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なぜタロットを読むに至ったか #文章のタロット

タロロジストの中村心(しん)です。こんにちは。

【文章のタロット】をやり始めて、これからも継続していく上で、『なぜ僕がタロットを読むようになったのか、そして、これからどうしていきたいのか』ということをnoteに書いておいたほうがいいだろうと思い立ちました。

まず最初に、現在note上で進行している【文章のタロット】について実際にやってみて見えてきたことを少し書きたいと思います。

文章のタロット

【文章のタロット】は「文章で受けて文章で返す」タロット・リーディングです。

受け口はGoogleフォームで用意されていて、ニックネームで投稿が可能です。メアドや本名などの入力箇所を設けていません。個人的な情報を収集したくない・入力させたくない、というセキュリティやプライバシー上の理由も当然ありますが、より重要なのは、質問したいと思ってフォームを開いてくれた人が質問することだけに集中できるようにとの配慮です。

返しはnoteの公開投稿でお返しします。
投稿内容は質問してくれた方へ直接返事を書くような書き方になっています。

このように匿名可で質問を受けて→公開で返す方式には3つの特徴があります。
 1. 完全に秘密裏に質問への返事を受け取ることができる
 2. 僕のnoteに書かれたことを自分ごととして受け取る、または、
 3. 僕のnoteに書かれたことは他人事として無視することもできる

対面のリーディングや個人間のメッセージのやり取りでは事実上無理なことを、仕組み的に実現しているのが【文章のタロット】の興味深いところだと思っています。

僕がタロットを始めたきっかけ

さて、本題。

僕がタロットを始めたのは割と最近で、2020年の夏頃です。今から約1年前ですね。

直接のきっかけになったのは、読書会などをいっしょに企画していた友人から(本人は何気なく言ったんでしょうが)「占い、向いてそうだからやんなよ」と言われたことです。

この動画アーカイブは、タロットをはじめて間もない頃に縁あって池上放談にゲストで呼んでいただいたときのものです。

それまで占いにほとんど全くと言ってもいいくらい興味がなかった僕は、まず占いにはどんなものがあり、僕にもできそうな占いはその中のどれなのか、というところから調べ始めました。
自分なりに調べてみて、簡単なものに少しでも手を付けてみて実感として「あ、できそう、面白そう」と思うか「いやー、全然無理だわ」と思うか、そこまでまずはたどり着かないと判断を下せない性格なんです。この場合の「判断」とは、友人の言った「占い向いてそう」に対する判断です。

タロットや占星術を通じて飽きずに占いに取り組めるということは、「向いてそう」の「そう」の部分に対しては、「うん、確かにそうかもね」と1年経った今は言えそうです。

現在行っているZOOMでのタロット・セッションや【文章のタロット】は、
 ・占いという行為が自己の創造性の源泉とつながっているのか
 ・占いをすることが相談をしてくれた人の助けになるのか
などのことを確かめるプロセスと捉えて取り組んでいます。

プログラマ/SEとしての本業があるので、占いを本業(≒収入源)にしようとは今のところ考えてません。

とはいえ、将来どうなるかはわかりませんよね。

もしプロのタロットリーダーとしてお仕事を受けるようなチャンスが到来した場合に、現在の実験的要素多めでトライしているあれこれのケースは、全て将来のリーディングの糧になると思います。
それに、もしいつかタロットをやめてしまったとしても、タロット・リーディングで経験したこと、タロットを通じて出会った人々との交流は、人生の豊かさの一部になって生き続けます。

なぜタロットを読むに至ったかをリーディングしてみる

事実ベースで言うと「なぜタロットに興味を持ったのか」は上に書いたようなことになるのですが、僕の意識的な部分から言えることはこんな程度で、正直面白くないし、本当の意味に迫りきれていないと感じます。

本当の「なぜ」は目に見えないところ、意識できない領域…にあるのではないかと思います。合理的思考では解釈しきれないなにかの動因が、僕の感性と行動力と思考をタロットに向かわせたのではないかと予想できます。

この予想を出発点にして、自分に対してタロットを切ることで無意識の声に耳を傾けてみようと思います。

スプレッド(並べ方)

