ウクライナ政府軍については事実上の前線から、ドネツク州及びルガンスク州の諸地区における武装組織については2014年9月19日ミンスク覚書に従った前線から撤退すること。上記重火器の後退については、停戦開始日から起算して2日目までに開始され、そして14日目以内に終了しなければならない。このプロセスは、3者コンタクトグループ支持の下、OSCEが協力して実施される。
(3)停戦レジーム及び重火器の後退に関しては、後退開始日から、衛星やドローン、GPS機器等を利用することでOSCEの効率的なモニタリングと検証を確保する。
(4)後退開始日より、ウクライナ法及び「ドネツク州及びルガンスク州の諸地区における地方自治の一時的な規則に関する法律」に依拠した地域選挙の実施方法及びウクライナ法に基づく同地域の将来のあり方についての対話を開始。本文書署名日から30日以内に、2014年9月19日ミンスク覚書で示された方針に基づき、「ドネツク州及びルガンスク州の諸地区における地方自治の一時的な規則に関する法律」による特別なレジームが適用される地域の特定に関する決議をウクライナ最高議会が採択する。
(5)ドネツク州及びルガンスク州の諸地区で生じた出来事に関する捜査や科刑を禁止する法律に基づく恩赦の実施。
(6)「全員対全員」の原則に基づく人質及び違法に拘束された人々の解放及び交換。また、これを撤退終了後5日以内で完了させる。
(7)国際的メカニズムに基づく人道的支援への安全なアクセス、またその支給、保存、分配を確保する。
(8)年金支給その他の支払(給与、歳入、光熱費、ウクライナ法に基づく課税の回復)を含む、社会経済関係の完全な回復に向けた方法の決定。そのための当該地域におけるウクライナ法管轄下の銀行システムの回復、
(9)全紛争地域におけるウクライナ政府による国境管理を完全に回復する。この作業は地域選挙翌日から開始され包括的な政治的調整後に完了されなければならない(ドネツク州及びルガンスク州の諸地区での地域選挙は、ウクライナ法及び憲法改正を基礎とする)。この作業は2015年末までに実施されなければならないが、その際には、以下(11)の履行(つまり3者コンタクト・グループにおけるドネツク人民共和国及びルガンスク人民共和国の代表者との協議と同意)を条件とする。
(10)OCSEの監視下でのすべての外国の武装組織、兵器、兵士及び傭兵の撤退。違法な武装集団の武装解除の実施。
(11)2015年末に向けて、重要な要素として地方分権化(ドネツク州及びルガンスク州の諸地区の代表者の同意する同地域の特別性に配慮)を組み込む憲法改正を実施する。また、下記注釈に示された措置に従い、2015年末までに、ドネツク州及びルガンスク州の特別な地位を恒常的に保証する法律を採択する。
(12)「ドネツク州及びルガンスク州の諸地区における地方自治の一時的な規則に関する法律」を基礎に、3者コンタクトグループの枠組みで、ドネツク州及びルガンスク州の諸地区の代表者と、地域選挙に関する問題を議論し、合意する。OCSE民主制度・人権事務所のモニタリングのもとでの、OSCEの適切な基準を遵守した地域選挙を実施する、
(13)ミンスク合意の履行に向けた相応のワーキンググループの創設を含めた3者コンタクトグループの活動を活発化させる。
(注釈)
当該措置には、「ドネツク州及びルガンスク州の諸地区における地方自治の一時的な規則に関する法律」に則り、次の要素が含まれる:○ドネツク州及びルガンスク州の諸地区で生じた事件に関係する者に対する捜査や科刑の放棄、○言語に関する自決権、○同諸地区における検察及び裁判機関の長の任命に地方自治機関が参加すること、○中央政府の執行部が地方自治体の相応の機関と同諸地区の経済的・社会的・文化的発展に関する協定を締結する可能性、○同諸地区の社会経済的発展に対する国の支援、○ウクライナ中央政府による、同諸地区におけるロシア地域との国境を超えた協力支援、○地方議会の決定に従い、同諸地区における市民秩序維持のための民兵集団の組織、○この法律によりウクライナ最高議会によって指定された期限までの選挙で選出された地方議員及び政府職員の権限は期限前に停止されない。
この合意内容にしたがってその履行手続をイメージ図にしたものが以下になります。このパッケージは、概ねミンスク議定書+覚書の繰り返しですが、この履行に関してもう一度念押ししなければならない状況があったと思われます。このミンスク合意は大きく分けて軍事的項目と政治経済的項目に分けることができます。
軍事的項目については、まず停戦し、そして前線から重火器をそれぞれ引き離していきます。その際にはOSCEがモニタリングと検証を行います。また、人道的支援の実施が適切に行われることも必要です。さらに人質などの全員の交換を行い、紛争地から外国人部隊は撤退しなければなりません。
