双頭のバビロン【読書感想文】

性行為よりえっちなことって、
あるんだよ…?

19世紀末、ウィーン。
オーストリア貴族の家系に生まれた双子は、出生してから数年後、とある秘密のため生き別れた。ゲオルクは名家の跡取りのためウィーンへ、そしてユリアンは「芸術家の家」があるボヘミアへと。
ゲオルクは陸軍学校へと行き、そこで決闘事件を起こして廃嫡され、新大陸に渡り映画監督になる。
一方、ユリアンは存在を消され、謎の少年ツヴェンゲルと共に高度な教育を受けた。
離れて人生を歩むゲオルクとユリアン。けれど、彼らは強烈な結びつきがあり、人生は幾度となく交差する……。
美しきウィーン、戦時下のハリウッド、そしてアヘンが蔓延る上海を舞台にした、幽玄で壮大な物語。圧倒的な構成力と、生々しい文章力が紡ぐ巨編。

(以下、ネタバレ)

途中までは遅々として進まず、三分の一を読むのに一週間つかっちゃたんだけど、残り三分の二を二日で読みました。わら。
三分の一読み終えたところで気がついちゃったんだ、この話の「双頭」ってゲオルグとユリアンじゃないってことにね…!
ゲオルグとユリアンはシャム双生児だったけれど、積み重ねた時間によって精神的なつながりを持った人物、ツヴェンゲルとユリアンこそが魂の片割れになれた…。最高やんけ。


もう、本当に野暮でダメな奴なんだけど、ユリアンとツヴェンゲルに肉体関係があったのかずっと気になってた。笑
ゲオルグの撮った映画『エレクトラ』の説明で「姉と弟との間の、相姦を思わせる絆は、暗示するにとどめよう。露骨に書いては浅薄になる。」(ハードカバー版P61L4~5)とあったのち、ユリアンが『エレクトラ』を観ている感想が「鏡に映る、少女と少年。戯れ合う二人。無邪気な戯れにしては、いささか不穏な気配がある。あれは私とツヴェンゲルだ。」(P439L13)。
そして再会を果たしたユリアンとツヴェンゲル(ここでゲオルグの「ムーラン」の構想がミスリードになっていて、読者も快い裏切りを得られるのSO GOOD)が、裸になってお互いの存在を確かめ合うシーン…。
えっっっっ!!!肉体関係とかどうでもいい…!!!とてもえっち!!!!
ツヴェンゲルがユリアンの脇腹の傷痕に、自分でつけた傷痕をくっつける仕草をするのが切なくて~!もう「あなたとひとつになりたい」ってことなのよな。
誰も持っていなかったツヴェンゲルは、ユリアンと本当の意味で「ひとつになりたい」と強烈に思っていた。それは、プラトンの「饗宴」で語られた、人間は元々二人がくっついた姿だったのに、切り離されたので自身の半身を探している、というのに似ている。
ユリアンの半身は肉体的に繋がっていたゲオルグでなく、ツヴェンゲルだった…(尊)
いや、まあ、つまりふたりは肉体的にも精神的にも繋がってたっていうことで私の中では落ち着きました。

ツヴェンゲルが鴉片チンキをユリアンに口移しで飲ますシーンって『トーマの心臓』の、ユーリとオスカーじゃん!!!!!!!!!!!!ねえ!!!
ユーリとユリアン!!!!!!!!!!!!!

ちなみに最後は「ツヴェンゲル」の言ってたことが真実だと思う。。哀しいけど、なんだか納得できる感じで好き。

おわり

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