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下書き削除を何度かやって見えてきたこと

 このところ、数週、「あ、なんか note 書こうかな」と思ってテキスト投稿のボタンを押して書き始めるのだが、「んー、、、違うな~」と思って下書きを削除…、という謎の行為を何度か繰り返していた。

 下書き削除をよくやる人も note ユーザには一定数いらっしゃると思うのだが、これまで note (や、その他の SNS)を使ってきた中で自分にはほとんどないことだったので、ちょっと新鮮である。

 下書き削除を何度かやって見えてきたことの一つに「なんか知らんけど、すっきりする」というのがあった。
 思ったことを勢いでダーッと書いて、少し読み直して「んー、これじゃない」と思ったら躊躇せず消す。これが思いの外気持ちいいのだ。

 ストレス発散になるのだろうか。

 頭で考えていることは案外、「ただ考えているだけ」「ただ外に出してほしいだけ」なことが多いのかも知れない。

 「ただ外に出たい、出してほしい」それだけの言葉やアイデアを無理に公開できるレベルまで煮詰めたり体裁を整えたりしなくていいのかもな、と感じた。
 下書きにダーッと書いて、それだけでなんか満足しちゃったらパッと捨てるのもアリだな、と。

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 最近、直接会ったり話す機会があった友人には少し話してるんだけど、これまで10年近く人づてだけのクローズドでやってきた本業の事業をオープン化しようと思い立って、いろいろアイデアを練っている。

 こんなことしてみようかな、あんなことしてみようかな、とアイデアは浮かんでくるのだが、実際行動に移すとなると考えすぎちゃって足が止まってしまってるところがあったんじゃないかと思う。

 「こうしたほうがベター」とか「外に出すなら最低限このくらいのクオリティはないと…」とか、そういう脳内で勝手に再生されるセルフ・アドバイスとでも言うような言葉にいちいち反応していると、最初の一歩は全然踏み出せないんだな、ということを思い知った数週間だった。

 考えてから行動すべきフェーズというのは、なにか実際に始めたあとにやってくる。冷静に考えれば。

 だから、まず始めないとなにも始まらない

 幸い、業種的に商品の仕入れがないし、設備などへの新たな初期投資も必要ない。場所の確保も不要だ。オープン化に割り当てるための時間配分はある意味で数年かけて準備してきたと言える。

 準備はできているのだな、と思った。

 始めてみて、なんか違ったら修正すればいい。
 なんなら気に入らない下書きのようにパッと削除するのもありだろう。それはそれで多分気持ちよさそうである。

SN

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