これら軍事的項目については、今年に入ってからいくつかの進展がありました。例えば、事前の合意に従って3つの地域での火器の後退が実施されました。本年12月のノルマンディー・フォーマットでは追加的に3つの地域からの後退が成果文書に明記されました。また、「全員対全員」原則(段階的に交換を進めていき最終的には「全員対全員」へ)での人質や拘束者の解放・交換についても今回の首脳会合の成果文書に明記され、12月23日の3者コンタクト・グループ会合でその時期や方法について合意があり(OSCEプレスリリース)、12月29日には前線付近の交通地点でこれが実施されました。ただし、これは「全員対全員」ではなく、いわゆる「特定されたもの全員対特定されたもの全員」形式であり、目標達成にはさらなる交渉が必要となります。ウクライナ側の交換対象者には訴追中の人物も含まれており、調整には引き続き困難が伴うことが予想されます(12月31日「被拘束者解放につき、ゼレンシキー大統領コメント」Ukrinform)。
政治経済的項目については、後退開始後の第1日目から地域選挙の実施に関する話し合いが開始されるとされており、これはウクライナ法や「特別な地位に関する法律」に準拠して実施されるものとあります。そして、ドンバスの特別な地位を考慮した憲法改正を行うことと、地域選挙の実施(つまり、ウクライナの一部としてのドンバスの再スタート)、さらに「特別な地位に関する法律」の恒常化が明記されています。こうした一連の政治的調整が終了した後に、ウクライナによる国境管理が完全に回復するとあります。ただ、ここの国境管理回復のタイミングに関してウクライナ側はミンスク合意とは異なる主張を続けており、この点については後述します。
シュタインマイアー・フォーミュラ
ミンスク合意の履行に関して、地域選挙の実施が先か、恒常的なドンバスの特別な地位の付与に関する法律施行が先かという問題があります。これについては措置パッケージ策定当時のドイツの外相を務めていた現在はドイツ連邦大統領のフランク=ヴァルター・シュタインマイアーが提案したプロセスに従うことが合意されています(その名前を冠してシュタインマイアー・フォーミュラと呼ばれる方式です)。つまり、ドンバスで地域選挙が行われたその日の夜に、ドンバスの特別な地位に関する法律を施行し、もしOSCE選挙監視団がこの選挙が正当に実施されたと認定すれば、その法律が恒常的性質をもつというものです。
これまでこのフォーミュラはアイデアベースの話であり、これでやる/やらないという揉み合いが続いていました。しかし、それから4年以上を経た2019年10月1日に開催された3者コンタクトグループで、初めて合意文書としてまとめられました(2 окт. 2019 г., От совместного информбюро, "Коммерсантъ")。
文書によれば、次のような手順で実施されます。
まず、ドンバスでの臨時地域選挙は、ウクライナ憲法及び同地区の選挙を規律するウクライナ特別法(ノルマンディー・フォーマットでの合意に添うもので、3者コンタクトグループが承認し、ウクライナ及びOSCE議長が民主制度・人権事務所長に送付したもの)に従って実施される。そして、選挙実施日の夜に、ドンバスの特別な地位に関する法律が施行される。ただし、この法律は、OSCE基準や民主主義的選挙の国際基準、またウクライナ法に照らし、OSCE選挙監視団が選挙の適正性を最終的に報告するまでは一時的な性質を有する。そして、OSCE報告において選挙が適正に実施されたと承認された場合には、法律は恒常的な効力を発する。
この3者コンタクト・グループでの合意は2019年12月のノルマンディー・フォーマットでも確認され、これをウクライナ法に反映させることが成果文書に明記されました。
「ノルマンディー・フォーマット」及び3者コンタクト・グループで承認された「シュタインマイアー・フォーミュラ」をウクライナ法へ統合することが不可欠であると考える。(12月9日首脳会合の成果文書より)
地域選挙と国境管理回復の順序をめぐる問題
しかしながら、選挙を実施して法律を施行するという順序については決着をみたものの、そもそも「いつ選挙をやるのか」という問題があるのです。ゼレンスキー大統領は紛争地のコントロールがウクライナの手に完全に戻るまでは地域選挙を実施すべきではないと主張しています。なぜなら武装集団がまだそこら辺にうろついているような状況で中立的な選挙ができるはずはないから、という理由です。言い換えれば、ウクライナ政権側にとって不利な選挙結果が出るに決まっているということです。
