2024/5/6 人生捨てたもんじゃなかった。 あのとき、18歳の時、私から自信を奪い、消えてしまいたいと思わせたものはチアダンスだった。 でも今22歳で、こうしてもう一度チアダンスをする環境とチームをもらい、裏切りたくないと思える人がいて、絶対に認めてもらいたいと思える人がいてくれてとても幸せで、また人生が楽しいと心から思っている自分に驚いている。 人生は不思議でおもしろい。 始めてからたった3年と少しなのに、こんなにも私の人生の大きな部分をチアダンスが占めている。 チアダ
こんにちは。映画『僕と頭の中の落書きたち』 私の感情が動いたシーンと見解をレビューしていきます。 彼を追い詰める"孤独"と"失望"。それを乗り越えさせたものは何なのか。そこにはあまりにもリアルな人々の葛藤が描かれていた。 誰にも理解されない苦しみ 理解をしてもらおうとする苦しみ どうして自分だけ、なにかを手に入れればまた大切なものを失う。なにもうまくいかないことのもどかしさ。全てが不可抗力で絶望的な日々。 彼の希望を失った目が、悲しかった。 飲み込まれた感情の衝動的な
わたしは現在20歳、保育士をしている。 保育施設を利用する方ならば分かるだろうが、20歳なんてまだまだ子どもだ。 保護者よりも当たり前に年下で、 人生で初めて手に職をつけたような子ども。 仕事を始めて半年が経った。 多少は慣れてきたものの、分からないことの繰り返しで、永遠に流れ出す「分からない」に溺れそうになる。 正直そんな毎日はストレスだらけ。 こんな若造に子どもを受け止めきれるようなでかい器など存在していない。 わたしにはできないようで、 人様の子どもにイラつくこと
私は今年の4月に新社会人になった。 新しい環境に、常に少しの不安がつきまとっている。 ひとりひとりの行動や言動に敏感になっている。 そこで感じたこと。 あぁ、社会ってこういうところなのか。 わぁ、、なんか、、、、めんどくさ。 学校の人間関係めんどくせえとか思ってたけど、 大人になればみんな大人だし和らいでいくものだとおもってたけど、 むしろ子どもより子どもっぽくない? 他人の言動に敏感で、寛大さが失われてってるんじゃない? いや、寛大さって生まれつききまってるのか? 大人
分からないことや慣れない場面では、何が正解か分からない為、人の言動を正しいと思ったり、これが普通かもしれないと思いがち。 しかし「かもしれない」と思うことは、それが正解だと自分に納得させようとしている状態。 分からない場面や慣れない場面では、相手を信じようとするのではなく、まずは疑うこと。 違和感に対してしっかりと向き合うこと。 向き合うとは具体的に、違和感があるなら自分だけで判断せずに他の人に聞いてみること。すぐに返事をしない。わからないならやらない。断る。 人から受けた