スプレッドはシンプルに3枚引きを選びました。また、+αとして、カードを取り終えたあとにタロットの束の底部に残った1枚を「無意識の象徴」として出しました。

出たカードと配置の意味付けを記載します。

(A) 過去の自分 「なぜ私はタロットを読むに至ったのか」
→ III 女帝

(B) 現在の自分 「今の私はどんな状態なのか、なにを求めているのか」
→ X 運命の輪

(C) 将来の自分 「タロットを読み続けることによって私にどのような可能性が開けるのか」
→ XXI 世界

(D) 無意識の象徴 「このリーディングをしている私の無意識はなにを言っているのか」
→ XX 審判

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では読んでいきましょう。

※ ここら少し口調が変わります。簡潔のためと、よりリーディングらしく表現するためです。

(A) 過去の自分 「なぜ私はタロットを読むに至ったのか」→ III 女帝


過去の私は創造的な破壊行為を求めていた。私は創造することに飢えており、生産的になることを望んでいた。私は思春期の若者のように、自分を熱しているマグマ(衝動・エネルギー)を表に出してしまいたかった。家に閉じこもって勉学に励むだけの蓄積の時期は終わりを告げて、少々荒削りでも、他者と関わりを持ちながら自分を表現するなにかを創り出したいという欲求を強く持っていた。

III 女帝 は占星学上の「金星」ともリンクするところがある。私の金星は、私のカルマをリストアップしたものの中からなにか重要なものを掴み取ったのだ。そして「私はこれが好きだ」と宣言した。私は自分の感性を惹きつけるものをプリミティブに掴み取った。(ちなみに私の金星は、ネイタルチャートにてMC付近の双子座に抱かれている。)

(B) 現在の自分 「今の私はどんな状態なのか、なにを求めているのか」→ X 運命の輪

現在の私は、あるサイクルの終わりにきており、次のサイクルの始まりの地点にいる。ある面では行き詰まりに直面しており、物事の無常を前にして途方に暮れている。私がタロットに向かうのは、精神の根源的な部分から響いてくる声を聞き取るためなのかもしれない。

X 運命の輪 は、次のサイクルを始めるための準備的要素は全て揃っていることを表すと同時に、(車輪のハンドルが見切れていることから)自分だけの力ではどうしようもない部分があることも示唆している。私の肉体とマインドと霊性は、外的な刺激を求めている。

タロットの場で、私の視界の外から突然やって来る質問に取り組むことが、私の中で停滞している資源の再生を促す。そういう意味では、今の私の状況は恵まれており、幸運だと感じる。

(C) 将来の自分 「タロットを読み続けることによって私にどのような可能性が開けるのか」→ XXI 世界

実は自分についてごくプラベートなリーディングをしてもこの XXI 世界 のアルカナはよく目にする。タロットのリーディングを始めたばかりのころ、XXI 世界 の配置をベースにしたスプレッドによって相談者の精神的プロフィールを明らかにしていくようなリーディングがとても好評だった。

さてこの位置に出てきた XXI 世界 はなんと言っているだろう?

私の世界感が完成・完全に向かうことを暗示しているが、そもそも私の世界感とはなんだろう? 踊ること。XXI 世界 の真ん中の女性は踊っている。(A) 過去の自分 で III 女帝 は妊娠している。III 女帝 の産み落とした子が成長し、将来の世界を作る。XXI 世界 の真ん中の女性が III 女帝 の子であり、将来の女帝だとすると、彼女の両手の持ち物は、女帝の持っている盾へ成長する前の袋のようなもの、女帝の笏に成長する前の棒に見える。そして踊っている。顔の表情は無表情に近いが、少なくとも苦しそうではない。私には世界の現状を冷静に捉えながら、これから新しい世界が始まること、その世界が成長し、成熟していくことなどを楽しみにしているように見える。ポーカーフェイスだけど、身体が踊りだしている。