問題は、この主張はウクライナの国境管理回復に関する手続の開始を選挙実施翌日からと規定しているパッケージの(9)に反するということです。プーチン大統領はミンスク合意の履行を一貫して支持しており、国境管理の回復は選挙後という立場です。
12月9日のノルマンディー・フォーマット後の共同記者会見においてウクライナの記者がこの件について質問をぶつけています。この会見の内容をみてみます。
(Пресс-конференция Владимира Путина и Владимира Зеленского по итогам переговоров в Париже, Youtubeより(35:44あたりから))
記者「ゼレンスキー大統領に質問です。4ヶ月後のノルマンディー・フォーマットでの首脳会合開催については、何らかの条件をクリアする必要があるのですか、それとも条件なしであり得るのですか。また、こう理解してよろしいでしょうか。人質交換や交通拠点の管理回復などいくつかの進展がある一方で、基本合意に関する変化はありません。つまり、2020年9月のドンバスでの地方選挙が控えるなかで、ウクライナはドンバスでの国境管理を回復するということになっていませんが、なぜこうなのですか。
また、来年1月1日からガス通過は開始されるのかについてお伺いしたいです。
(ウクライナ語からロシア語へ切り替える)次に、ロシア大統領に対してですが、なぜあなたは選挙実施時にウクライナがドンバスの自らの国境を管理することに反対されるのですか。もし、それが躓きの石なのだとして、そしてこの問題が硬直状態からの脱却、つまりはあなたが仰るようにドンバスの和平に繋がるのだとしたら、なぜこの項目を変更することが困難なのですか。
加えて、この紛争状態において、これからもあなたはドンバスのロシア語話者の保護をしていくつもりですか。そしてこれについてどのような説明をされるのですか。もちろん、ウクライナ南東部でも支持の高いロシア語話者であるウクライナ大統領を念頭において。」
ゼレンスキー大統領(ロシア語で話すウクライナでは禁止されていないとウクライナ語で答えた後にロシア語で話始める)「条件についてですが、次回の会合のための条件は特にありません。今回の会合は長く困難でしたが前向きなものでした。だから4ヶ月後に私たちは議論を続けることができ、そして一致したことの結果を見ることができるです。しかし、今回の成果を履行すること、あるいはどれくらい履行したかといったことは次回会合の条件にはなりません。宿題はありません。
詳しくは話せませんが、ロシアの大統領とは率直な意見交換をし、国境の引き渡しやそのタイミングについて話ました。このあと大統領が話されると思われますが、彼は、私の前任のポロシェンコ大統領が署名したミンスク合意によれば選挙実施後に国境引き渡しがあるということを述べられています。実は私は国境の引き渡しを選挙実施前にできないかという問題提起をしました。私としては根拠付けてお話したつもりですが、依然として意見の相違があります。私は、数ヶ月後に再びこの4カ国で会談を行うことは偶然ではないと考えています。そして、解決策を見つけられると思います。というより、見つけなければならない。(以下ガス問題については省略)。
地域選挙についての問題も承知しております。この問題については3者コンタクト・グループにおいて議論しており、実施方法について検討中です。4ヶ月後の会合では方式が定められると思います。正直、あなたがされた選挙と国境については最も難しい問題だと言えます。」
プーチン大統領「(ガス問題については省略)次に国境についてですが、これについてはヴラジーミル(ゼレンスキー大統領の名前)と我々との立場は一致していません。我々の立場は非常に明快です。ミンスク合意の履行に賛成だ、ということです。ミンスク合意を手に取り、読んでみてください。そこに何が書いてあるか。こうあります、ウクライナは国境管理回復作業を開始するが、それは選挙の翌日のこと。そう書いてあるのです。そして、この作業は、すべての政治的手続が終了してから完了するとあります。なぜミンスク合意を再び切り開いて書き直す必要があるのでしょう。それぞれの項目は密接に関連しあっているのです。もし一つの項目に触れれば別のものも書き直さなければいけなくなる。そうしてべてを失うのです。如何ともし難い状況が生まれます。私たちのロジックはこういうことです。この考えは承認頂いていると私は思っています。
