【舞台感想文】恋と呼ぶには気持ち悪い
普通という個性。
2024/05/03(金)、乃木坂46の柴田柚菜さんが初主演を務める舞台「恋と呼ぶには気持ち悪い」を鑑賞してきました。
今回のnoteでは、その舞台感想文をアウトプットします。
なお、この舞台感想文はネタバレを含んでいます。これからこの舞台を鑑賞する予定がある方はこれ以降を読まず、鑑賞後に読むことをおすすめします。
前提
感想文を述べる前に、僕がこの舞台を観る上でどのような状況だったのかを記しておきます。
もはや恒例ですが、僕がこの作品を知ったのは乃木坂46の告知でした。
僕は乃木坂46が大好きであり、乃木坂46やそのメンバーの情報は自然と耳に入ってきます。ある日、何気なしにXを眺めていたら柴田柚菜さんが漫画原作の舞台で主演を務めるという情報が解禁されていました。
この情報に触れた瞬間、僕はこの舞台を絶対に観ようと決めました。
原作のことは全く知らず、乃木坂46の公式サイトに記載されているあらすじにすら目を通していません。それにも関わらず、僕は柴田柚菜さんが舞台に出演するという条件だけで反射的に観劇を即決しました。
なぜそのような即決をしたかというと、僕は柴田柚菜さんの舞台出演を待ち望んでいたからです。
柴田柚菜さんは乃木坂46の4期生で、歌唱力に定評があるメンバーとして知られています。また、乃木坂46に加入する前には新体操を習っていた経験があり、身体の柔軟さや運動神経の良さが垣間見えます。
これらは舞台出演に非常に適した素養だと思います。それらが備わっていながら、彼女が舞台に出演する機会はデビュー当初のプリンシパル以外にありませんでした。
この様子から、僕は柴田柚菜さんが自身に備わっている能力を存分に発揮できる機会を満足に得られていないのではないかという見解をもっていました。
出演依頼が来ていないのか、オーディションを受けていないのか、オーディションを受けても合格しなかったのか。理由は分からないものの、なぜ彼女がこれまで舞台に出演していないのか僕は不思議で仕方なかった。
ちなみに今回の舞台出演は、それを告知するブログに「お話を頂いた」という一節があることから、恐らくは依頼によって実現したことが推察できますね。
このようなある意味で柴田柚菜さんが抑圧されているような状況を勝手に想像していたが故に、彼女が舞台に出演したらその反動で新たな才能が開花するのではないかと期待していました。そして、その瞬間を見てみたかったのです。
だからこそ、僕はその一報に触れた瞬間に「やっと来たか!」という感想を懐き、彼女がどんな作品に出演するかということに関係なく観劇を決めました。
後日、チケットの先行販売抽選開始と同時に応募し、無事に目当ての日程のチケットを購入できました。それから公演日を首を長くして待っていました。
さて、公演日が近づいてきても、僕は原作やあらすじに目を通そうとはしませんでした。
これは作品に興味がないからではありません。作品の情報を最小限にして舞台鑑賞を作品との最初の接点にすることで、その作品に対する興味や鑑賞時の新鮮さを最大化するための個人的施策です。
とはいえ、偶然にも出演者一覧が目に入った時、内博貴さんが重要な登場人物を演じることを知りました。これにより、僕のこの舞台に対する興味はより強くなりました。
内博貴さんのお芝居は数年前の「Endless SHOCK」で観たことがありました。しかし、それ以外では彼のお芝居を観たことがなかったのです。
実に個人的な理由ですが、内博貴さんが「Endless SHOCK」以外ではどのようなお芝居を披露するのか、その差異に興味を懐きました。
また、舞台を宣伝するメディアを見た時、作品に対する興味が一気に強くなったことを覚えています。
柴田柚菜さんが女子高生の制服を着ている。内博貴さんがスーツを着て一輪の花を柴田柚菜さんへ差し出しているが、彼女はそれを拒むような仕草をしている。そして、題名からこの作品の題材は恋愛であることが分かる。
女子高生とスーツを着た男性の恋愛となると、もしかして女子高生と教師の禁断の恋愛を描いている?
