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私のプロフィール
氏名:利根川 義昭(とねがわ よしあき)
性別:男性
年齢:37歳(2024年現在)
出身:新潟県生まれ
資格:臨床心理士・公認心理師
1、自己紹介します
はじめまして。
臨床心理士の利根川(とねがわ)と申します。
1987年生まれ、出身は新潟県・新潟市。
雪とお米(しかない)に囲まれて育ちました。
休日は心理学・精神分析関連の書物を読みながら、
コーヒーを飲みつつ、noteの記事を書いて過ごすのがお気に入りです。
性格はおおらかな方で、ゆったり、ゆるく、
柔軟なところが取り柄です。
2、来歴
私は沖縄に来てから、8年程になります。
もともと人生的に沖縄に来る予定はなかったのですが、
人のご縁でたまたま訪れることになり、
気づいたら県民になっていました。(どんな展開だ)
これまでの経歴を少し書くと、
東京国際大学大学院にて精神分析学を専攻し、修了。
・東京・世田谷区の発達障害をみるこども療育機関で1年半勤めました。
その後沖縄に移り、
・うるま市の精神科病院にて5年間勤務、
・教育領域でも中学校スクールカウンセラーとして5年勤めました。
・また看護学校で心理学の非常勤講師を務めています。
2020年、病院を退職して、
・沖縄県の子ども若者育成支援事業の相談窓口にて3年間勤務し、
こちらでは多くの家族相談・若者相談の担当をしました。
ここでのケース経験は臨床心理士にしては、けっこうな数に昇り(3年で約200ケース余り)、常に60〜70ケースは継続ケースを回し続けるというそれまでの比にならない臨床経験を積ませてもらいました。今の私のベースになっています
そちらをしつつ、病院の退職と同時に
現在の「うるま心理相談室ココロン」を徐々に立ち上げ、
今はオンラインでのカウンセリング業務に明け暮れる日々です。
…こう書くと、意外といろんなことをやってきたな、と
感慨深く思うところです。
3、なぜカウンセラーになったのか
そんな私がそもそもなぜカウンセラーになりたいと思ったかというと、
きっかけは小学5年の頃でした。
憶えている人がどれくらいいるかわかりませんが
当時「17歳の少年によるバスジャック・ハイジャック」の事件が相次ぎ
世間を賑わせていました。
私は当時、小学生で子どもながらに
「この少年たちに心から話せる親友と呼べる人が1人でもいたら、こんな事件は起こっていなかったんじゃないか」
と考えていました。
(ずいぶんませてたな、と思うんですが…。)
その時はじめて「人の心に寄り添う仕事がしたい」と思いました。
少しの廻り道。
1995年は全国の学校にスクールカウンセラーが初めて導入された年で、
どこで知ったのかその時にはすでに
「スクールカウンセラーになりたい」と口走っていた気がします。
(ちゃんと叶った)
しかし母にそれを話すと、
「スクールカウンセラーなんて食っていけないからやめときなさい。
どうせなるなら学校の先生にしときなさい」
と事実っちゃあ、事実なことを言われ、(実際それは当たってると思う)
「わかった!」
と、純朴な少年はあっさり前言撤回し、
大学までしばらくは教職を目指すのでした。
(いい子でした。)
上京…しかし
小・中・高校と新潟でそれなりに歩み、大学へ進むため、上京しました。
経済学部で教職課程を取り、
教育実習手前まで行きましたが、しっくりこず断念しました。
…集団よりも個人と向き合う方が好きだったからです。
断念したとはいえ、
代わりに何をすればよいのかも皆目わからず、
なんとなく就活をしてみましたが、これもしっくりこず。
失恋もして、全体的にうまくゆかず。
ちょっとしたアイデンティティ危機でした。
失意そして再起
「…自分って何がしたいんだろう、どう生きたいんだろう」
いろんなストレスが重なり、お腹の調子が悪くなったり、
なんなら抑うつ症状も出始めて、
完全にまずい方向に行きかけていましたが、
失意の底で天啓のように閃いたのが、
