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心理的には、時間は存在しない

ここ2日くらい読書に没頭している。
読書はいつもしているのだけど、寝る時間を惜しんで読むことは稀だ。

なんでそんなにまで読み耽るかというと、子供のことからずっと疑問だったことが解消されつつあるからだ。
何が解消されつつあるか ー それは(かなりまだ未消化だが、ここまで書いたからには頭出しだけしておくと)時間というもの(概念)についての疑問、すなわち「(心理的な)時間は本当に存在するのか?」という疑問である。

通常の、常識的、日常的な認識において、過去と今と未来があるのは極当たり前のことと思う。
みなさんがどういう価値感でこういった時間軸を認識されているのか分からないが、ほとんどの人が「時間は存在する」と思っているのが普通じゃないだろうか。
ただし、時間に対する認識の仕方が十人十色なのはほぼ確実だ。
なぜなら、それぞれの人生経験が完全に重なることはまずないからである。

私の場合は子供のころから時間軸の不自由さが疑問で仕方なかった。
縦、横、奥行という空間軸はいくらでも進めたり戻したりできるのに、なぜ時間軸は一方通行なのだろうと。
また、過去と未来は無尽蔵にありそうなのに、「今」の短かさのなんと理不尽なことか!
こんなことを考えている少年は相当にひねくれた奴だったと思うが、まぁどうしようもない。何がきっかけだったかはもう憶えてないが、そういう疑念を抱いてしまったのだから。

そうして大人になったひねくれ坊子は、社会的な現実に遭遇するとともに、この「疑念」だけがどんどん積み重なっていくばかりだった。

疑念を拭えないまま、ちゃっかり世渡りの方法だけはどんどん身に付けていった。
その中にはロジカル思考やアルゴリズム的思考、はたまた、ビジネス上の交渉術など、様々なメソッドや方法論が含まれる。
それはそれでとても役に立っている。職業柄そういった道具をフル活用するし、それで収入を得て家族を養えているわけだ。

これらの考えるために道具、つまり思考法の共通点は、全て「人工物である」という点だ。
いや、思考法という道具立てだけでなく、それが扱う中身(言葉やイメージでできている)も人工物なのだ。あらゆる思考が人工物だと言ってよいと思う。

そう考えると、今までの自分というのは
・何か違う、何か変だ...という疑念を抱えながら
・他人が考え出したものや自分でこしらえたものに囲まれて暮してきた
と言えそうだ。


そんな感じで漫然と過してきた40年であった。
(心理的には時間は存在しないということを受け入れた今、「もっと早く知りたかった」などと愚痴ったりはしない。)

地球上の人類の間で取り決められている「時刻」という共通概念・ルールを否定しようというのではない。これははっきり言っておく。
私が理解したのは、心理 ー つまり人間の内面にある時間感覚は幻想である、ということだ。

じゃあ、過去、今、未来というこの3つはなんなのか。

・過去は記憶に対する反応に過ぎない
・未来は過去の投影に過ぎない
・今は過去と未来にはさまれている限り幻想に過ぎない

換言すれば、過去と未来という幻想から解放されれば、本当の「今」に出会える。
そうそう、だから、我々の多くは未だかつて本当の「今」を勝ち取っていない(とも見れる。ここは探求のしどころだ)。

今日までのところの理解はこのようになる。
そして私は更に理解を深めたいので、ひきつづき読書に耽る。そして瞑想しよう。


参考図書


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