それはいくらなんでもありきたりな気がするが、女子高生とサラリーマンの恋愛というのも無理があるような気がする。いやはや、このような断片的な情報だけで連想しても答えが出るはずがありませんでした。
その答えを知りたければ、この舞台を全集中して観るしかない。いったい「恋と呼ぶには気持ち悪い」という作品はどんな物語なのかしら。個人的施策が存分に効果を発揮し、作品に対する興味が沸々と湧いてきました。
こうして僕は、柴田柚菜さんへの期待、内博貴さんへの興味、そして作品そのものに対する興味を胸に秘めて劇場に足を運びました。ワクワク感が絶頂していて、知らない作品を観劇することにおいて理想的な状態でした。
あらすじ
分かりやすい舞台感想文をアウトプットするためにも、作品のあらすじを記しておきます。
柴田柚菜さん演じる有馬一花は普通の女子高生です。ある朝の通学途中、彼女は内博貴さん演じる天草亮が階段から転げ落ちてしまう間一髪のところを救助します。
彼らは適当な言葉を交わしますが、お互いに名乗り合う間もなく有馬一花は登校遅刻を危惧してそそくさと立ち去っていきました。
その日の夜、有馬一花は龍本弥生さん演じる親友の天草理緒の自宅に来ていました。そこに帰ってきたのは、今朝救助した天草亮でした。有馬一花が救助したのは親友の兄でした。
天草亮は今朝のお礼がしたいと言い、有馬一花の希望を尋ねてきます。しかし、有馬一花は遠慮を繰り返すばかりで見返りを要求しません。
そこで天草亮は唐突に「キスとかは?」という、実にキザで狂気的な提案をしてきます。
彼は自分という存在に相当な自信があるのか、あるいは女の子はそのようなお礼を喜ぶと本気で考えているのか、その他にも恐ろしいほどキザで非常識な提案を繰り返してきます。
有馬一花はドン引きし、思わず「気持ち悪い」という本心を口にします。なるほど確かに気持ち悪い。
ここで関係が終わるのかと思いきや、天草亮は有馬一花の素直な態度と言葉に感動し、一瞬で恋に落ちてしまいます。挙句の果てには、有馬一花に対して「貴方は運命の女性だ」と言う始末です。
こうして、女子校生と27歳の課長代理サラリーマンの間で繰り広げられる一方通行の恋物語が始まります。
それ以来、天草亮は有馬一花へ毎日のように花を贈る等、あまりにも愚直な愛情表現をしてきます。
どうやら彼は妹の天草理緒から有馬一花の情報を仕入れているらしく、図らずも天草兄妹は以前よりも言葉を交わす機会が増えていました。
そして最初こそ拒んではいたものの、有馬一花はその良心故に天草亮を邪険にできなくなっていきます。
天草亮は有馬一花が体調を崩したら本気で心配して看病に駆けつけたり、喜んでほしいという一心で彼女の好きなものを事前に調査して提供してくれたり、とても献身的に振る舞います。
天草亮の愛情表現が偽りやからかいではないことを実感し、周囲から伝え聞いていく中で、有馬一花は徐々に彼へ心を開いていきます。
とはいえ、やはり有馬一花は普通の女子高生です。彼女には高校生同士の恋愛の方が元来馴染みやすいものです。
長江崚行さん演じる同級生の多丸快は、有馬一花と共通の趣味を通じて交流するようになります。その時間が増えていく中で、多丸快は次第に有馬一花へ恋心を懐くようになり、彼女へその思いを打ち明けます。
一方で天草亮は、小見川千明さん演じる同期入社の松島有枝から密かな恋心を懐かれています。そして彼女は天草亮へその思いを打ち明けます。
バレンタイン、文化祭、修学旅行、クリスマス。本来その中で紡がれていくべきは高校生同士・社会人同士の恋愛でしょう。
高校生と社会人の課長代理とで紡がれていく恋愛模様なんて、最初から破綻しているようなものかもしれません。
