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学問こそが一番のエンタメである|バラエティプロデューサー・角田陽一郎|私が学ぶ「私的な」理由

学ばなければではなく、学びたい、知りたいから学ぶ。自身の体験や問題意識に基づいた理由があると、学びはもっと豊かになる。学び直す道を選んださまざまな職業人に、学びのスタイルと「私的」な理由を伺います。

学問こそが一番のエンタメである——。そう言い切るのは、フリーランスの「バラエティプロデューサー」として多方面で活躍中の角田陽一郎さんです。
 
1994年に新卒でTBSに入社。バラエティ番組のプロデューサーとして『金スマ』『からくりTV』などの人気番組を手がけてきました。2016年の退社・独立後は、東京大学大学院に入学し、「文化資源学」という新しい学問を学んでいます。また、自身のnoteや著書などを通じた、学び直しについての積極的な発信も目立ちます。
 
多忙を極める売れっ子テレビマンがなぜ大学院で学び直すのか。「文化資源学」という聞き慣れない学問は、角田さんの“本業”とどうつながっているのでしょうか。


「あらゆることが歴史」と気づいてしまった

——最初のキャリアはテレビマン。ですが大学での専攻は西洋史で、歴史学者になるという選択肢もあったとか。まったく違う道だと思うんですけど、これは……

それね、違うと思っているなら間違いで。
 
そもそもなぜ歴史だったのかと言うと、別に歴史好きって話じゃないんですよ。そうじゃなくて「あらゆることって歴史だな」と思ったんです。

——あらゆることが歴史?

算数とか数学で言うと、小学校のときに“ユークリッド”を習いますよね。で、中学校で“ケプラー”を習って、“ニュートン”を習って、大学で“アインシュタイン”を習う。つまり、数学を習う・勉強するというのは数学の歴史を学ぶことでもあるわけです。
 
それと同じように、たとえばビートルズが好きなら「1枚目の『Please Please Me』から『Let It Be』まで順番に聞いてみようかな」とか。あるいは「『Revolver』というアルバムで覚醒したんだな」とか。好きになればなるほどその歴史というか、来歴を知りたくなるじゃないですか。

——はい、はい。

僕は世の中のあらゆることに興味があったので。「AかBか」ではなく、AもBもCもDも、アイウエオも全部知りたいし、やってみたかった。それで歴史だったんですよ。「あらゆることが歴史」ってことは、逆に言うなら「歴史を選んでおけば、あらゆることを学べる」ってことですから。
 
日本史ではなく世界史だったのも同じ理由です。みんな「覚えることが多すぎる」とか言って世界史を避けるんだけども。世界史をやっておけば、その中には当然、日本史も入ってくる。そんな調子で、常に「なんでもできることがやりたい」っていう人間なんですよ。

——なるほど、そう聞くとテレビの道を選んだ理由もなんとなく見えてくるというか。

そう、テレビ局ってなんでもできるので。番組を作るってだけじゃなく、美術展とかもやってるし、TBSだとラジオもある。ライブハウスも持っている。映画だって作れるし、なんでもできるじゃないかと。
 
その中で「バラエティ」を選んだのもそうです。バラエティならスポーツも報道も、音楽もやれる。それこそ歴史番組だって作れますから。

——一貫してますね。

そうなんです。今は「バラエティプロデューサー」を名乗っていますけど、この肩書きにしても「バラエティ番組のプロデューサー」って意味じゃないんです。「いろいろやってる」という意味で「バラエティ」なんですよ。

「面白くない」も突き詰めれば「面白い」

TBS入社2年目、25歳の角田さん(本人提供)

 ——インプットにも、アウトプットにも貪欲なんですね。

単純に面白いことが好きなんです。
 
でも、世間が言う「面白い」って一面的だなと思ったりもします。みんな「この映画が面白い」「これは面白くない」とか言うんだけど、でも、面白くない映画も「なんで面白くないのかな」って探ってると、面白くなってくるはずなんで。
 
僕は作り手だから「ああ、脚本が甘いんだ」とか「キャラクターと俳優が合ってないんだな」とか、自然とそういうことを思っちゃうじゃないですか。そうするといつのまにか「もう一回見たい」になってくるんですよね。

——面白くなかったはずのものが。

勉強も本来、その延長にあるものじゃないかと思うんです。僕はいつも「ヤンキーはバイクに詳しい」って言ってるんですけど。掛け算もろくにできなかったとしても、バイクのこととなると「これは何気筒で……」とか平気で話し出すのが彼らじゃないですか。
 
好きだから覚えるし、好きだから理解したくなる。つまらないと感じたら、そりゃあ勉強する気になんてなれないですよ。
 
リスキリングや学び直しにしても、義務感だったら一ミリもやる必要なくて。好きなことを伸ばすっていう方が絶対にいいと思うんですよね。

——では、角田さんが大学院へ通っているのも「面白さ」を求めてのこと?

