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凡人だから特別になれる

自分のことを凡人だなーと感じる瞬間ってありますか?

私は結構あります。

ダイエットを今度は本気でやる!

とか言って2週間経っても取り組んでいない、とか。

人には偉そうに言っていても自分ができていないことがあったり、とか。

やれる!

と宣言したものはいいものの出来なくて結果的に迷惑かけるとか。

学生の頃から成績は中の下くらいでした。

でも、学生の頃は「自分は特別なんだ」とか漠然に思っていました。

凡人と認めたら加速する

しかし、私は凡人である、と自分で自分のことを認めるということが幸いにも出来ました。

それは、友人との会話で

「結局勉強ができようが、スポーツができようが自分のことをスターって勘違いしたら終わるよね」

という何気ない一言からでした。

自分のことを「特別な存在」と勘違いすると、終わるらしいです。

なにが、終わるか分かりませんが、それは学生特有の発想なので大目に見てください。

とにかく、私はそれから自分のことを凡人である、凡人こそが難しいものだと思うようになりました。

普通が一番!

とまではいきませんが、思考は変わりました。

凡人だから頑張る

世間で言われるように芸能人とかステージに立つ歌手とか役者さんとか、私たちからみてスターと言われるような人は頑張っていると思います。

当人たちに話を聞いていないのでなんとも言えませんが、私たちからすると頑張っているのではないでしょうか。

自覚はあるかどうかしれませんが、話術を整える、または磨きをかけるために人との会話を積極的にしたり、自分の容姿をキープまたは向上させるために食生活や睡眠時間に気をつけたり、歌やスポーツなどではスキルや構成要素などの技術や知識を身に付けたり、と。

その一つ一つが積み重なって「特別」になるのです。

想像ですが、自分のことを「特別」と勘違いしたら終わる、というのは特別だと勘違いすると、そのような「習慣」を怠り、結果的に転落する、ということではなかったのかな、と今になって思います。

私たちは凡人

凡人だからこそ努力できるし、凡人だからこそまだまだなんにでもなれる選択肢が広がっている、と考えています。

ちなみに私は人の3倍努力するようにしています。

ブログを100日続ければいい、と言われれば300日。

学習を1,000時間やればいい、と言われれば3,000時間。

本を1日1冊読めばいい、と言われれば3冊。

そのようにしないと、凡人である私は成長すらもできない、と思っています。

しかし、もちろん凡人なので中々思った通りにはいきません。

だから、その仕組みとして習慣を取り入れている訳です。

一緒に凡人ライフを満喫しませんか?


凡人が頑張っている習慣形成、

価値と基準については↓↓





虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。