ロシア語話者の問題についてですが、当然、私たちはドンバスだけでなく、ウクライナ全土でロシア語話者が平等な民主主義的権利を享受することを望みます。知っていただきたいのは、ウクライナにおいて自らをロシア語話者だと解する人々は38%もいるということです。しかし、来年からいわゆるロシア語の学校はウクライナ語へ移行します。ちなみに、私の知る限り、他の言語の場合、例えばハンガリー語やルーマニア語、ポーランド語等については、2023年からです。まるでハンガリー人がロシア語話者より多いかのようです。ご承知いただきたいのは、あなたは我々が答えを持ち合わせていない質問をされたということです。
しかし、その他の未解決の問題の解決に向けて話し合うために4ヶ月後に集まることを期待しております。」
ノルマンディー・フォーマットの翌日、プーチン大統領は人権協議会会合において「スレブレニツァの虐殺」を引き合いに出しつつ、もし選挙前にウクライナにドンバスのコントロールを許せば、ウクライナのナショナリストによるロシア系住民の虐殺が発生することを示唆しました(10 дек 2019 г., Путин предрек новую Сребреницу из-за передачи Украине границы в Донбассе, "РБК")。
この主張はプーチンの十八番です。例えば、2017年の年末の大規模記者会見において、ウクライナの記者から虐殺問題について「実際に解放された町では平和な生活が送られているので、その心配は無用だ」という旨の見解を受け、プーチン大統領は「ドンバスでは今でも悲劇が生じており、あなたには賛同できない」と述べ、ドンバスにはその地区の住民の利益を守る一定の武装集団がいるが(例によってそれはロシア軍ではないと明示つつ)、「それは、地域住民にこの選択肢がなければ、あなたが言うような虐殺がナショナリスト軍隊によってスレブレニツァよりも酷い状態で行われるからだ」と言いました(Путин ответил на провокационные вопросы об Украине, Саакашвили и Крыме, Youtube)。
そしたら、こんな方法が考えられるのではないでしょうか。当該地域をウクライナでもドンバスでもない第三者がコントロールして一連の手続(武装組織の引き離しを含め)を実施する。この点について、プーチン大統領は次のように続けます。
ポロシェンコ大統領がまずOSCEを武装化させることが必要だと言いました。私はすぐに賛成しました。しかしOSCEはすぐにこれを却下しました。彼らが言うには、そのような経験がないし、人材もいないし、職員に武器を持たせたくないと。なぜなら、そんなことをすればすぐに両者の過激分子の標的になるからだと。その後、ポロシェンコ大統領は、OSCE隊員の安全を国連部隊が保証すればよいと言いました。私はこれにも賛成しました。我々が合意したことについて疑念を生じさせないためです。我々は、国連部隊がOSCE部隊を守るための決議を提出しました。そのあと、メルケル首相が電話で私にこう言いました。なぜ前線だけなのか、OSCEをドンバス全体に配置すればいいではないか。彼らがドンバスとロシアの国境(つまりウクライナとロシアの国境)も含めあらゆるところに展開できるように賛成してください、と。私は答えました。「君は正しい」。見解は一致しました。決議の修正案を提出しました。しかし、今になって分かってきたのですが、それは十分ではなかった。つまり、ここを国際的な管理地域にするためのあらゆることについて我々は反対しませんが、そのためにはウクライナ政府が自らドンバスと合意する必要があるということです。世界中どんな紛争も、仲介だけで解決したことはないのです。どの場合でも紛争当事者同士の直接の対話によって解決されるのです。ウクライナ政府は残念ながら直接の対話を避けています。
先ほどから参照している松里教授によれば、このような第三者によるコントロール体制は一定の要件を満たさなければ実現しません。
まず当事国が疲弊しているか(1992年の南オセチア、グルジア)、これ以上の紛争の拡大を望んでいないか(1992年のモルドヴァ、沿ドニエストル)であって、彼らが「勝者でも敗者でもない」解決を受け容れる必要があります。紛争当事者が自らの軍事力で相手を屈服させる自信を持っている場合(1992-93年のアブハジア・グルジア戦争)、当事者は合同統制委員会方式を受け入れません。(前掲書70頁)
つまり、紛争当事者が戦う気があるのときにこの方式は成立し得ないということです。ウクライナ政府とドンバスがこの方式に賛成することは、ドンバス側が武力を背景に自らの主張を交渉のテーブルで維持している現状では難しいのだと思われます。
