
大造じいさんとガン×卒業生へ贈る詩
光村5年の文学教材『大造じいさんとガン』
国語教師の私は一読した時に、やはり美しい表現、色彩豊かな言葉遣い、そういったすぐれた表現が目に飛び込んでくる。
子どもはどうだろうか?
どうして大造じいさんは残雪を助けたの?
どうして大造じいさんは残雪をうたなかったの?
どうして残雪は囮のがんを助けたの?
子どもは多くの場合このような内容面に関する問いを持つ。
そして、子どもの問いに正対して授業を創っていくと、そのような美しい表現には目もくれずに読みが進んでいく。
そして、このままでは、表現の工夫に着目できないと焦りがあると、ついつい教師から『東の空が真っ赤に燃えて朝が来ました』って大造じいさんのどんな気持ちを表してるのだろうね?と、子どもに問いかける。
教科書の扉文には次のような言葉がある。
『優れた表現に着目して読み、物語の魅力をまとめよう』
つまり、教師がすぐれた表現に着目させたい!といくら思っていても、子どもは勝手には着目しないところに、この扉文の難しさがあるのだ。
子どもの学びたいことが合致していないままこの問いを投げかけたとき、子どもの多くはフリーズしてしまうといった失敗をしてしまったことがないだろうか。私はしばしばある。
そこで、優れた表現に着目したくなる仕掛けを作ることで子どもが必要感を持って着目するのではないだろうかという提案授業を創った。
私は2月末のちょうど6年生を送る会(本校では異学年交流の縦割り班において、5年生が中心となって6年生に色紙やメダルをプレゼントする場がある。)の計画をし始めた頃、5年生の子どもたちへ『6年生の卒業のお祝いに、自分の思いを6年生に届けるための詩を作ってみないか?』ということを国語の授業の内外で子どもにきっかけを持たせた。
子どもたちは、まず、6年生との思い出を振り返り、思いを語り合う。
『入学式の日にお迎え会でくじらぐもを読んでくれた』
『1年生のときおもちゃランドをしてくれて楽しかった』
『3年生の時にクラブ活動のこと教えてくれた』
『委員会や縦割り班をまとめてくれてありがとう』 、、、
こういった気持ちを直接伝えるのもいいけど
6年生のみんなに伝える最後の詩ってどんな詩にしたい?と問いかけた。
『カッコいい表現とかしたい』
『きれいな言葉や絵を添えたい』
『みんなで詩集とかにしたい』
ここで、『6年生にお祝いの詩集をつくることをゴールに示し、そんな詩を創るために、大造じいさんや文学の作品からヒントを見つけてみよう』という展開で大造じいさんとガンを読んだ。
ここで、『1.2.3.4章の中から1番6年生に伝える詩の言葉に使えそうなのは何章か?』という問いを投げかける。
この発問は内容面から形式面に目を向けるきっかけとなる。そして、詩を書くためにという目的意識を持った上での、読み直すきっかけとなる。
ほとんどの子どもは4章を選ぶ。
ある晴れた春の朝でした。
らんまんとさいたすももの花が〜
晴れ晴れとした顔つきで見守っていました。
といったような言葉をもとに、送り出す側の5年生の気持ちと大造じいさんの気持ちに重なりが見えやすい。
さらに、『正々堂々と戦おうじゃないか』という言葉が、6年生へのライバル意識の強い子どもや、これからは自分達がリーダーになるんだという気持ちが強い子どもにとっては重ねやすいようだ。
また、第1.2.3章を選んだ子どもは、いよいよこれから始まる中学校への熱い思いや期待感と重ねて、『秋の日が美しく輝いていました。』や『東の空が真っ赤に燃えて朝が来ました』を選ぶ子どももいた。
大造じいさんとガンの作品が、2-3月に読むことによって(光村では令和元年以前は9-10月教材でした)、卒業祝いと重ねて読むという仕掛けを作りやすくなったこともあり、このような展開で美しい表現に必然的に着目できたのではないだろうか。
さらには、自分の言葉に置き換えたり、他の作品からヒントを得たりして大造じいさんの作品の外側の言葉から詩を創る子も見られた。
これは、表現の工夫を自分なりに活用しようとしている姿である。
大造じいさんとガンは、長年にわたって扱われてきた教材であるが、また一つ新しい単元構想が見つかった。
今回提案した、卒業祝いの学習活動と関連させて、大造じいさんとガンの授業づくりが多くの先生方の参考になれば幸いです。
国語授業研究室
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