愛のエネルギー
沖縄にいた時に、下の子のアレルギーで病院に通っていた。と言っても数回だけど。アナフィラキシーを起こして救急搬送された時、対応してくれたのがアレルギーの専門医だった。その縁で、調べてもらったり、注射をしてもらったり。その日は、少しずつ注射をして30分おきにアレルギー反応を確認していた。その間、子供と2人で病院内で時間を潰していた。
ママ友が私の見てないところでアレルギー食材を食べさせて、アナフィラキシーを起こしてから、人と食事をすることが苦痛で恐怖になっていた。毎日、凄く痒がり眠れない子供を日に何度もシャワーをし、保湿をし、一晩中抱っこして歩き続けた。(ここら辺の詳しいところは、母と子は気で繋がっている、と、食べることが怖くなった日のブログに書いてあります)普通にしていたつもりだけど、どこか疲れていたのかもしれない、心が。
病院内が息苦しかったので、外のベンチに座り動き回る子供と外の車を眺めていた。
「年は?いくつ?」おじいが声をかけてきた。
「7ヶ月です」
「車、待ってるの?」
「いや、今、注射してアレルギー出ないか反応見てるとこなんですよ」
「かわいいね。俺は車まってるとこ」
と言って、優しい眼差しでずっと見ていた。疲れているように見えたのかな、子供をかわいいと思う優しい人なのかな、分からないけど。送迎車が来ると手に持ってる袋をひょいっと私に持たせてきた。「食べな」と。そしてふいっと車に乗って帰っていった。中身は焼き芋だった。しかも焼きたての温かいものだった。病院の前に石焼き芋があってそこで買ったんだな、と思った。(沖縄の人は焼き芋が好きで、真夏でも石焼き芋が走っているし、年中スーパーで焼き芋を売っている)
帰りに食べようと買ったんだなと想像する。食べようと買ったのに私たちにくれたんだなと想像する。車に乗るときの空の袋を持ちながら車に乗り込む後ろ姿を眺める。袋を開けると中から温かい湯気が出てきて、心が緩む。私は焼き芋を抱きながら泣いてしまった。
木皿泉さん(夫婦の脚本家)の昨夜のカレー明日のパンというドラマが大好きで何度も見ている。主人公の仲里依紗は夫を亡くしている。義父(ギフ)は息子を(妻も)亡くしている。夫に先立たれてからも2人は共同生活をしていた。淡々と、とても大切な存在として、2人にしか分からない共通の痛みを抱えて。夫(息子)が死の淵に立っているとき、おそらく病院で付き添って、心も体も疲れ切って帰っているであろう深夜の道で、24時間のパン屋の前で2人は足を止める。しばらく眺めて2人ですーっとパン屋に入ってパンを買う。焼きたての一斤パンを抱いて出てくる。
「あったかーい。猫抱いてるみたい」と言って、ギフにパンをパスする。ギフも「あったかーい」と言って抱く。そして、パンをパスしあう。病院のシーンはないけど、大切な家族が死の淵にある悲しみ、病院でずっと付き添ってそれに向き合って憔悴している感じがものすごい伝わるのだ。その状況で抱く温かいパンを想像して、悲しみが伝わって必ず泣いてしまう。
向田邦子さんの短編集の中にゆでたまごという話がある。向田さんが愛について考えるときに思い出すものの話。小学生の時にクラスに障害を持っている子がいた。運動会の時の徒競走で、その子は走るのに時間がかかってビリで、みんながゴールしても自分のペースでゆっくり走っていた。学校で一番厳しく怖い先生がその子のところに駆け寄って、がんばれーと言いながら伴走し、ゴールすると参加賞を渡しておめでとうと満面の笑みで喜び抱き締めた。
遠足の日、バスに乗るときにその子とその子のお母さんがきた。お母さんは「迷惑かけます、よろしくお願いします」と先生とみんなに何度も何度も頭を下げ、風呂敷包みを渡す。その包みの中のゆでたまごから湯気が出ていた。愛について考えるとき、そのゆでたまごの包みから出る湯気を思い出す、みたいな話。
焼き芋、パン、ゆでたまご
具体的な愛情表現でも、愛情行動でもないのに、この温もりに愛を感じるのは何故だろう。この熱すぎない温もりが、疲れた体をほぐし、悲しんでる心を癒してくれる。きっと、愛のエネルギーなんだな、と思う。
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