しかし、天草亮か多丸快か、物語の中で有馬一花の気持ちは一輪の花のように揺れ動いていきます。
感想
観劇中、ずっと感じていたことがあります。有馬一花に柴田柚菜さんはとてもよく合っている。まさにと言えるほどの適役だったと思います。
なぜあれほどまでに役が合っていたのか。
僕が考えるに、それは有馬一花と柴田柚菜さんが普通の女の子という共通点で繋がっていたからだと思います。どういうことなのか詳しく述べていきましょう。
「恋と呼ぶには気持ち悪い」という作品には、ほぼ舞台鑑賞という形でしか触れていません。それでも思うのは、有馬一花という登場人物はまさに普通の女子高生だということです。
舞台鑑賞後、漫画やアニメの公式サイトに目を通してみました。すると、有馬一花の紹介文にはたいてい「普通」という形容詞がついていることに気づきます。まるでそれを強調するかのようです。
そんな役を演じるのであれば、何よりもまず役者には普通であることが役を構成する要素として求められるでしょう。
一方で、乃木坂46が大好きな人間として僕の柴田柚菜さんに対する印象を素直に述べると、彼女の人となりやその佇まいは純朴で普通な女の子だと思います。
なお、ここで言う普通とは下手に芸能人らしい雰囲気を出していないとか、どこにでもいそうで親しみをもてるとかいう意味であって、侮蔑の意味は一切ありません。
この普通さこそ、有馬一花を演じるために必要なものだと思います。そして柴田柚菜さんは自身に備わるその普通さ故にこの役を獲得したのではないでしょうか。
だとしたら、普通であることもまた特徴であり武器になり得ると思います。
乃木坂46や芸能界には尖った個性をもつ人が多く、またそのような人の方が目立つが故に人気を獲得しやすいです。乃木坂46の同期メンバーである弓木奈於さんは分かりやすい例ですね。彼女は実に個性的で目立つ人物だと思います。
そのような世界において普通であるという性質は、本人にとって足枷に思えることがあるでしょう。
個性故の人気を獲得しているメンバーと自分を比較して、どうして自分はあんな風になれないのだろうと悩む機会が多いかもしれません。
しかし、柴田柚菜さんが普通の女の子だったからこそ有馬一花という役を得られたのだとすれば、そのような悩みは全く不要です。
誰かと自分を比較したり、自分を卑下したりする必要はなく、ありのままの柴田柚菜さんでいることが重要なのだと思います。
むしろ、普通でありながら芸能界に身を置き続けている人は希少だと思います。今後もその普通さを必要とする役や仕事を得ていくかもしれませんね。
さて、適役と思わせた要素は他にもあります。
まず思いつくのは当然ながら柴田柚菜さんの容姿です。有馬一花は女子高生なので、それを演じるからには女子高生の格好が似合う役者でなければいけません。それにおいて柴田柚菜さんは本当に的確でした。
これは僕個人の感想ですが、柴田柚菜さんはどちらかという童顔です。また、彼女は一人称によく自身の名前を用いています。
そのような幼さを醸し出す要素が起因してか、実年齢よりも若く見えます。なおかつ制服がこれまた恐ろしいほどよく似合う。
このnoteを書いている2024年5月現在、彼女は21歳ですが、制服を着てしまえばその容姿は紛れもなく女子高生のそれだと思います。有馬一花の髪型であるボブカットもよく似合っていますね。
ちなみに、柴田柚菜さんは2023/07/22に配信された隅田川花火大会復活記念のオリジナルドラマ「上を向いて」に出演し、この作品においても花火大会を待ち望む東京の女子高生を演じていました。
なるほど、やはり彼女には普通の女子高生役が似合うということですね。こういう現実世界のどこかで起きていそうな一般庶民の日常や人間模様を描くことにおいて、普通さというのはうってつけで不可欠な特徴だと思います。
