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親の子育ての影響から来ている認知の歪みを解き明かすのに何十年もかかったよ(笑)

相談員です。
最近、ひょんなことから自分の認知の歪みの原因を知ることができました。
自己肯定感が低いのは前から自覚があった。でも何で低いのかわからない。支援者として「自己肯定感」をテーマとして様々な人の支援をして、それなりに成果を上げてきた。なのに自分の自己肯定感が一向に上がらない(笑)
その中でも特に「諦め癖」には自分でもほとほと呆れていたのです。でもどうやら自分の認識とちょっと違った様です。

子ども時代を思い出す

  1. 小学校2年ぐらいの時。初めてテストで60点を取ってしまった。今まで悪くても80点台。国語のテストで確か5問ぐらいしかないから2問間違えると点数は下がる。怒られると思いずっと学校の机の中にしまいこんでいた。時間が経って渡したら、隠していたことも含めて母親に激しくに怒られた。人でないくらいのことを言われた記憶がある

  2. 水泳が苦手でスイミングスクールに通わされていた。イヤだったけれど一生懸命やった。でもうまくいかなかった。ある日、「次の試験でうまくいかなかったらやめよう」と母親に言われて内心嬉しかった。案の定、ダメだった。「失敗してこめんなさい」と謝った記憶がかすかにある。その時に母親に「ここまで時間かけてやったのにこんなものか」ぐらいのことを言われた。

  3. 99点や98点は「ドジだね」「注意力がない」など100点以外は評価されない。

こういう母とのやり取りが積み重なった子ども時代。
塾も変わったり、家庭教師を頼んだり、あの手この手は中学ぐらいまで続いたのです。

点数が全て。結果が全て。


諦め癖への考察

どうして諦め癖がついたのか自分なりに考察してみたのです。

  1. 今までの努力やその時、一生懸命頑張ったことが全く評価されない。結果が全て。100点とそれ以下は同じ。99点でも何点でも同じ。

  2. すぐにできるもの・評価されるものでないと母親は認めない。長く続けても結果が出ないものはやった意味がなかったという認知に子どもの頃の相談員はなってしまった。

  3. 逆を言えば100点を取れるものをやれば評価されるというインプットになるため→諦めて次にいく方が確率が高い。いろいろなものに挑戦しても「これでは100点が取れない」と自分の中で思うと努力を続けても意味がない(時間をかける意味がない)という認知なる。

そもそも100点ってなんだろうね(笑)

うちの奥さんが息子に「よくできたね」「よくがんばったね」という声かけをしてるけれど、母親の声掛けは「なんでできないの?」「なにこのケアレスミス」「注意力が足りないんだよ」「ちゃんとやってんの?」

この差は大きいよ(笑)自己肯定感下がる訳です。

母親のワケ

ここまで書くと相談員の母親は「毒親に近い、教育熱心な母親、そこそこひどい母親だよね」って思うかもしれませんね
実は母親にも訳があった。

相談家の跡継ぎ、しかも一人息子を育てないといけないプレッシャー。

祖父母の代とかは「家の継承」「跡継ぎ問題」「墓守」と言った今の時代では考えも及ばないことを真剣に考える時代。祖母は母親に「相談家の跡継ぎ」を育てることを暗に課したのです。

見切りと見限るの違い

母親は厳しかった。
しっかりした跡継ぎを育てなければ。
結果を求めた。
結果が出るところを探し続けた

実はこれって短気だけど諦めていないんですよね(笑)
母親は相談員を見限っていなかった。
結果を出すことを追い求めて「見切って」いたのです。
見切ると見限るは違う。

見捨てるといった意味では同じような意味を持つ「見切る」と「見限る」ですが、その内容に少し違いがあります。

「見切る」の方は、今の状況を的確に判断し、そのうえで、「見切る」ことを選択することが最善の選択であるということを意味します。

その一方、「見限る」の場合は、相手に意欲などがなく、これ以上関わっても無駄であるといった意味が強く、「見限る」の場合、「見限る」方が悪いのではなく、見限られた方に原因があるものとなります。

意味解説辞典:「見切る」と「見限る」の違いとは?分かりやすく解釈

自分がやってきたことは「見切り」と気がつく

相談員はこの「見切る」と「見限る」(諦める)が混同していたのです。

相談員は学生時代10年間陸上競技を続けてきたのですが、種目をコロコロ変えました。どれでもそれなりに結果を出した。これは陸上自体に諦めたのではなく、種目を変えることで陸上選手としての生き残りや活躍を模索した結果だったんです。これはまさに「今の状況を的確に判断し、そのうえで、「見切る」ことを選択することが最善の選択」だったのです。

仕事もコロコロ変わった。
→教職の勉強をしながら塾講師
→臨時採用の教員(いきなり学年崩壊の学年担当)
→私立小学校非常勤講師+塾講師
→ニート(しかも教員採用試験に落ちてひきこもり)
→貧困地域支援
→貧困地域学童+不登校支援/相談員
→公共相談機関相談員→所長/生活保護関係事業
→車の仕事をやりつつ人生相談・婚活支援

コロコロ変わる自分を恨んだ。
こらえ性がない、飽きっぽい、諦めやすい、粘りがない。
人生がうまくいかない、いつも綱渡り。自信が持てなった。
でもどうやら違うらしい。
常に「最善の選択」をした結果だった。
教育を諦めなかった。学校で解決できない課題があった。
子どもの頃の課題を解決できないまま大人になった人の課題があった。
だから支援するフィールドを変えただけだった。ただそれだけのこと。
最近気づいた話。
文章で伝わるかわかりませんがかなり楽になりました。
だって何十年も自分を苦しめていたんだから。





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