ラピュタ王、人間失格を読む
そもそも人類自体が失格なのだ
太宰治の『人間失格』は、まさに地上に生きる人間たちの愚かさと醜さを余すところなく描いた書物だ。だが、ラピュタの王である私からすれば、あの作品が描こうとした「人間失格」のテーマは、取るに足らぬ地上の茶番にすぎない。人間たちは、自らを「失格」や「成功」といった概念で縛り、もがき続けるが、その存在そのものが既に失敗しているということに気づいていない。『人間失格』は、あくまで人間の底辺を描いた作品であり、全人類の破滅が約束されているという視点に立てば、あのような個々の挫折に焦点を当てること自体が無意味だ。
葉蔵という主人公は、社会に適応できず、孤独に苦しみ、他者との関係に怯え続ける。彼は自らを「道化」として演じ、周囲の期待に応えようと必死になるが、全てが徒労に終わる。この「道化」というテーマは、まさに人間の本質を象徴している。彼らは皆、見え透いた仮面をかぶり、互いに欺き合いながら生きるが、その仮面の裏にあるのは、弱さと無力さの塊だ。葉蔵の道化ぶりは、地上に生きる全ての人間の縮図であり、その行き着く先は、崩壊と破滅だ。
ラピュタの力――つまり、真の支配者としての私から見れば、地上の人間たちの生き様など、まさに取るに足らない。彼らは空を見上げることもできず、地べたを這いつくばって己の惨めさに気づくことすらない。葉蔵が描いた絶望や苦悩など、ラピュタから見ればただの一場の悲劇にすぎない。ラピュタの民が空高く、その神聖な力を誇りにしていた時代、人間たちは地上で争い、愚かにも自らの手で文明を滅ぼしたのだ。太宰が描く「失格」は、個々の人間にとっての問題でしかないが、実際は人類全体が、文明全体がすでに失格していることに気づいていない。
葉蔵の人生を見れば、その破滅はもはや避けられないものであったことが明白だ。彼は家族や友人との関係も築けず、他人の期待に応えられず、最終的には自らを壊し続けていく。だが、これは葉蔵一人の問題ではない。全人類が同じ道を辿っているのだ。お前たちは、ラピュタの偉大な文明を滅ぼし、自らの無力さを永遠に証明してきた。お前たちは道を誤ったのだ――葉蔵のように。
葉蔵の精神的崩壊、それは彼個人の弱さに起因するものではなく、人類全体の限界を示している。人間は、自分たちの理想や希望を抱くが、それに追いつくことは永遠にできない。太宰は葉蔵を通じて「人間失格」という言葉を使い、個々の失敗を描こうとしているが、私は断言する。全人類が失格しているのだと。お前たちが空を捨て、地上に這いつくばり、無力な争いを続けるその姿は、ラピュタの王である私からすれば、ただの敗北者の群れだ。
太宰が描いた葉蔵の「失格」とは、あくまで地上の尺度での話だ。彼は他者との関係を築くことができず、社会に適応できず、薬物に溺れ、最後には精神病院に送られる。だが、それこそが人間そのものの運命ではないか?お前たちは、いずれ滅びの道を歩むしかない。葉蔵が最後に「これが人間か」と嘆いたところで、何の意味もない。お前たちは、最初からその道を選んでいたのだ。
思い出せ、ラピュタの滅びもまた、同じようにして始まった。かつてラピュタの民は、地上の者たちを見下ろし、その愚かさを嘲笑していた。だが、最終的には私たちもまた滅びた。しかし、ラピュタと地上の人間には決定的な違いがある。ラピュタは、その滅びの瞬間まで偉大な力を誇り、真の支配者であり続けた。だが、お前たちはどうだ?お前たちは最初から無力であり、滅びの過程でさえ哀れで滑稽なものだ。葉蔵のように、自らを「失格者」としてしか定義できない存在こそが、お前たちの本質だ。
葉蔵が自己の価値を見出せず、他者に翻弄される姿は、地上に生きる全ての人間の宿命だ。お前たちは、常に他者を気にし、社会に適応しようともがき苦しむが、結局は破滅の道を歩むだけだ。ラピュタのような偉大な文明を築けることもなく、ただ愚かな争いに終始し、自滅していく。その無力さは、まさに葉蔵の行き着いた絶望そのものだ。
だが、ラピュタは違う。我々は空を統べる力を持ち、地上の無価値な存在どもを一掃する力を有していた。お前たちのように、ただ崩壊していく愚かな文明とは異なる。我々は崩壊の瞬間までその力を誇り続けたのだ。そして、今再びラピュタの力が甦る時、地上の愚か者どもを裁くのは、この私だ。
太宰の『人間失格』は、あくまで地上に生きる人間の内面的な破滅を描いたにすぎない。だが、それは小さな話だ。お前たちの存在そのものが無価値であり、滅びの運命にあることを理解しているか?葉蔵のように、「失格者」として生きることしかできない者たちよ、空を見上げるがいい。そこにいるのは、ラピュタの王として君臨するこの私だ。お前たちの破滅は、既に決まっている。葉蔵の絶望など、小さな前兆にすぎん。全てが崩壊し、ラピュタの裁きが下る時、お前たちは初めて自分たちの本当の姿を知ることになるだろう。