ひとは完璧じゃないからひとなのです
ひとは完璧じゃないから
ひとなのかも知れませんね。
完璧じゃないから
喜怒哀楽が湧くこころがあり
そのこころにある気持ちが
幸せにも不幸にも感じれる
ひとは誰もが幸せになりたいと
思ってます
だから、幸せになりたい思い(かんじょう)が
幸せとなるためのこころのパワーを湧かせるのです
不幸だから何。
幸せだから何。
完璧じゃないから
こころが湧かす感情で
楽しめると気づかないとイケないのです
要は未来(じんせい)を
楽しむか楽しまないかは自分次第だったのです
それが人生を楽しむ基本(スタート)と云うこと
基本があるから物事という出来事によって
その楽しむを強く増大させれます
ただ、基本に気づかず
物事だけを楽しむのであれば
それは時と伴に消える感情となります
ひとは感情を湧かし過ぎます
感情は消えたり忘れ去られたりしてしまうから
活きるパワーには弱すぎるのです
そのパワーを使い切ると弱音にもなります
だから、基本に気づく必要があり
基本を楽しめればどんな出来事も
幸せを感じるためのパワーを湧かす
1となります
この1が無ければ物事で倍増する意味が無くなります
0(ゼロ)に幾ら物事を掛けても0は0なのです
皆さんは幸せだから何、不幸だから何。
その何に重きを考えているのなら
それは行き当たりばったりの
感情に振り回される惰性な人生(みち)を築いているのではないでしょうか。
自分は物事とこころどちらを優先したいですか?
ぽち☆が優先するはこころと感じます
それに気づけるひとは
物事では幸せを増大させるアイテムでしかならないと判りもします
二兎追うものは一兎も得ず
一兎を追うものは
その先に二兎目を得る可能性を築くのです
初めての事(コツ)が一度できれば
二度三度と何回でもできる経験が出来ます
初めての事が理解できなければ
それはたまたまとさせてしまいます。
ひとは完璧じゃないから楽しいのです。
それを楽しむか楽しまないかは
自分が決めれる事なのですね。
(心のカタチより)