まさに。学問が一番のエンタメだと思ってるんで。
 
でも世間的にはそうは思われてないじゃないですか。それがすごくもったいないなって。学問こそが一番面白いってことを世に知らしめたい野望があります。

——だからご自身が学び直すだけじゃなく、それを積極的に発信されているんですね。

これね、テレビとか新聞、出版の一番の問題だと思うんですけど、「視聴率を取るにはバカっぽく作らなくちゃいけない」みたいな風潮があるなって。
 
テレビ局には偏差値の高い人がたくさん入ってきていて、そういう「自分のことをレベルが高いと思っている人たち」が、口を揃えて「レベルを低くしなきゃ」「バカっぽく作らなくちゃ」と言っている。僕にはそれが我慢ならなくて。

——視聴者や読者を下に見ていて、そこに合わせにいっているというか。

でね、大学院に通い始めて、駒澤大学の学長を務める石井清純先生の講義を受ける機会があったんですけど、その授業がハンパなく面白かったんですよ!
 
禅思想についての授業なんですけど、この先生は「なぜ6世紀に禅思想が中国から入ってきたか」という話と、「スティーブ・ジョブズが禅思想に基づいてiPhoneをデザインしている」って話を同列に語るんです。もうね、面白すぎて、全テレビマンが受けた方がいいと思いました。
 
つまり何が言いたいかというと、「レベルを下げないと面白がってもらえない」なんてのは嘘で。本当に面白いことを言えば、レベルなんて関係なく伝わるってことなんです。
 
多くの作り手がそのことに気づいたら、もっと面白いものが生まれるんじゃないか。そう思って、YouTubeで学問とエンタメをつなぐ番組をやったりとか、いろいろと仕掛けてるんですけどね。

大人の利点は「見立て」にある

——先ほどの「本当に面白いことならレベルなんて関係ない」というお話にはとても共感する一方で、何を「面白い」と感じるかはやはり人それぞれという気もするんですが……

違いますよね。それでいいんだと思います。
 
たとえば最近僕が受けて面白かった授業の一つに、中世の日本美術史が専門の、高岸輝先生の授業があります。
 
もともとはそんなに興味がなかったんですよ。西洋絵画や現代アートには興味があるんですけど、ああいう大和絵みたいなのはなんか古臭い感じがして。だけど受けてみたら、これがまたすっごく面白かった!
 
日本の美術って、たとえば奈良時代に描かれたものが平安時代、鎌倉時代……と時代を経るとともにコピーされていくんですね。『源氏物語絵巻』とかも、オリジナルは平安時代に描かれたんだけど、今残っているのは鎌倉時代以降のものだけ。つまりコピーだけです。
 
じゃあそういう美術品に関して「オリジナルとコピーではどちらにより価値があるでしょうか?」と先生は問うわけです。普通はオリジナルだと思うじゃないですか。ところがその先生は「コピーの方が価値がある」って言うんですよ!

——えっ。逆じゃないんですか?

コピーと言っても手で写すので、間違えることもある。逆に技術力が高ければ、オリジナルよりクオリティの高いコピーができあがることもある。つまり、その時代時代でどれくらいの技術力があったのか、あるいは意図的に足したり引いたりしているところを見ると、その時の主義や思想、文化なんかもわかったりする。それはコピーだからわかることなんです。

——なるほど、むしろ情報量が増えるんですね。

そうなんです。だから美術品に関しては、コピーというのはすごく価値がある。
 
……っていう話を聞いて、僕はすごく面白いと思ったんですけど。でも僕がこの話を面白いと思ったというのは、聞いた話をそのまま受け取ったというのではなくて。脳内でちょっと変換して面白がってるんですね。

——脳内で変換。どういうことですか?