XXI 世界 の絵柄は、(B) 現在の自分 = X 運命の輪 の構図を発展させたものとも取れる。
X 運命の輪 で車輪にしがみついて回っている3匹の動物は、XXI 世界 にて勇ましく成長を遂げている。
X 運命の輪 で左側にいる子猿のような動物は、XXI 世界 の左下にいる牛または馬のような成獣になり、どっしりと安定している。この肌色の動物は物質世界・肉体的感覚の世界を表現している。
X 運命の輪 の車輪の頂上にいる青いスフィンクスは、XXI 世界 の左上にいる天使に変化している。この部分は感情や人との交流を表す。スフィンクスの怪しさ、不明瞭さ、盲目さ(スフィンクスの両目は塗りつぶされている)は、天使の明瞭さによってことごとく解決されている。
X 運命の輪 で車輪の右側につかまっているなんだかよくわからない黄色い獣は XXI 世界 の中で右上の鷲と右下のライオンに分離する。これは思考と衝動の分離を表している。大人になるのだ。
そして最も大きな変化はもちろん XXI 世界 の真ん中の女性である。X 運命の輪 の車輪の中心には機械的・構造的な軸があるだけだ。世界の中心に人間が出現する。単なる機械的な存在ではなく、肉と魂と霊が一体となった人間が世界の中心に位置するようになるのだ。これは空間座標としての世界の中心は存在などしないことを暗示している。XXI 世界 の女性は絵柄の中心には立っているが、彼女は踊り、歩みだして移動する自由を手にしている。世界の中心は彼女の精神とともにあり、彼女の裡(うち)にある。これは比喩で、どういうことかというと、世界・宇宙の中心は、それぞれの人間の裡にあるということだ。世界・宇宙の本質は物質的な機械ではない。物質と機械は本質を支える要素の中のひとつに過ぎないのだ。

このように将来を表現するカードがスプレッドの他の位置のカードとうまくつながる要素を読み取れると、素直に安心する。過去 → 現在 → 未来、という時間軸の順番で、順当に数が増加(III → X → XXI)しているのも安心を感じる要因のひとつである。これからもタロットへの揺るぎない信頼と共に歩んでいこうと思わせてくれる配置である。

(D) 無意識の象徴 「このリーディングをしている私の無意識はなにを言っているのか」→ XX 審判


通常は「相談者の」無意識の象徴を読む参考にする部分であるが、今回は自分で自分をリーディングしているので、自分の無意識の象徴を見ることになる。もしくは、無意識に個人的無意識と集団的無意識、またその奥に元型(アーキタイプ)が存在するとすれば、私の個我のことばかり考えず、これから私のタロット・リーディングを通して関わっていくであろう人々全体の無意識と捉えることもできる。

XX 審判 が表現しているのは「新しい意識」とその新しい意識に向かう「抗いがたい欲望・欲求」である。

音楽によって呼び起こされた死者が表現しているのは、(これまでの古い意識では)目に見えなかった新しいなにかの復活である。この「なにか」は人々の意識かもしれないし、絵柄の通り「身体」(物質的ななにか)かもしれないし、アイデアや概念かもしれない。古い世界で孕まれ、種や胎児の状態で過ごしたものが、親としての古い世界の死を通過することによって、新しい世界として誕生してくるのだ。一旦復活=誕生の音楽が鳴り響くと、誰もその流れに抗うことはできない。そのくらい強い力が働く。多分、その力は目(現実的思考、物質的・自然法則的・科学的理解)では読み取ることはできない。

私の無意識のカード XX 審判 は、私の現在のカード X 運命の輪 とペアになる。お互いに補完する関係である。意識が無意識とペアになって意識全体が定義上存在するように。ある面で行き詰まりを感じている現在の私は、無意識に目を向けることで一元論的世界観に気づき、そこから一歩(数で I )進めることによって XXI 世界 に到達するのかもしれない。

まとめ~知的背景~

※ 口調を戻します。

僕のリーディングは、アレハンドロ・ホドロフスキーの『タロットの宇宙』を始めとする書籍から学んだ知識を基礎とし、あとは実際のリーディングの場で経験的に学んだこと、ひらめき、インスピレーション、イマジネーションを織り交ぜて発展させたものです。

知識的・哲学的背景では、シュタイナー思想やユングの深層心理学的視点も欠かせないものとなっています。


これらの思想・哲学から学んだ知識の「量」としては膨大なものになってしまい、興味のない人には睡眠薬以外のなにものでもないわけですが、タロットのリーディングのような身近な「遊び」を通して、しかも、自分の悩み事をテーマにした話題の中で間接的にでもこれらの思想・哲学が持つ「力」に触れていただければ嬉しいなと思っている次第です。

【文章のタロット】はまだまだ始まったばかりで、これからどんなふうに発展していくか楽しみです。「リーディングしてもらいたい!」と思っていただけたら、下の投稿フォームから投稿してみてください。

よろしくお願いします!

SN

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