次に、役者としての柴田柚菜さんには困惑の表情がとてもよく似合っていました。これも有馬一花を演じる上で的確な要素だったと思います。
普段は乃木坂46の一員として笑顔を絶やさないようにしているようで、その表情はとても可愛らしいです。とはいえ、この作品では彼女のもつ困惑の表情がとてもよく映えていました。
「恋と呼ぶには気持ち悪い」を回顧してみると、有馬一花は翻弄され続ける人物であることが分かります。
天草亮からの猛烈な愛情表現、彼に対して心を開きつつある自分、多丸快との恋愛模様、天草亮と多丸快の間で揺れ動く自身の気持ち、高校生である自身の進路等、作品の中で有馬一花が戸惑う場面は多かったと思います。
有馬一花が普通である分、その反動で周囲の個性的な登場人物達に振り回されているような様子です。
それを演じるために柴田柚菜さんが舞台上で見せていた困惑の表情は、本当に等身大で自然な仕上がりでした。有馬一花が懐いている困惑の感情を見事に表現していたと思います。
もしかしたら、柴田柚菜さんが自身の普通さ故に抱え続けてきた悩みを材料として作り出せたお芝居なのかもしれません。
その悩みがなければ作り出せなかったお芝居なのだとしたら、なおさら彼女が普通であることがこの舞台において重要な要素であると考えられます。
ちなみに、柴田柚菜さんの等身大の表現は他にもありました。例えば、バレンタインデーの場面です。
天草亮は有馬一花からチョコレートを貰えることを期待し、ことさらにバレンタインデーが近づいていることを彼女に訴えてきます。
ただでさえ天草亮は、有馬一花の前では狂ったような愛情表現をしています。内博貴さんのそのお芝居も毎度面白かったです。
それにうきうきした気持ちが加わっていることを表現するために、内博貴さんは一際素っ頓狂なお芝居を披露していました。「Endless SHOCK」の真面目な芝居とは打って変わって、観客を笑わせる意図が明確に読み取れます。
狙い通り観客が笑っている中、柴田柚菜さんも自然な笑みをこぼしていました。あれはお芝居ではなく、内博貴さんのお芝居を面白がっている心からの笑顔だったと思います。
ちなみにアニメの同じ場面では、有馬一花はやはり困惑した表情を浮かべていました。
あれほどまでにチョコレートを貰えると期待している天草亮へそれを渡さなかった場合、想像も出来ない事態になることを危惧しているが故の困惑です。
確かに、このような原作との相違を未熟な芝居と評価しても差し支えないでしょう。本当に原作を再現しようものなら困惑した表情を浮かべるべきです。
しかし、僕には柴田柚菜さんがありのままの自分で舞台に立ち、程よい緊張感の中でのびのびと芝居をしているように見えていました。彼女が舞台に立つことを楽しんでいるのが伝わってきて、和やかな気分になれてむしろ良かったです。
何より、このようなある種のアドリブを観られることが舞台の魅力です。出演者が今まさに舞台の上で生きて命を燃やしていることを実感します。
作品やその雰囲気を根底から崩壊させるようなことさえしなければ、相違は相違として楽しみ愛でることができます。
このように、適役を演じたことで柴田柚菜さんは僕の期待に申し分なく応えてくれたと思います。
この舞台には彼女が得意としているであろう歌やダンスはなかったものの、その瑞々しいお芝居は、翻弄されながらも一生懸命に生きる有馬一花を的確に表現していたと思います。
内博貴さんも、求められているお芝居に真摯に取り組み、原作や天草亮がもつ笑いの要素を余すことなく届けてくれました。
出演者のみなさんが作り上げる和気あいあいとした雰囲気は観ているこちらまで安心させるようで、とてもほっこりとした幸せな気分になりました。
