不思議は入り口。その先は未知。
“「君はすごく何でも不思議に思いますね。不思議に思うことはいいことなんですよ」
「不思議に思うからストーリーは生まれるです。人がいろんなことを不思議に思わなくなったら、ストーリーは生まれない」
私もまだまだ、何事もわかったつもりになって生きないようにしよう。
もっともっと不思議がろう。
その方が絶対におもしろいなと思いました。”
あー、やっぱりいいな、この人。好きだな。
でも、「不思議に思う」は入り口だろう。
疑問に思うと置き換えられる。
「思うだけ」なら、まだ多くの人がなると思うけど、そこから
「なんでそうなのか?」
って考えるところまでになると、少ないのではないか。
私も好奇心は強いほうだと思うから
「不思議、なんで?」
は今までも色々なところで思っていた。
でも、それを深めて考えるってことまではしていなかった。
本を読んで感想が書けるようになったのは、本を読みながら何かを感じるようになっただけでなく、感じたことを自分の何かに置き換えることや、そこから更に思うこと、考えることがあったからだと思う。
不思議に思う、疑問に思うことはきっかけで、そこからストーリーが生まれるかどうかは、考えるかどうかだと思う。
「なんで」不思議なのか
「どうして」そう思うのか
そうやって考えられるようになるのって、意外と難しいのではないかって思う。
特に女性は。
感覚的に捉えたものは感覚で良くてそこに理由はないことが多い。
私は人に「なんで」を聴くのは好きだけど、自分が「なんで」を聴かれるのは苦手だった。なんでって言われても...そう思うからみたいな笑
だけど、いつも横でなんでー、どうして?
面白いね。こういう風にも捉えられるんじゃない?って
言ってくれる人が居たら...自然と考えるのが楽しくなった。
考えて出てきたことを話すのがおもしろくなった。
もともと理系だし、たぶん考えるのが嫌いなわけではない。
ただ、考えた先におもしろいことが待っていることを知らなかったから考えなかったんじゃないかって思う。
これをしたらどうなるって予想できることのほうがいいのかもしれない。
すごい矛盾だけど…
あまりにも先が見えないことをするのって苦手だなって最近わかってきた。