ウクライナが主張するのは国境管理回復後の選挙ですが、もし国境回復を先にするとしても、そのためには当然ドンバス地域を平定する必要があり、軍事力で制圧するのでなければ、当事者間で交渉するしかありません。そしてこの交渉が一番難しいところです。つまり、ドンバスの地位に関して、反政府側が納得するように、反政府側も参加して法律案をまとめ上げなければならないということです。これについては3者コンタクト・グループが作業しています。ミンスク合意によれば、この法律ができれば、選挙を実施して特別な地位がドンバスに与えられます。しかし現状としては、この法律も調整中で、選挙実施についても立場が違います。また、ウクライナがミンスク合意に則って選挙をするにしても、やはりその前に法律の可決(また憲法の改正)が必要です。
したがって、いずれの順番でやるにしても、問題はどのような法整備をするか、ということです。これがクリアできるということは、紛争当事者間で一定の合意ができたということです。そうすれば、紛争の緊張関係も改善する可能性があります。昨年12月19日の年末恒例記者会見において、プーチン大統領はこう述べています(Путин: ситуация в Донбассе может зайти в полный тупик, Youtube)。
パリから戻った後に、ゼレンスキー大統領がミンスク合意の見直しの可能性について表明したことに私は警戒しました。もし、ミンスク合意の見直しを始めれば、状況は完全な行き詰まりとなるでしょう。というのは、ミンスク合意の鍵は、ドンバスの特別な地位に関する法律であり、これがウクライナの基礎的な法律である憲法に適用されるべきだからです。この法律は1年間延長されましたが、恒常的性格を有していません。この法律が恒常的になることの必要性については、私だけでなく、他のノルマンディー・フォーマットの参加者も何度も述べているにもかかわらずです。その後、この法律の原則がウクライナ憲法に盛り込まれます。しかし、昔も今もウクライナ政権はこれを望んでいません。これがなければどうしようもないのに。これが第一に重要です。第二に重要なのは、ドンバスとの直接の対話です。しかし、これもない。
今、ウクライナでは地方分権化に関する修正案が提出されたということが告示されています。なるほど。しかしこれは何ですか。ミンスク合意履行の代わりですか。ドンバスの特別な地位に関する法律の代替案ですか。提出することは自由ですが、ミンスク合意にはこうあります。ドンバスに関することは、その地域と合意しなければならない。でも、なんの合意もない。これには当然身構えるでしょう。
ここまでプーチン大統領の発言をずいぶん追ってきましたが、少なくとも彼が「ドンバス地域の利益の保護者」であることは伺えますが、上述した「フォーリン・ポリシー」等の論考が指摘するような、ウクライナを連邦化に持ち込み、ドンバスを通じて親EU政策を阻止するという意図までロシア側にあるのかどうかは、正直なところ不明です。
連邦化に関する、こう言ってよければ「陰謀論」については、理屈として理解しやすく、興味深いところはありますが、そのようなポイズンピルを文書にどう仕込むのかを考えると、途端に分からなくなります。まず、ミンスク合意パッケージ(11)の趣旨について考えると、これは特別法を恒常的な法律にすることによってこれが憲法と対立しないように、予め憲法を改正するものだと文言からは理解されるわけです。例えば、パリでの首脳会合後にロシア国営放送のある討論番組に出演したロシア大統領報道官ドミトリー・ペスコフは次のように述べています(15 дек. 2019 г., Итоги саммита в Париже. Большая игра, Youtube(14:25〜))。
ドミトリー・サイムス「なぜミンスク合意の順序がそんなに重要なんですか。」
ドミトリー・ペスコフ「順番は重要です。なぜなら、ある項目は別の項目の結果として現れるからです。例えば、ドンバスの特別な地位に関する法律成立なしに選挙を実施することはできませんし、この法律が一時的な性質しか持っていないのであれば、この法律に恒常的な性質を付与しなければなりません。また、選挙を行う際にこの法律だけに依拠することはできません。なぜなら、この法律はウクライナ憲法に反するからです。」
それでは、ウクライナ憲法改正はこれ以上のことを想定しているのでしょうか。例えば、ある特定の発議(例えばEU加盟に関する交渉開始)について連邦議会でコンセンサスを得なければそれが可決されないといったような具体的な制度設計をすることまで「ドンバスの特別な地位への配慮」という文言が想定しているのかというと、一定の解離があると思われます。また、仮にドンバス側がそのような毒薬条項を法律や憲法に入れることを試みたとしても、それをウクライナが飲むわけはないでしょう。