さて、次に僕が注目したのは衣装です。
これまで舞台をいくつか観てきましたが、この作品は出演者の衣装交換が比較的多いように思いました。恐らく柴田柚菜さんが最多だと思います。
彼女は舞台に立っている合計時間が最も長い役者です。一度暗転や舞台から捌けても、異なる衣装で次の場面へすぐに出る必要があります。
そんな中で場面の転換に合わせて衣装を交換していくのは、かなり大変なことだと思います。しかも、女性が全く異なる服装に着替えるのであれば特に男性の視界に入らない個別の空間を用意してそこに入る必要があります。
実情は分かりませんが、きっと舞台袖ではせわしない衣装交換が繰り返されていたように思います。
ちなみに柴田柚菜さんは制服を基本として、私服、冬服、パジャマ等に衣装を交換していました。
重ね着等の工夫で対応できるかもしれませんが、あれほど衣装の転換が多いとなると重ね着で対応するのも限界があると思います。
だとすれば、やはり秒単位の時間に追われながらせわしない衣装交換が行われていたのではないでしょうか。
もしかしたら、ほんの少し台本に目を通して台詞を確認するような暇すらなかったのかもしれませんね。繰り返しますが、実情は分かりません。あくまで僕の想像です。
その他に僕が注目したのは、舞台セットとその転換です。
少し照明を暗くして目立たないようにしているとはいえ、これほど出演者自身が舞台セットを動かす作品は初めて観ました。それさえも芝居の一部として取り入れてる部分があり、僕にとって新鮮でした。
当然といえば当然のことですが、演出案というものは演出家によって全く異なります。その演出案は演出家がこれまでに築き上げてきた発想力によって生まれており、独自性が強く表れます。
僕がこれまで観てきた舞台では、出演者自身が舞台上に姿を現したまま舞台セットを転換していた作品はなかったように思います。
経験がなかったが故に、出演者自身が舞台セットを平然と動かす場面を観た時、僕は「そうか、こういうのも有りなんだ」と素直に関心させられました。
この舞台で脚本・演出を務めた伊勢直弘さんはこのような手法を是とする演出家だったんですね。
たとえ同じ舞台セットであっても、演出家によっては出演者自身に舞台セットを動かさせることを禁じ手と考える人もいるでしょう。
同様に、たとえ同じ原作であっても、演出家によって全く異なる演出案を練り上げるはずです。同一の作品を舞台化するとしても、その観せ方は演出家によって全然違ってくるんですね。
舞台において注目すべきは出演者や物語だけではない。
この作品を観たことで、演出家やその演出案も注目に値するということを理解し、自分の中で言語化することが出来ました。今後の舞台鑑賞で意識的に取り組んでみようと思います。
まとめ
この舞台の公式サイトに目を通してみましたが、どうやら現時点で配信は予定されていないようです。
つまり、この作品は劇場に足を運ばなければ観られないということですね。このnoteを公開した2024/05/06時点で残すは大阪で開催される4公演のみです。今後映像作品化されるかどうかも分かりません。
少しでも興味があれば、日程を調整して観劇すべきです。
そして僕は、あの舞台の製作に携わった全ての人々に報われてほしいと思っています。
舞台作品を作ることは簡単なことではありません。何日もかけて台詞を覚え、何日もかけて舞台セットと衣装を作り、何日もかけて最適な演出案を模索してようやく出来上がります。
そのようなある種の苦行を経た彼らには、大勢の拍手喝采を浴びて報われる権利があると思います。
柴田柚菜さんの瑞々しい等身大のお芝居と、役者としての第一歩にもぜひ注目してみてほしいです。
以上、【舞台感想文】恋と呼ぶには気持ち悪い でした!!