自分の中に眠る人の物語を書き残したい。蕎麦屋の女将兼ライター青柳寧子さんが書く理由
――蕎麦屋の女将さんになるまでに、どんなお仕事をされてきたのですか?
いろいろありまして……。大学で学芸員資格を取る際、某美術館で実習をさせていただきました。そこで人手が足りないということで、卒業後学芸員として働かせていただくことになりました。しかし諸事情あり数年後に退職。縁があって医療系の雑誌でライターをするようになりました。
――ライターのお仕事も充実していらっしゃったんですよね。蕎麦屋の女将さんになった経緯は?
パートナーと結婚したことが大きなきっかけでした。彼は当時お蕎麦屋さんの雇われ店長だったのですが、独立をしようか悩んでいるタイミングだったんです。かなり悩んでいて体が心配になるほど心労が重なっていたので、「いっそ独り立ちして心機一転やっていこうよ」と話し、出店を後押しすることにしました。
ライターの仕事は好きだったので、「この先もライターの仕事は続ける」という条件で結婚しましたし、続けるつもりだったんですが……。独立の経緯で彼が疲弊していたし、「蕎麦屋やりましょう、でも私はライターを続けるから」なんて、ちょっと冷たすぎるでしょう(笑)?
私は大学時代にほんの少し飲食店のアルバイトをしたくらいで、ほぼ未経験。お店が開いているときはもちろん、それ以外のときにも仕込みやら準備やらの作業がたくさんあって、開店当初はライター活動をする時間は取れませんでした。
お店は義理の妹が手伝ってくれてなんとか回していきましたが、慣れるまでは膝を痛めたり、ぎっくり腰になったりして大変な状態でした。それで、3年ぐらいは女将業に専念していましたね。
――ライターとしての活動を再開したきっかけは?
女将業のみだった頃、以前からお世話になっていた編集者さんが「とにかく少しでも細くでも書くことは続けたほうがいい」と言ってくれて、ある書籍情報誌のWEB版の書評欄を紹介してくださったんです。これが女将になってからの最初のライター活動でしたね。
しかし徐々に「もっと書きたい!」とフラストレーションがたまってきて……。私はもともと、人のお話を聞くのが大好きで、だからインタビュー記事が書きたかったんです。そこでいろいろな方に「どこかでインタビュー記事を書けないかな? あったら紹介してください」と声をかけたところ紹介していただいたのが『われら茶柱探検隊』というフリーマガジンでした。ここで年4回ほどインタビュー記事を執筆させていただくようになりました。
――どんな方をインタビューする記事ですか?
お店をやりながらだと、なかなか取材に行く時間を取れません。だったら、お店のお客様を取材させていただければいいのではと思いついたんです。そこで、お店でカウンター越しにお話ししたときに、「あ、このお話、もうちょっと聞きたいな」と思った方や、コミュニケーションが取れる方、あと、短気じゃない方(笑)にお願いしています。なぜかというと、女将と兼業なので、どうしても記事にするまでに時間がかかるんです。そこを「まだなの?」と催促されると焦ってしまいますから。
――マグロ漁船に乗っていたお寿司屋さんのお話や、税理士だったのにその後大学院に行かれた方など、おもしろい方がたくさん登場していますね。
連載当初は「一般の人の話を聞いても読みごたえないんじゃないの?」なんて言われていました。でも、驚いたことにじっくりお話を聞くとおもしろくない方はいないんですよ! どんな方にも物語があるんだと改めて思いました。
お寿司屋さん(梅川さん)は、もうホントにお話がおもしろくて、お店でお話ししているとお客さんがみんな聞き入っちゃうほどで「女将さん、この人の話は絶対書き残したほうがいいよ」と言われていたんです。でもご本人は「いやいや、僕なんてどこにでもいるただの寿司屋ですから……」なんておっしゃって。でも改めてうかがうとほんとうにおもしろい。
――どの方も魅力的な方ばかりですね。今はライターとしての活動を、どれぐらいやっていらっしゃるんですか?
今は書評はやっていません。そして、フリーマガジンのほかにお店のニュースレター『ありまさ あり〼(ます)』、それからnote を書いています。
以前からお店のニュースレターをつくりたかったけどなかなか時間がとれず、コロナ禍のときに初めて作成しました。A4三つ折りで、期間限定メニューの紹介や女将(私)のコラム、コント作家さんのそば屋コント、義母の俳句や女医さんの医食同源コラムなど盛りだくさんの内容です。
noteは、お客様2人から強力におすすめされて始めたんです。お一人はジャズトランペッターの原朋直さん、もうお一人は日本語教師の川村ひとみさん。お二人とも、お客様インタビューをさせていただいた方です。
お二人同士は知り合いでもないのに、ほぼ同時期に「noteをやったほうがいい」と強くすすめてくださって。どうも腰が重くてなかなかその気になれなかったんですが、「そこまでおっしゃるなら」とやってみたら、おもしろい(笑)! 文を書き溜めていられることもですし、コメントいただけるのも楽しいですね。こんなふうにいつも周囲の方が導いてくださることが多くて感謝の限りです。
――お忙しい中、文章を書く量が増えてきていますね。青柳さんにとって文章を書くことはどんな意味があるんでしょう。
文章を書くことの大切さ、おもしろさを教えてくれたのは、noteでも紹介しているC子さんという方のおかげです。当時50代前半と思われたC子さんは、親戚でもなんでもないのに、まだ子どもだった私と文通してくださったんです。いつもたっぷりの枚数に、感じたことや見たり聞いたりしたことを書いてくださって。私が返事を送ると、また返事がすごい速さで届くんです。
C子さんとの文通で、心に秘めたものは表現しなければずっと心のなかにあるだけで、だからこそアウトプットすることが大切……ということをすごく教えてもらったんです。
あと、私は体がそれほど丈夫ではなく、今年50歳になって、「あとどのくらい文章を書けるかな」と考えると、せいぜい75歳ぐらいまで? と思っているんです。文を書くことって体力を使いますから。そう考えると残り時間はあまりない。noteにお客様のAさんという高齢の女性のことを9回にわたって書きましたが、Aさんとの出来事も、書かなければ私の心の中だけのことになってしまって、やっぱりそれはもったいないなと思って書いたんです。
今もお一人、書き残しておきたい方がいるんですが、やはり体力をすごく使うので、いつ書くか考え中です。
こうして、残しておきたいことをnoteに書いていこうと思っています。noteって、書いてすぐにたくさんスキがつくとか、コメントが付くとかの反応がなかったとしても、載せておけば、いつか誰かが読んで、そこに価値を見出してくれるかもしれない、誰かの役に立つかもしれない、そんなふうに使える媒体だと思っています。だから少しずつでも、私の中に眠っていて、でもたくさんの人に知ってもらいたいことを書いておきたいと思っています。
――よく分かります。noteは青柳さんの世界の博物館みたいなものなのかもしれませんね。これからも女将とライターを両立していく予定ですか?
そのつもりですが、私たち夫婦の年齢や体調次第で、今と同じ形でお店を営業していくかは分かりませんし、そのときどきの状況を見ながら、バランスを考えて続けていきたいですね。当面は、女将もライターもがんばっていきたいと思っています。
――ありがとうございました。次の「お客様連絡帳」も楽しみにしています。そしてお蕎麦を食べに行きます!
取材・文:有川美紀子 撮影:押尾健太郎 編集:篠宮奈々子(DECO)
企画制作:國學院大學