爺ちゃんの自伝を出版しました(まえがき)
うちには、爺ちゃんの自伝がある。
私が生まれたのは田舎の小金持ちの家で、祖父はそこの帝王だった。
キツくなってくるので詳細は省くが、いわゆる田舎の家父長制ファミリーにありがちな闇エピソードにはだいたい既視感がある。(興味のある人は「膿家」で検索どうぞ……)
小金はあったが文化への感度は低く、図書室に入り浸る私に、積極的に本を与えるようなことはなかったように思う。のちに、祖母は私の高校進学に反対した。付き合った男性が長男か否か、彼氏の父親が長男か否かは重要な問題で、彼氏の実家の場所にはだいぶピリピリしていた。もちろん見合いの話もあったし、成人式の着物はそれはそれは豪華だった。
私がいつまでも結婚しないので、とっくに別れた元カレの家に手土産を持って「ウチの娘と結婚して家を継いでくれ」と頼みに行く計画もあったらしい。さすがに実行はしなかったらしいが、それを聞かされたときのドン引き感情は今でもまざまざと思い出せる。
私はそういう家に育ったので、家庭とは最年長の男性のために存在していて、子どもは家来、嫁は奴隷なのだという呪いにかけられていた。
そう思いながら生きていたため、実はいまでも「結婚に夢を見る人」のことは本当に理解ができない。また、「穏やかで可愛いおばあちゃん、長生きしてね」などと聞くと、「は???オマエ年寄りと暮らしたことあんの???」とすら思ってしまう。
お客さんとしてたまに会いに行くだけの身内の老人なんて、『ちびまる子ちゃん』作中のおじいちゃんとおばあちゃんみたいなもの、いわば猫カフェの猫だ。さくらももこさんの祖父母が実際にはどんな人だったか、エッセイを読んだことのある人ならご存知だろう。
以上のように、私にとって祖父は呪いの源泉でもあり、それでも私が社会人として経済活動に参加できるまでの育成・教育コストの原資をつくってくれた恩人でもある。感謝はしているが、好きではない。尊敬するべきと考えてはいるが、決して肯定はできない。
そんな祖父が、自伝を遺している。
祖父が作家になりたがっていた、と聞いたことはない。おそらく、写植機の小型化か何かで印刷のコストが下がって「格段に本を出しやすくなった時期」みたいなものがあったのだろう。田舎の小金持ちに本を書かせるビジネスが流行ったのではないかと思う。
私はずっと、この8万字を越える自伝を持て余していた。
しかし、エクソダスを果たしたいまでは、また思うところも変わってくるものである。
まず、「よく書きあげたな」だ。
自分のことを脚色なく、40年分も記憶を遡って書くのは、誰にでもできることではない。家を出た日時やそのときの手持ちのお金、何日後に誰に手紙を書いたとかの細かいこと。実家や親戚との折り合いが悪くて頼りたくなかったこと、それでも縁を切ることはできなかったこと。
また、「よく考えてある」のだ。
意外なくらいに、「読ませる」。とくに敗戦前後の描写は、祖父の見たものが目の前に浮き出るようだ。
世話になった人のことは名前つきで細かくエピソードを書くのに対し、トラブルやセンシティブな話題は絶妙にぼかして特定を不可能にしていて、それでも内容はギリギリ分かるような情報量になっている(被差別地区に関する話題と思われる)。こんな細やかな気遣いができる人だっただろうか。私の記憶のなかには、そんな祖父はいない。
そして、なにより強く感じたのは、「この情報って、実は貴重なんじゃないか」という思いだった。
祖父は、不特定多数に届けるつもりで書いてはいない。この自伝はほんの数冊、家族の手元にあるだけで、それ以外はどこにも広められていない。それだけに、昔の出来事やそのときの思いがかなり克明に記されており、行間から見える当時の「日本人観」がとても興味深い。
これが書かれた当時は、とくに違和感もないドミナントな日本人像だったと思われるものも、校了から30年以上。祖父の自慢話はともかく、情報には資料的価値を感じるようになっている。こういうナマの記録って、実は貴重じゃないか?
というわけで、あらためて文字おこしして、歴史資料として公開しようと思ったのだ。
歴史資料として残すのであれば、いつかどこかに現れる(かもしれない)、この情報を必要とする人にも届けたい。それなら、インターネットよりも本の形にしたほうがいいだろうと思った。近年、インターネット黎明期の記録はすごい勢いで消えていっている。耳目を集めない地味な情報は、誰からも省みられず、誰にも届かないままサービス終了とともにひっそりと失われているのだ。
積まれた本の山の高さが、国の文化のレベルだ。本は、作って出すことに意味がある。そう思って、祖父の自伝を出版することにした。
その特性上、どうせ売るなら巨大プラットフォームで、ロングテールにも対応できる方法で……と考えていたら、Amazonにちょうどいい仕組みがあったので、利用させてもらった。
それを、(祖父の遺伝を感じて正直ちょっとイヤなんだけど)自分でできそうなことは自分でやってみよう、のマインドでやってみたら、案外できてしまったのだ。これは、作家志望の人にとって役立つ情報になるのではないかと思う。
そう思って、久々にシミルボンで連載を始めることにした。
ちなみに、爺ちゃんの自伝こと『昭和十二年十一月、東京』はこちら。(「なか見!検索」でけっこう読めちゃうので、立ち読みだけでもどうぞ)
投稿日 2019.03.28
ブックレビューサイトシミルボン(2023年10月に閉鎖)に投稿したレビューの転載です