「そういえば、俺、スクールカウンセラーになりたかったっけ…」
というかの日の思いでした。
「どうせなににもならないなら、なりたかったものになってやろう」
この考えはどういうわけか、私の心に火を灯しました。
4、本当にやりたいことを見つける
学部で心理学を教養科目くらいしかとっていなかったので
大学院受験は苦労しましたが
執念で独学で大学院に進学し、
そこからの日々は非常に楽しかったです。
カチッとはまった感というか、
自分にはこれだ!と思えるものがついに見つかった気持ちでした。
どれだけ時間を費やしても惜しくないと思えました。
(今もそう)
社会的な適応のいい人ではなかった…けど
それまでの私はどっちかというと、ぼーっとして
日々を過ごしているだけの人で、
どちらかといえば考え事や空想に耽ったり、
人と飲み語らったり、音楽を聴いて過ごすのが好きで、
不器用な、いわゆる社会的な適応は
あんまり良い方ではなかったかもしれません。
こういう
「内面的には豊か(なつもり)だけど、外の世界については至って不器用」
な私みたいな人がカウンセラーという仕事を選んで、
我ながらヒヤヒヤしたけれども、ホッとしたというか、
当時の自分、グッジョブ!と言いたいところです。
(とにかく会社員だけは自分には向いていないのでは、という感覚だけはずっとありました。
註:ちなみに話は戻りますが、私の育った小学校はすごく過疎化した小さな学校で、
1クラス10人を切る少人数学級だったのですが、一人一人との距離感が近く、
学年年齢関係なく交流するところが特徴でした。
その中には、今でいう特別支援学級の子たちも溶け込んでいて、
偏見なく、自然に交流する文化がありました。休み時間になると、よくその子たちのクラスへ遊びに行っていました。
なので配慮が必要な子たちにも偏見なく関わる、ということを自然と学んでいたし、その後も自分の中に残っていった感覚の一つでした。こうした土壌の中で育ったことも、私がカウンセラーになる背景になったと思います。
そんな私の唯一の取り柄は、この
「好きなものがある」
ということであり、
ちょっとかっこつけていえば
「誠実に、集中してひとつのことと向き合い続けれる」
ということかと思います。
ふつうのひと、であるということも密かな私の強みです。
(特別に頭が良すぎるわけでも、わるすぎるわけでもない)
器用でバリバリ働く社会人!みたいには多分なれませんが
のほほんとしているけれども一生懸命生きてる人、みたいな、
そういう人が世の中にいてもいいかな、と思って、
この仕事をしております。
5、ココロンとしての私
ココロンは今の私にとって
今後数十年にわたるライフワークになるものだと思っています。
相談を必要としてくれる方がいて、
それに応られる自分の技術と立ち位置があって、
非常にやりがいを感じますし、
自分の人生のミッション、そのものです。
これをやることが私であり、私とはココロンとして動くこと、
になってます。(嬉しいことです)
特にトラウマケアに出会ってからは、
長らく腰を据えてやっていくものにまた出会えたな、という感覚です。
ココロンの相談を通して、いろんな方と出会い、
人生の様々な価値や意味を発見していければ幸いです。
ココロンの名称の意味?
ちなみに、ココロンという名称に深い意味はありません。
人は「意味」によって希望を持ちもすれば、
「意味」によってまた失望もするものです。
なので、無意味なものがいいと思いました。
気軽に「あ、明日ココロンだ」 「ココロンさん、お願いします」
などと呼んでいただければ嬉しいです◎
さてさて、そんなこんなな私ですが、
みなさまとのご縁を大切に、今後も頑張っていきたいと思います。
開業カウンセラーとしてやっていくにあたり、
自分のことというのは中立性の上であまり職業上、話さないのですが、
まったく話さないというのも、ユーザー視点に立ったときどうなのかな、
と思うところもあり、ある程度自分の人となりを書いてみました。
こんな私になりますが、
どうぞよろしくお願い致します。
お読みいただき、ありがとうございました。