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こころのカタチ①

自分たちは普段から何気なしに心を使っている。それは使おうとして使える時もあれば、知らず知らずに使っている時もある。

だが、大概の場合は無意識に使っている。。。

そんな使い切れない心を使えば、心を知らないがために、心を使っているようで実は心に使われている。それも、自身の心に振り回されるとも言い、手に負えなくなってしまうこともある。

自分たちは何故、心を使おうとするのか。
それは幸せになるために決まっている。

だが、心を使おうとすればするほど、自身の心がわからなくなる人もいる。それは、迷った時などに起きやすい。

人は迷うと「何でだろう」と考える。
考えれば考えるほど迷いが深くなり、時には心を病(やま)すことにもなる。

それは、答えが見つからず、見つけるために感情ばかりを湧かすからにある。それは自身のこころがどうしたいかさえも忘れさす。

何故、人は迷うと考えてしまうのだろう。
出来事に迷うから考えてしまうと思う人が多いようだが、それに本当の原因はない。

本当の原因は心が辛いことにある。
言い換えればこころが不幸と感じるから原因となる。その不幸となっているこころを幸せに感じさせねば原因は解消することはできない。

出来事は次から次へと起きてしまう。
だから、こころの原因を解消するのが先となる。

人は心をよく知らない。
出来事と心の辛さを一緒に考える癖がある。その時、本当の原因に気づけず出来事に答えを見つけようとすれば心に無理にをさせる。

出来事が嫌だから考えてしまうのは当たり前と思うかも知れないが、その原因が心にある限り負担をかけるリスクを自身がつくってしまう。

それではいずれ心を病すしかなくなる。

すでに心を病していると思う人。
周りに心を病している人がいる人。
きっと、その病している人は”心を知らず”出来事に執着しているはずです。

原因は出来事にはないのです。出来事は単なる理由であり、本当の原因はこころです。こころが不幸を感じるから辛くなり感情を湧かしてしまうのです。

出来事が先か。原因が先か。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」
出来事も心も追えば一つも得られないと云うことです。

『こころのカタチ』のはじめの一歩は「出来事」には必ず心が感じていることがあり、心の中心にその感じる”もの”があります。

それが幸せか幸せで喜怒哀楽(かんじょう)を湧かしてます。

(心のカタチより)

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