人間の生き方としてもよく言われるじゃないですか。「真似ばかりしているのではダメだ。本物であれ」って。でもこの講義を聞いたときに、僕は「コピーでもいいんだな、俺たちの人生も」と思ったんです。「パクりでもいい。問題はそのパクり方だ。パクった上に何か一個乗っけることによって生まれるのが自分なりのクオリティなんだ」というふうに置き換えたんですよ。

——ああ、人生の話に通じると思ったんですね。

大人の学びが面白いのって、まさにここだと思うんですよね。自分のフィールドに置き換えられるところ。
 
興味のある授業をそのまま興味のあるものとして受け止めるのでもいいんだけど。それを自分の仕事だったり人生だったりに置き換えて、どう運用しようかなと考えることもできる。僕はそれを「見立て」って呼んでます。

——見立て。

自分の人生にどう見立てるかという視点に立てば、そんなに興味のない授業でもとりあえず受けてみるか、となるじゃないですか。そうするとまだ見ぬ面白さに出会うことがあるし、それが思わぬかたちで自分の人生に役立つこともある。
 
それを探せるのが大人の利点だと思ってます。20歳前後の学生だと経験がないぶん、見立て力が弱いですからね。

——一つのことを突き詰めてきたからこそ、というのはありそうですね。

社会人の学び直しってそっちなんじゃないかと思うんです。自分の専門を突き詰めるんじゃなくて。自分の専門はもう仕事でやってるんだから、むしろ全然関係ないことを授業でやってみて、そこでどう見立てて、仕事の方も豊かにできるか。
 
実際、本当に何の関係もない授業とかも受けてますもん。「アフリカ文学概論」とかね。アフリカ文学なんて読んだこともなかったけれど、今はめちゃくちゃハマってます。「こんなに面白いんだ!」って。
 
そうすると「今流行っているものだけが面白い」という価値観が壊れていく。その「ガラガラ壊れていく感じ」がまた面白いんですよねえ。

なぜこうも「星座がつながる」のか

——大学院に行こうと思ったのには、文化人類学者の小川さやかさんのひと言が大きかったそうですね。

そうです。2018年に一緒にトークイベントをやったんですけど。その後の打ち上げの席で「そんなに学問が好きなら、大学院に行けばいいじゃないですか」「私がいる立命館にも月イチで東京から通ってる人がいますよ」と言われて。
 
その「月イチ京都」って響きにすっかりやられてしまってね。酔ってたのもあって、その場で「行きまーす!」なんて手を上げたりして。

——飲みの席の勢いで。

そうしたら帰りがけに「もし本気で大学院に行くなら、学びたい学問か、学びたい先生がいるか、どっちかがいいんじゃないですか?」と言われたんで。東京に帰って、諸々の条件を考慮して調べてみた。それで辿り着いたのが東大の文化資源学だったんです。
 
ホームページを見てみると「あらゆる文化をいろいろな学問を使って資源化する学問」とあるじゃないですか。それを見て「バラエティプロデューサーとまったく同じじゃん!」「文化資源学って俺の学問じゃん!」と思っちゃったんですよね。

——なるほど。それにしても、飲みの席のひと言でそこまで突っ走ってしまう決断力というか、行動力もすごいですよね。

僕ね、偶然しか信用してないんです。基本的に自分の思った通りにならないのが人生、出会ったものに価値があるって昔から思ってるんで。小川さんに出会って、小川さんが言ったんだから。それはもう神の啓示だと思ってるんですよ。

——神の啓示! 今回角田さんにインタビューを申し込んだら、ものの数分でレスが返ってきてすごく驚いたんですけど、それも……

「来た=啓示」だと思ってるから早いんです。悩む必要がない。
 
さっき「つまらない映画なんてない」と言ったのもそういうことです。映画なんて世の中に何億本もあって、一生かけても全部なんて見られないわけですよ。という中で出会った1000本はもう、出会っただけで価値じゃないですか。「つまらない」なんて言ってるのはおこがましいというか。

——確かにインタビューの仕事をしていても、こちらに面白がるメンタリティがあり、しっかりと深堀りすることができれば、どんな人に話を聞いても面白い。となると「他でもないこの人」に話を聞く理由は案外なくなってしまうというのは感じるところで……。

 本当にそうなんですよ! もう「その瞬間に出会っている」ということ以外に理由はなくなる。そうすると自分からゲットしようというより、来たものをどう受け入れるかという発想になっていきますよね。

——その結果、まさに自分とぴったりの学問と出会ったわけですね。

出会っちゃう。僕、水道橋博士と仲がいいんですけど、彼はそれを「星座をつなげる」と言っていて。でね、僕も博士もすごくよく星座がつながるんですよ。
 
それであるとき「僕らってなぜか星座がよくつながりますよね」と博士に聞いたら、「それは僕らが何にでも興味があるからだ」って。

星座って、いくつかの星があって、そのうちの何個かをつなげてみたら獅子に見えたから獅子座、じゃないですか。で、僕らは何にでも興味があるから、そもそも死ぬほど星があるわけですよ。たくさんの星がプロットされているから、獅子だろうが乙女だろうがなんでも描けるわけです。
 
