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弱音は吐いてもいい

人は得意なことをへいへいと言えます。
その反面、自分の弱音を云えれる人は少ないです。

もちろん、弱音はない方が良いのですが、弱音のない人はほぼいません。そんな弱音には2つがあります。

一つは自分がしでかしてやってしまったことの弱音。この弱音はここでの話題とは違うのでスルーし、もう一つの弱音の話しをします。それは自身の心にある弱音です。

人は弱音を吐くことを躊躇します。
それは”恥ずかしかったり”、”言って良いのか”などといろんな思いがありますが、それらが言えなくさせてます。

それらを感情といい、自身の気持ちとは逆の『建前』を多々させてます。この感情は感情から湧いた感情で自身の気持ちを阻害することです。

それを”ストレス”ともいい、それが心に負担をかけ解消する術がなければ、いずれ心を病(やむ)ことにもなります。

何故、人は弱音を吐けないのか。

「弱音」という言葉からも”自身の心の弱さ”を表していると思われるのかも知れません。その弱さと考えること事態が”言ってはイケない”こととさえ思わせているのかも知れません。

それさえも感情であり、感情が感情をそのまた感情を湧かすことをしております。そんな幾重にも重なる感情が『自身の本音(きもち)』を見失わせ躊躇させるのです。

弱音は誰しもが普通にあることです。冒頭で「弱音のない人はほぼいません」と云ったのはこのことです。得意なことをへいへいと言うのは普通なことですが、弱音があることも普通なことです。それを心の弱さと思うこと事態が自分で自分を弱くさせる理由(かんじょう)を築きます。

弱音は決して弱いことではなく普通にあり得ることです。

だから。弱音を吐くことは”自分のため”になるのです。幾重にも重ねさせる感情を超えて吐く弱音とは、言い換えれば”本音”を云うことでもあるのです。

本音を云えるとは、自身の気持ちに素直なことです。その素直な気持ちを”気持ちのままに”にさせることで、自分のためにできるのです。

だから、弱音を吐くのは弱いことではなく、本当は本音という強さの現れになります。

不特定多数な場所への書き込みでも、人に話すのでもいいのです。弱音の中にある気持ちを感じる人々が反応し、本音という強さを実感させてくれるのです。弱音を吐けることは自身にとってとても大切な一つです。

それが独りでは活きられない理由にもなります。そして弱音を吐くことは自身の心を強くする術です。

(心のカタチより)

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