見出し画像

J. D. サリンジャー『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア―序章―』感想

『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』 (野崎孝・井上謙治 訳、新潮文庫)

『フラニーとズーイ』以上に読みにくくわけのわからない作品。

「大工よ―」はシーモア結婚式の日の様子をバディが書いたもの。が、シーモアは出てこない。簡単に言うと、ドタキャンしたから。何が書かれているかというと、バディが取り巻かれている環境。シーモアがどのような人物か、会話を通して少しずつ明らかになっていく。

「シーモア―」は題の通りシーモアのことが書かれたものだが、これも書き手はバディ。ただ、これは本当に読みづらいというか、理解に時間がかかる。ささっと読めるものではない。シーモアの人となりやら、わかることはわかるがまとめられない。まとめる気にもならない。混沌としていて内容を思い出せない。シーモアのことがわかると同時に、バディのこともなんとなくわかってくる。鮮明に、とまではいかないが。グラース・サーガの中で一番と言っていいほど難度の高い作品だったように思える。

米文学研究をしてきた人なら読んでみてもいいかもしれないが、一般読者には強くおすすめはできない。

いいなと思ったら応援しよう!