そんなに星座がつながらない人って、星が三つくらいしかないんですよ。だからいつも同じ三角形になってしまう。それで「退屈だ」とか「つまらない」って言ってるんだろうなと。
 
大学で学び直してから、企画力がまた無限大に広がってるのを感じますよ。星の数が増えて、順列の組み合わせが増えるから。本だって書けちゃうし、こうやって新しい仕事も向こうからやってくる。本当にもう、いいことしかないなって。

日々教養しましょうよ

——新著のタイトルは『教養としての教養』というものですが、ここにはどんな思いを込めたんでしょうか。

教養ブームですよね。でも世間の言う教養は、たとえばワインの教養のある人・ない人というように線引きみたいになっちゃってる。「それは間違ってるよ」ってことを僕は書いたんです。
 
これは名古屋大学の戸田山和久先生の授業で聞いたんですけど、「教養」って、明治時代に言葉として生まれた当時は動詞だったそうなんですよ。

——動詞? 名詞じゃなくて?

「教養する」という動詞。つまり「教養のある人・ない人」って概念自体が間違ってて。教養というのは日々教え、養うという「行為」なんです。「あなたは教養ある人だよね」ではなく、「教養してますか?」が正しい。だから学び直しって、まさに「日々教養すること」なんだろうなと。

——そういう意味では、必ずしも大学院に行かなくても……

できるんじゃないかな。僕自身も「自由大学」というカルチャーセンターのようなところで教えたりもしてますし。興味をどうつなげていくかってことをやっていれば、それが大学でなくても教養になるんじゃないかと思います。

——だとすると、改めて「なぜ大学院に行くのか」と聞きたくなります。

修士でも博士でも論文を書く必要があるじゃないですか。論文って過去の偉人たちの研究を知った上で書かなきゃならないんですよ。ただ、実際に過去の文献を調べるってのは結構大変な行為で。だから最初はあまり乗り気がしなかったんです。
 
でも最近気づいたんですよ。参考文献が必要なのは論文に限った話じゃないんだなって。たとえば僕がnoteで書く「昨日飲んだコーヒーが美味しかった」という文章も、「昨日飲んだコーヒー」があるから書けること。パレスチナの紛争を見てしたためられた曲だって、紛争自体がなければ生まれなかった。そういうことって山ほどあるじゃないですか。
 
僕が仕事でやってきたことなんかも含めて、あらゆることはインプットして、アウトプットすることなんだと気づいたんです。そうしたらむしろ「論文が一番書きたい!」となったんですよ。

——どうしてですか?

テレビって結果が求められるから。やっていて一番苦しかったのはやっぱりそこで。作った番組の視聴率が悪かった、YouTubeを作っても視聴数が伸びなかった、ネットで書いた文章が読まれなかった……結局みんなそこばかりを気にするじゃないですか。
 
ところが論文だと、そこはどうでもいいんですよ! 自分は大学教授になろうとも、偉くなろうとも思ってないから。今までインプットしてきたものを一番ピュアなかたちでアウトプットすればいい。利益とか売上とかを気にせずにそれがやれるんですよ!

——そんなこと言われたらやりたくなっちゃう人が多そうですね。僕もその一人かも。

っていうふうに書いておいてください。本当にいいことしかないんで!
 
僕自身50歳になったし、これまでテレビ番組を作るというかたちでやってきたことを、今後は論文でやろうかと思ってます。無事博論を出したら文化資源学者を名乗ろうかな、バラエティプロデューサー辞めちゃおうかなって本気で思ってるんです。
 
なのでみなさんも一緒にどうですか、学び直し。絶対に本気でやった方がいいと思いますよ!

角田陽一郎
1970年千葉県生まれ。
東京大学文学部西洋史学科卒業後、1994年 に東京放送(TBSテレビ)に入社。「さんまのスーパーからくりT V 「中居正広の金曜日のスマたちへ」「EXILE魂」「オトナの!」など、数多くのバラエティ番組を担当。 会社員の枠を超えて、映画監督やネット動画配信会社の設立、音楽フェスティバルの開催、アプリの制作、舞台演出、多種多様なメディアビジネスにも携わる。
note:https://note.com/kakuichi
X(旧Twitter):https://twitter.com/kakuichi41

執筆:鈴木陸夫/撮影:金本凛太郎/編集:日向コイケ(Huuuu)