喜屋武を元気づけるnote
おはよう、喜屋武。
どうもいろいろ大変そうなので、喜屋武を元気づけるnoteが書けるかトライしてみるよ。
※ 以下、喜屋武本人に下書きシェア → 許可もらった上で公開してます。
喜屋武のチャレンジ
喜屋武には公私ともにお世話になっているので、この「サバイバルきゃんチャレンジ」は他人事ではない!
だいたい喜屋武が
気がつけば、前回のnoteから半年以上経ってしまいました。
と言っているその半年前の記事は僕の言語化セッションの記事なんですよね。半年前にNeribaが縁で出会った喜屋武となぜか妙に仲良くなり、言語化セッションの初期には何度となく実験台になってもらいました。その後、「対話のワークショップ」をやってみたいというアイデアの実現のためにPORTOを会場で貸してもらったり、プロモーションにも協力してもらいました。自分が仕事で悩んでたときに話し相手にもなってもらったし、タロットのリーディングを始めたばかりのころには言語化のときと同じように練習台になってもらったし…、ほんとに持ちつ持たれつの関係だなと思います。一番最近だと、喜屋武が勤めているガイアックスさんのオンラインランチにタロットのコンテンツで呼んでもらいました。こういうのほんとうにありがたい。なにかをおっぱじめたばかりって、認知を広げたり関係者を増やしていく機会をいただけるのがなによりもありがたい。多分、PORTOをたくみさんと立ち上げて「ソーシャルバー」をゼロから軌道に乗せるのに奮闘してきた喜屋武だからそういう気持ちが自然とわかるんだと思う。
喜屋武の才能
友人としての付き合いは1年に満たない僕ですが、僕から見て「喜屋武て、こういうとこ才能だよね」と思うところがいくつかあります。
1. なんてことない話をずっとできる
喜屋武本人も周りに集まった人たちも無理なく、なんてことない話の連続体の中に自然と身を置くことができてる場面をたくさん見てきました。煮詰まってきた話を、さっと遠からず近からずの地点に着地させるのもうまいと思う。そういうなんつうか「ソーシャル話術」(?)の天才だと思うんだよ。
2. 仲間はずれを作らないように努力できる
複数の人間が集まるとどうしても価値観の違いやなんやらでボーダーというのはどうしてもできる。そのボーダーが極端に偏ると、少数派が多数派から見たときに「仲間はずれ」のようになるのは、まぁ、ある意味仕方がない…、そうそう、自分はここは諦めてしまうタイプ。もう仕方がないで片付けてしまいがち。でも喜屋武は違う。仲間はずれが状況的に生まれてしまうことのインパクトをより深く受け止めている気がする。可能なら仲間はずれができないように最善を尽くす、それが喜屋武。そして、仲間はずれが生まれてしまうと人一倍悩むのも喜屋武。
3. ずっと人と会ってられる
朝から晩まで、そして夜中まで…、とにかくずっと、連続的に人とコミニュケーションを取り続けることができる。コミニュケーション・モンスターだと思う。「モンスター」というと聞こえは悪いかもしれないけど、「才能」ってそれくらいの強烈さがある意味必要なんじゃないかな。みんなが属性的に最低限のものは持ってしまっているスキルって、普通にすごいね、くらいじゃ才能とは呼ばない。コミニュケーションという人間にそもそも備わっている機能を「才能」にまで昇華するにはそれなりの毒が要る気がするんですよ。喜屋武はそれを持ってる。
喜屋武は弱点だらけ
勘の良い人はここまで読んでもらって気づくと思うんですが、喜屋武のスキルは諸刃の剣感たっぷりなんですよ。それは才能・スキルでもあるけど、うまく運用しないと喜屋武自身を傷つける原因になりかねません。
ちょっと考えてみてください。
1. なんてことない話をするのが得意だからと言って、なんてことない話に終始してたら言葉のコミニュケーションが浅いままで終わってしまうことが多くなります。相手と深く関わるのがどんどん難しくなって、自分のほんとうの声 ーーー 内発的な、深く自己に根ざした声 ーーー を発する機会を逃しがちになります。
2. 自分が関わる場に居合わせた人間全員がハッピーな気持ちになってくれたら、そりゃ嬉しいし、達成感もあるでしょうが、毎度そのために苦心していたら身が持ちません。だいたいオンラインイベント全開の風潮で「場」が今や溢れかえっています。その中でどのイベントも、しかも、どのイベントに参加した個々人も、みーーーんなハッピーにしようなって、土台無理なんですよ。
3. ずっと人に会ってても平気、むしろそれが俺の仕事…と思って頑張るのはいいけど、ちょっと待って! なんでも限度ってあるよね? 食べすぎると太るよね? 運動しすぎると身体壊すよね? コミニュケーションもいっしょですよ。適度に孤独な時間を作らないと人にあたります(「食あたり」の「人」バージョン)。
あまりにもそこに才能があって、当たり前にできすぎてしまう人は、その行為の頻度や程度の異常性になかなか気づかないものです。喜屋武の才能の発揮の仕方にはそういう部分がすごく感じられるので、記事の中盤で一旦厳し目の意見を書いておきました。
気づけ、そして、手放せ
喜屋武は、行動を変えようとか価値観を刷新しようとか性格・考え方を見直そうとか思ってない?
もしそうだとしたらそんな努力やめちまえ。
それ全部あれでしょ、他人とか自分自身の評価を上げたい(もしくは回復したい)からだよね。それ全部スーパー無駄だからやめちゃったほうがいいよ。変えたいと思ったとおりに変わるものなんてない。振り返って確認してみるといいよ、ほんと、びっくりするくらいないよ。頑張れば変えられるなんて、それ夢だから、幻想だから、とっとと棄ててください。
できることはひとつ。自分のやっていることに気づくだけ。
気づくだけ、これをもうちょっと流れで説明すると、
1. 気づく、認識する ーーー 評価しない!
2. 受け入れる ーーー 評価しない!
3. 手を加えない ーーー 評価しない!
4. 見届ける・手放す ーーー 評価しない!
つまり「来る者拒まず、さる者追わず」を全現象に対してやってみる。誰からなんて言われてもいいのだよ。評価を手放せ。管理することを諦めろ。少しの間、「人生がめちゃめちゃになるかもしれない」という不安が襲ってくるよ。うん、そんなもん襲ってくるさ。めっちゃ怖いよ。怖いけど、それも受け入れて、そして、手放すんだ。
喜屋武が自分自身だと思っているエゴは、評価しないことや手放すことに全力で抵抗してくるだろうけど、エゴに悪気はないんだ。それはエゴの親切心なんだけど、それこそがまさにエゴのモンスター性なんだ。
モンスターで居るのはつらいよね
つらいよ、ほんとに。
でも、モンスターで居ないと、居続けないと、アイデンティティがキープできないんじゃないかと不安で仕方がないんだよね。
美女と野獣に出てくる野獣は、美女が夫であることを認めると本来の姿に戻る。これと同じことが人間の心理にも言える部分があって、個人の中の野獣性(モンスター性)はただ認めてもらいたい・受け入れてもらいたいだけってことが多い。それだけなんだ。実はそれ以上求めてないんだよ。純粋な魂(美女性)に自分の一部だと認めてもらうことを待っているだけだったりする。それが許すってことにつながっていくと思うんです。
書ききれない
と、筆の進むまま少し書いてみたんだけど、全然文章じゃ語りきれない。消化不良感ぱない。というわけで、喜屋武、話したかったら連絡くれ。時間作るよ。
SN