そのような込み入ったことをするよりも、例えばロシアとEUおよびNATOの二大巨塔であるフランスとドイツとが、ドンバスの和平の代わりにウクライナのこれらの組織への加盟を支持しないといったような何らかの「アイコンタクト」を交わすことの方が容易な気がします。ロシアにとっては、それで満足なので、あとはドンバスがウクライナの一部として不満なくやっていける法整備について、「ドンバスのロシア系住民の利益の保護者」として注文をつけていく、という寸法です。
ドンバスの特別な地位に関する法律
今度は、これまで何度も述べてきたドンバスの特別な地位に関する法律について見てみたいと思います。この法律自体は、実はミンスク議定書が交わされた後に迅速に制定されたのですが、その後一部の効力が停止するという状態になっています。
ミンスク合意によれば、ウクライナはドンバスの特別な地位に関する法律を定常化し、またこの特別性を考慮しつつ地方分権化に関する憲法改正を行うとされます。ロシアの思い描くような「連邦化」が実現されるのでしょうか。他方で、反露強硬姿勢をとる民族派からの圧力やロシアの後ろ盾があるドンバスの独立宣言国代表者らの意見、ウクライナの民意等々、国内での調整作業は困難を極めることは容易に理解されますが、ゼレンスキー新大統領に託されたのは、まさにこの問題の解決であることは間違いありません。彼は大統領就任演説において国内でも様々な意見があるドンバス問題について次のように宣言しています(20 May 2019, Volodymyr Zelenskyy’s Inaugural Address, President of Ukraine Volodymyr Zelenskyy)。
困難な決定を下すことに一切の躊躇いはありません。自らの名声を汚し、評判を落とす覚悟があります。そして必要であるならば、躊躇なく私は自らの地位を平和のために捨てましょう。我々が、自らの領土を諦めない限り。
それでは、ポロシェンコ大統領の時代に戻って改めて時系列を追います。
ミンスク議定書(9月5日)の合意内容に従い、2014年9月16日に「ドネツク州及びルガンスク州の諸地区における地方自治の特別な規則に関する法律」がウクライナで成立しました(残念ながらウクライナ語が読めないので、参照したロシア語訳は例えばこちら)。その内容ですが、法律が制定された時点での条文は大まかに次のようになっています。内容はミンスク議定書に対応するものと言えます。
(前文)本法は、ドンバス情勢の早急な正常化のための環境作りのため、同地域の地方自治機関に対する特別な規則を定めるもの。
(第1条)本法律の施行日から3年間、一時的措置として、ドンバスに地方自治に関する特別な規則が適用される。適用地域は、ウクライナ最高議会が決定によりこれを定める。
(第2条)地方自治に関する特別な規則が有効である間は、ドンバスにおけるウクライナ法の適用は、本法律が定める特別性を考慮しつつ行われる。
(第3条)国は、法律に則り、ドンバスでの事件に関与した人物に対する刑事訴追等の禁止を保証する。
(第4条)国は、国語政策基本法に則り、ドンバス住民の言語的自決権を保証する。
(第5条)ドンバスにおける地方自治はウクライナ憲法及びその他の法律に則って実施される。
(第6条)ドンバスの発展の保証に関する地方自治体と中央及び地方行政機関の協力を確保するために、内閣、省庁及びその他の中央行政機関は地方自治体とドンバスの経済的・社会的・文化的発展に関する協定を結ぶことができる。
(第7条)国は、ドンバスの社会経済的発展のための支援をする。
(第8条)行政府は、ドンバスにおいて、国境を接するロシアの地方政府との善隣友好関係の強化と深化に向けた協力を推進する。
(第9条)ドンバスにおいて、地域協議体はその決定により民兵組織を創設し、同地域の居住地区の市民秩序の維持にあたる。
(第10条)諸則
(1)本法律は公示日から有効。
(2)ウクライナ憲法第1章第85条30項に則り、ドンバス地域の臨時議員選挙を2014年12月7日に実施する。
(3)内閣は、ドンバスの地方自治体の参加の下で、本法律から導かれる法律に関する法律案の審議をウクライナ最高議会において滞りなく行い、可決する。
法律制定直後、当時のドネツク人民共和国元首アレクサンドル・ザハルチェンコは「いつ、どのような選挙を実施するかは我々が自分で決める」と述べ、特別な地位に関する法律に則った選挙を実施しない意向を示しました(17 сен. 2014 г. ДНР отказались проводить внеочередные выборы в Донбассе, "Радио Свобода")。
