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わかること/わからないこと

セラピストはなぜ自分のことをあまり話さないのでしょうか。

セラピーでは共感(同じ体験をして感情を共有し合う)をもとにセラピーをするのではありません。というと少し語弊がありますが、共感のなかには情動的共感と認知的共感というのがあります。わたしたちが人と体験を共有するときによく使うのは情動的共感のほうです。「あー、わかるわかる!」「わたしもあった」など、同じような体験を思い出して、共有します。情動的共感のほうでは、気持ちが重なり合うので、自分だけかなと思っていたのが、自分だけじゃないんだと思えたり、気持ちを分かってもらえた感覚が起きやすいです。(だからこそ、そこにずれを感じると、「わかってもらえない」「自分とは違う」とがっかりもしますが)。

相談するときというのは、どんな悩みにも共通することとして、わかってほしいというニーズがあるように思います。

セラピストもなんらか痛みや苦悩は抱えていて、セラピストを目指すきっかけは多かれ少なかれこうした体験がきっかけにして心理に興味を持ちその道に進もうと決めているとは思います。また、当たり前ですが、セラピストも人生体験の中で挫折したり、悩んだり、痛い思いをしたりというのはしています。なので、クライアントさんの話を聞いて「あー、わかるわかる」という気持ちが湧いたり、「そうだよねー、こういうときは苦しいよね」と共感することもあります。ただ、セラピーの場合、クライアントさんの悩みをこうした自分の体験からだけで気持ちを理解していくのにはかならず限界が出てきます。
また、この理屈で考えると、同じ怪我、同じトラウマ、同じ悩み、同じ疾患をしないとその人の気持ちはわからないということにもなってしまいます。

では体験していないことをセラピストはどうやって理解するのでしょうか。

セラピーでの対話というのは、日常会話で行うようなこころを通わせるやり方とアプローチの仕方がちょっと違います(わかるわかる!という理解も使いますが)。

結論から言いますと、問いを重ねていきます。人の気持ちについてわかったつもりにならないで、愚直に問いを重ねていきます。「それはどういうことですか?」「そこのところの気持ちをもう少し教えて」と教えてもらいます。そして語られた内容から、こころを働かせてどういうことだろうと考えていきます。

ただ、これは結構難しいです。ひとはあいまいさや不確実さに直面すると答えを出したくなります。わからないことは不安だし答えがあると安心するからです。
なので、とりあえずの形を探します。その時の気持ちはこういう形をしているのではないかなと想像して、「こういうことではないでしょうか」「~されて○○という気持ちになったんですね」など返します。けれど、それも仮の形です。この形がその人にほんとうにフィットするものであるか、決めつけたり押し付けるのではなく、確認します。すると、そこに「そうなんです。」「いやちょっと違います。」という反応が生まれます。そこでまた教えてもらいます。
このやりとりが大事なのです。こうしたやり取りを繰り返していくとあるとき「あー、そうそう!」とお互いにフィットする瞬間が訪れます。そこでやっと「あー、そういうことだったんだ」と満足するという体験となるのです。

ただ、セラピーの過程ではこのように満足するばかりではないです。ボタンの掛け違いというか、ずれるということの方が多かったりします。
これはどういうことかというと、ひとは馴染んだやり方で相手とのコミュニケーションをとるというのがあるからです。
普段ちょっとしたことで怒りっぽい人は、セラピストに対しても怒りっぽくなるでしょう。人となかなか打ち解けられない人は、セラピストに対してもすぐに打ち解けるということはできないかもしれません。期待が大きければ違ったら幻滅を感じたりすることもあります。
というように、小さいころからの人との関わり(特に近い関係)で身についてきたやり方というのをセラピストとの間でも似たような形を取るということが起きてきます。

人は話した人にわかってもらえないととてもがっかりします。相手との間に溝を感じます。怒りを感じたりもします。普通の人間関係では、分かり合えない人とは距離をとるか、離れて行くでしょう。けれど、セラピーの過程では、そこで何に怒りを感じたかについて目を向けていきます。いまここで起きていることについて目を向けるのですね。すると、こだわっている何かがあるから怒りがわいてくるということが見えてきたりします。そこでそのこだわりって何なんだろうというのを一緒に考えていきます。すると、こだわりのなかには、自分にとって大事にしているものが隠れていたりして、それが蔑ろにされたり、傷ついたことから悲しかったり怒りを感じていたのかもしれないなど、隠れていたものがひょっこりと顔を出してきたりします。

こうして「わからない」ことからスタートしたことから「わかる」ということが生まれるのです。

これはなかなか大変な作業ですね。
けれど、こうしたわかる作業は、ひとりではなかなかできないことだったりします。セラピストはその相手となるのです。だから、セラピストはクラアントさんが自由に話せるよう、自分のことはあまり話さないのです。

セラピストって変な存在ですよね。
セラピストは、こころの中をともにする遠くて近い存在だともいえるのです。

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