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こころと人生

人の人生は、動画のようにひとコマひとコマに人生が記録されている。そのひとコマ毎に心が記録され『幸せか不幸せ』が記憶されている。

映画などは、その場面場面に意味を持たせ観る者の心を魅了し記憶に残像を残すが、人生のひとコマひとコマは自身が創るものである。

映画に対し人生のひとコマには、幸せか不幸がありそれが画(えが)かれたひとコマに鮮明に記憶し、次のひとコマへと影響する。

人の心にはどんな時でも、今の自分の幸せか不幸が記憶され、記憶とともに次の人生を創り上げていく。

ただ、人生はひとコマづつに別れているがため、次のコマで幸せから不幸、不幸から幸せと変わることがある。それはコマを創るのが自分自身であり、自分に”幸せになりたい”という思いがあるためそうもなるが、自身の思いと同じコマを創れれば自ずと幸せな記憶も創れる。

ただ。それには心を自分の”もの”にしなければ、自分のコマを創ることができない。出来事ばかりに振り回されていれば、自分の思いと違うひとコマを造る。

それは、そのひとコマで済めばマシだが、心を自分の”もの”にできてなければ、出来事という惰性(かんじょう)で次のコマ、そのまた次のコマと同じ記憶を造り出させる。

自分たちは心を然程習ってない。だから、心を自分の”もの”にするのに苦労している。それは、心に興味を持つだけではできないこと。

心は”もの”であり、使う側の自分が心を知らなければ使い熟せない。心を知るには興味からはじめるが、それだけでは幸せなひとコマを創り出すには使い方を知る由もないということ。

しかし、心は誰もが習ってない。だから、知らないのは当たり前なこと。当たり前だから人生のひとコマを幸せに最初から創りだすことはない。

言い換えればできるはずもないことをすること事態不幸ということ。それを”幸せになりたい”からと無理をすれば感情を湧かし暴走させてしまう。

だから。
今は自分のこころを自分の”もの”にする必要があると知ることだけ。それだけを知るだけで人生のコマは幸せへ進み出す。

それは、今より幸せになるから。
まだまだ、体感できないちっちゃな幸せかも知れないが、今より幸せは確かにある。

今、自身が興味ではなく、自分のこころを知りたいと思うのがその証です。

そして、それを感じる今のコマが『気持ちのままに』というコマとなり、幸せのひとコマが追加されてます。

(心のカラチより)

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