この選挙実施に関する問題がネックになっていたことは2015年2月のミンスク合意の内容からも確かに伺うことができます。ミンスク合意(4)では再び選挙について言及があり、同項からは上記法律第1条の適用地域についてもウクライナ議会で採決されていなかったことがわかります。
ミンスク合意の後、ウクライナ議会の態度はさらに硬直化します。2015年3月17日に同議会は第10条(4)及び(5)を追加修正しました(参照したロシア語翻訳はこちら)。
(第10条)
(4)本法律の第2条から9条は、ウクライナ憲法、本法律、またその他ウクライナ法に則ってドンバスで実施された臨時地方選挙により選出された者の地方自治権限の獲得の日から有効となる(以下略)。
(5)本法律により規定されるドンバスの地方自治体の活動に関する特別な規則は、ウクライナ憲法、本法律、及びその他ウクライナ法に則って指定・実施された臨時選挙により選出された地方自治組織によってのみ実現される。
上記(4)の省略部分は、違法な武力はドンバスから撤退し、選挙の透明性が監視員によって保証され、さらにウクライナのメディアや選挙キャンペーンもドンバスでちゃんとできないとだめだといった内容です。ミンスク合意の立場に立つならば、こうした選挙実施の際の要領についてはドンバスとの協議、合意というプロセスを経る必要があります。
この修正案は、法律の効力を地域選挙後の政治機能の始動まで一旦停止する趣旨の修正です。なお、第1条だけは有効なので実質的に意味のない法律の効力が一応は続いているのです。実際、2017年10月、2018年10月、2019年12月にそれぞれ第1条の法律の効力に関する部分が修正され、今でも同法は存続しています(現行法の効力は2020年末まで)。
また、わざわざ(4)や(5)においてウクライナ法により選出された機関に対してのみ特別な規則を認めるなどと書かれているのは、ドンバスが第10条(3)で示された臨時選挙の実施規定を無視し、独自の憲法等にしたがって選挙を実施していることに対する報復的措置とも考えられます。修正により選挙の実施要件はさらに細かくなり、厳格化されました。
しかしながら、上述したシュタインマイアー・フォーミュラによって、この選挙実施と法律施行の関係についての論争に決着がついたことはすでに見た通りです。そうはいっても、特別な地位に関する法律の発効要件を厳格化したウクライナ議会からすると、ただ単に「地域選挙を実施するだけでその日の晩に特別な地位を付与する」というシュタインマイアー・フォーミュラは受け入れ難く、かなり批判が出た模様です。それでもゼレンスキー大統領はこれでいくと決めました(2 окт. 2019 г., Зеленский согласился на «формулу Штайнмайера» для урегулирования конфликта в Донбассе, "Медуза")。左記の記事において、ゼレンスキー氏がそう決めた理由として、マクロン仏大統領がロシアとの関係正常化を目指しており(ドンバス問題の解決は対露制裁解除の重要な条件の一つです)、ゼレンスキー大統領に圧力をかけていること、ゼレンスキー大統領自身が、ドンバスの和平について大胆に公言したことなどを挙げています。
さて、この12月9日のノルマンディー・フォーマットでの首脳会合後にゼレンスキー大統領はドンバスの特別な地位に関する法律を改正して有効期限を2020年末にまで延長したわけですが。ロシア外務省報道局はこれについて談話を発表しています(18 dec. 2019, Comment by the Information and Press Department on legislative activity in Ukraine, Ministry of Foreign Affairs of the Russian Federation)。
この談話によれば、特別な地位に関する法律の改正は方向としては正しいが、ミンスク合意やノルマンディー・フォーマットでの首脳会合での合意を履行しているとは見做せないとのことです。ウクライは政府はドネツクとルガンスクとの間でその特別な地位に関するあらゆる法的側面について合意をしなければならないからです。さらに、法律のなかには2014年の選挙のことや、失効した国語政策法のことがまだ書かれているのは時代遅れであるし、2015年にウクライナ議会により追加された項には選挙実施後の政治機能の始動後に特別な地位が付与されるとあるが、シュタインマイアー・フォーミュラに則って選挙実施日の夜に特別な地位が付与されるのだから首脳間合意に一致していないので、いずれも修正が求められると指摘します。たしかに、12月9日の首脳間合意に従うならこれはその通りの指摘ですが、わざわざ談話を発出するのを見ると、ロシア側の問題に対する関心の高さを伺わせます。
