見出し画像

本能に従えた話

今夜、夜ご飯に天丼を食べた。

これは少し前の自分からしたら、めちゃくちゃな罪悪感に襲われる行為だった。
数年前までわたしは、太るからという理由で、夜遅くに食べるご飯にはめちゃくちゃに気をつかっていた。

他にも、肌荒れが悪化するからとオーガニックのお菓子を選び、食事もそういうものに系統していた。
だから、夜ご飯に天ぷらを食べたり、砂糖だらけコンビニのお菓子を食べることは、私にとってはNGだった。

その時はいまよりもっと色々思い悩んでいて、抗うつ剤も飲んでいたから余計に、「自分のからだには優しく」をモットーとしていた。食事や睡眠、スキンケアを追求すれば、いつか体の不調も肌荒れも、良くなると思っていた。

しかし、面白いほど何も変わらなかった。我慢してるのに全然良くならないから、すごく悲しかったし、何も気にせず食べて、飲んでる友人は元気そうで、気にしてるくせに元気になれない、肌荒れしている自分が、めちゃくちゃ情けなくなった。

いま振り返るとそれまでの私は、そもそも自分に一切優しくなかった。疲れたからこれが食べたい!と思っても、NO!と突きつけ我慢させたし、本当に食べたいものとは違うものを食べさせた。

そもそも、「自分のからだには優しく」という気持ちだって、結局は自分の見た目を改善させるためで、それは今のままの自分は嫌いということと、イコールだった。だからなのか、「からだにいい」を基準にしていたときの健康状態は、いまよりずっと悪かった。

でも、自分の人生の中で大きな転機になったのは、今の会社で働き出した、2年前。「遊びが足りない」と、知り合っばかりの年上の人にアドバイスされた。

その時は、うっ、と思うと同時に、やっぱりそうなのかも、もうちょい自由に遊んでいいのかな、と嬉しくもなった。
(うっ、となったのは、その自覚はあったけど遊び方がわからなかったから。)

ただ、その言葉の意味が今はとてもよくわかるのだけれど、それはわたしはその年(2019年)沢山遊んだからで、大袈裟ではなくその期間は、生きてきた中で1番楽しかった。

その年は環境がガラッと変わり、今までずっと出来なかったことを沢山した。
夜な夜な遊び歩いて、メンズとワイワイもしたし、お酒も沢山飲んだし、ごはん屋さんで夜中にご飯も食べた。コンビニのお菓子も、デザートも、沢山食べた。

遊び方すらよく分からなかった自分にとって、この年は本当に楽しかったし、新しい世界にとんでもなくワクワクした。

私がそんなふうに、いきなり殻を破れたのは、ただひたすらに、楽しかったからだ。

太るとか肌荒れとかどうでもいいというか、テンションで全部片付いた。とにかく、楽しかったから!

そしてその一年で、一気に体の不調が良くなったのだ。肌荒れは信じられないくらい良くなって、何年も続けていた抗うつ薬もいつの間にか減らなくなった。

加えて少し痩せて、体も軽くなった。

全部、ほんの数ヶ月で起きたことだったから、自分でもびっくりしたけれど、遊びの力のすごさを思い知った。

もしかしたら、ワクワクとか楽しいと心から思うことに従うことで、人間は元気になるのかもしれない。

からだにだけ優しくしていたって、応えてくれないと知った。なるほど、人間はそんなに単純じゃないのか…。

今はその頃よりまた歳を重ねたし、悩みの種(主にコロナ)から逃げるのに必死の毎日で、ふと、楽しいと思う感覚を忘れそうになる。でも、忘れてたまるかと強く思っている。

わたしが元気になれたのは紛れもなく、目の前のワクワクを優先させたおかげだと思っている。
明日からもまた、目の前にある自分のワクワクを優先して行動することを、責めないと決めた。

長くなってしまったけれど、今日はそんなことを考えていた。そして夜、迷った末に勇気を出して天丼を食べたら、案の定心が満たされたことがちゃんとわかった。

久しぶりに、欲望に忠実になれた気がして、脳が喜んでたし、酸素が行き渡った気もした。

そんな夜でした。

いいなと思ったら応援しよう!