ヘヴンリーブルー/村山由佳

"元気で明るくて活発"が私の中の夏姫の印象。「天使の卵」では、春妃がしとやかな少し影のある、はかない感じの女性というイメージが強かったため、それの反対の印象を夏姫には持っていた。歩太も春妃も相手に対して感情をぶつけるタイプではなく、穏やかだったからこそ、2人に対して自分の感情を抑えきれずにぶつけていく夏姫は、私の中では元気な女の子だった。
しかし、村山さんにとっての夏姫は "女の塊みたいな人物" になるそうだ。
確かに、10年後の物語として書かれている「天使の梯子」では、夏姫がお姉ちゃん(春妃)のような女性になっていて、読み始めのとき勘違いするくらいだった。それでも、"女の塊"のような印象はなかった。
こんなにも作者が描こうとした人物像と、自分が受けた印象が違うのには驚いた。

さて、前回「天使の梯子」に出てきた一遍の詩に疑問を持った。なぜ夏姫はこれが好きなのか、と。答えになるような何かが今回の「ヘヴンリーブルー」で得られるかなと思っていた。
が、結果的には何もわからなかった。
「天使の卵」「天使の梯子」は普通の小説だが、「ヘヴンリーブルー」は少し違う。夏姫が10年間の間に書いていた日記を今、見返しているかのように語られている。日記のような形なので、細かい情景よりも、その時その時の夏姫の感情が色濃く書かれていた。
もともと、他の2冊もとても読みやすい。(集英社だし)でも、この本はさらに読みやすい。あっという間に終わってしまって、拍子抜けした。いくらなんでもこれはないでしょう、楽しみにしてたのに!とちょと毒づいたくらいだ。
だけど、この本は夏姫の話だけでなく、その後の村山さんの日記を含めて、そこまでで「ヘヴンリーブルー」なのだ。
日記は、「ヘヴンリーブルー」を書き上げるまでの1ヶ月くらいの村山さんの日常のあれこれが書かれている。今日の天気の話から、何食べて、何時に寝て、どんなことして...という本当にありふれた日常が綴られている。「〜じゃん!」「わかったてばもう!」など、村山さんの素の感情がそのまま出ている箇所も多くあり、読んでいて楽しい。村山さんにとって、この本を書かれている時期はプライベート的にも転換期で、気分的に上下も激しかったよう(そんな感じのことも描かれている)。ちょうど夏姫が10年間上がったり、下がったりいろんな感情の起伏を繰り返しながら過ごしたのと同じように...そういう風に思ったら、夏姫が自分の感情を書いた日記を10年後に見返して、きれいに語ったのが表題作になったことにリンクした。村山さんもご自身で
"どうやら彼女が私によく似ているせいらしい"と書いている。
村山さん自身のその時の状態が、本にそのまま写っていたんだな。
"離婚した直後の本は荒れてた"という話も聞いたので、その頃の本も読んでみたい。

「天使の卵」は、あと一冊「天使の棺」で終わり。今度は歩太が救われる話だそう。今度はどんな風に語られるのだろうか。

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