ウクライナ憲法改正
2019年12月13日、ゼレンスキー大統領はウクライナ議会に対して憲法改正に関する修正案を提出しました。ウクライナ外務大臣のヴァジム・プリスタイコはテレビインタビューにおいて、「ミンスク合意には、ウクライナは憲法改正に同意するとあります。その基礎となるのは地方分権化です。我々は合意に懸命に取り組んでいます。」と述べ、その意欲を示しました(13 дек. 2019 г., "Интерфакс Украина")。
同月16日には、大統領提出修正案の本文が公開されました。РБК(経済紙「ロシアビジネスコンサルティング」のこと)の取材記事によれば(16 дек 2019 г., Зеленский предложил новое управление регионами без особых прав Донбассу, "РБК")、この法案の補足説明において、この修正案は、現在の地方の権限重複などの現行制度の欠点を補うべく欧州地方自治憲章の基準に則って地方自治と行政区画を刷新するものであるとされています。具体的には、まず、現行憲法133条では、ウクライナはクリミア自治共和国、州、地区、市、町、村から構成されるとなっていますが、管区、州、クリミア自治共和国という行政区画を導入します。また、プリフェクトという新しい役職を創設して、これがそれぞれの管区、州、またキエフの代表機能を果たすようにします。その職務は、地方自治体による憲法やその他のウクライナ法の遵守を監視であり、その任命・罷免権は大統領にあります。管区や州の権限は議会と執行委員会が行使します。議会は、執行委員長を任命または罷免し、また委員会メンバーを組織します。
また、この法案においては、これが下記ウクライナ憲法2条に反しないことが但し書きとしてあり、補足説明において、地方分権化は「国防、対外政策、国家安全保障、法の支配、人権及び人民の自由の遵守に関する問題における中央権力の弱化を意味するものではない」とあります。この但書を見ると、ドンバスを通じたウクライナ政府の政治決定に対するロシアの干渉の防止が念頭に置かれているように思われます。
(ウクライナ憲法第2条)ウクライナの主権はその領土全域に及ぶ。ウクライナは中央集権国家である。ウクライナ国境内の領土は不可分かつ不可侵である。
ゼレンスキー大統領の提出法案には、ドンバスの特別な地位に関する条項が存在しないが、他方で、一つの条項がウクライナの地方は、地理的、民族的、文化的伝統に立脚する、ということを示したことから、特別な地方自治に関する可能性もあるという専門家の見方もあります。実際、ミンスク合意にしても、必ずしも憲法に「ドンバスの特別な地位」を明記することが要請されているとは読めません。あくまで、これを担保するような地方分権の原理を憲法に反映させるということです。この点については、上記のようにプーチン大統領もそのように述べています(昨年12月の記者会見での発言)。
さて、ロシア外務省の談話には、このウクライナの地方分権化に関する憲法改革にもコメントがあります。
詳しく見てみると、(ウクライナは)国の地方分権化ではなく、その行政区画改革に関心がある。地方の権利の拡大は考えられていない。それどころか、中央のコントロールが強化されている。大統領によって指名されるプリフェクトには、地域レベルの法律を却下し、自治体の長を更迭し、期限前選挙を行う権限が与えられる。ミンスク合意に反して、憲法によって保証されるはずのドンバスの特別な地位に関する言及はひとつもない。これらもまた明確化される必要がある。
確かに、ゼレンスキー大統領が提案する「地方自治」制度は十分な地方分権を保証するものではありません。ウクライナとしては、あくまで中央集権を維持しつつ、微妙な地方自治権限を認める(憲法7条には地方自治は保証される権利であると規定されています)というバランスをとりたいのでしょう。それはやはりドンバスの影響力をできる限り排除しておくための作りなのだと思われますが、いずれにしても、ドンバスの特別な地位に関する法律案が3者コンタクトグループでの協議・合意が問題解決の要点であり、その軸が定まらなければ、憲法改正の内容も曖昧なものにならざるを得ないという状況がここにも示されていると言えると思います。
おわりに
ドンバスをめぐる問題について、基礎となる合意文書や法律、またこれに関するロシア政府関係者の考えを参照しながら、その経緯を含めて考えてきました。この問題は現在進行形であり、現時点で根拠を持って何かを断定したり予断することは難しいですが、本記事が今後のニュースを見る際の一助となると幸いです。