心は何故、病むのか
自分たちは、心の病む原因に出来事を言われる人が多々おります。もちろん、それは病む理由として関係はしているが、そもそも、それで心は何故、病むのかを知らない人が多くいるのだと思われる。
嘘からの嘘
人は物事を説明する時に自分の知る知識を使い説明します。それは、その知識の範囲で説明する内は良いですが、それを超えて説明すれば嘘となります。
それがどれ程大切な事を説明いるかは分からないが、一旦嘘をつくけば、その嘘を正当化するために更なる嘘が必要となります。
嘘からの嘘。それは良くない事と誰もが知るはずです。
出来事に負担
自分たちには日々物事が起きてます。その物事を出来事ともいい、それは自身に起きた物事として心で受け止めます。
その出来事が自身に幸せを感じさせる事であれば心の負担にはなりませんが、それが幸せに感じれない事ならば心の負担となるのです。それを不幸といいます。
出来事に負担。それは心がどう受け止めたかで決まること。
心の負担
誰もが知るように自身の心が望まない事は、すべて不幸を感じさせます。その不幸は幸せでないことを云う。
当たり前だ。
そう当たり前だが、人は自身の心を不幸にさせる癖を持つ人が多いのです。その癖は、悩みや心を病む方なら誰もが判っていることです。
心の負担。悩みを知らない人はいないのです。だから、誰もがこの癖に負担するのです。
心は何故、悩むのか
もちろん、悩むことが心の負担と知っているからに他ならない。出来事に悩めば悩まないようにするからこそ、心を振り回されるのです。
悩むところが違うのです。悩み辛いと思うのは自身の心です。そこに気づかねばドツボに嵌まります。それは『心を知らない』ことが辛いと思わせているのです。
心は何故、悩むのか。心を知っていると嘘をつくことからはじまります。
心を知らない
自身は自分の心を1番知っていると自負すれば自負するほど嘘をつく。その嘘が積もれば不安を煽ります。
自身は心の何を知っていたのか。
今の自分が幸せと思っている内は、そんなことにも気づきませんが。
一旦、幸せでなくなればそれが嘘だったと気づきもします。それに気づきもすれば良いですが、まだまだ気づけない人が多いのも事実です。
心を知らない。辞書にも習ってない心をどう自分は知ったのか思い出せば判ります。自分がつくりだした嘘ということを。
自覚
もちろん、全てが嘘かというとそうではありません。ただ、それが本当か嘘か確かめる術がなければ嘘と同じです。
納得できない心の説明は嘘と同じということです。
では、自分は心の何を知っているのか。
心がある事以外は嘘なのかも知れませんね。
学問的な説明があっても心が何処にありどんなカタチをしているかは書いてないのではないでしょうか。
自覚。自分たちが1番知っている事があるのです。それは「心を知らないこと」なのです。その自覚せねば、事ははじまらないのです。
心は何故、悩むのか。
それは、心を知らないから悩むのです。
追伸。ぽち☆の話の下手さにお付き合いいただいている方々に感謝しております。そんな話ですが心を知る一歩になり得るんじゃないかと思います。何かの時にこんな話があったなぁ、と、読み返して戴ければ幸いに思います。
(心のカタチより)
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