【連載】家族会議『印象操作』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議19回目#2|印象操作
――自分の感情や気持ちを認識するのが苦手な父に、人格を意識しながら過去の思い出を振り返ったらどうかと、そんな話をした。
過去を思い出すとき、過去の思い出を語るとき、どんな人格(感情)がそれを思い出し話しているのか。意識してみては?と。
すると父は、お袋が学芸会の服を縫ってくれた話は、「お袋を持ち上げようとする青年(俺)」がいるのだと。そんなことを言った。
わたし:
じゃあそのとき、自由な子供は?
父:
自由の子供が何かねー‥‥自由な子供ってどういう子供なんだ?って感じだ。やってることは自由なんだろうけどなぁ。
自由な子供。あえて言うならば、普段どうしてたのっていう話があって
わたし:
うん。
父:
んーとね。ほとんど、お父さんのうちの前は空き地で、その前のうちが兄弟が多くて、その一番下の男2人と俺と、あと誰か、4,5人でいつも遊んでたんだ。ほんとにもう、好き勝手な遊び。毎日遊んでたな。
母:
外で?
父:
外で。で、その前の家は精米所やってんだわ。その精米所って大きいから、その中でもう飛び跳ねて遊んでた。毎日。
母:
怒られなかったの?
父:
遊んじゃ駄目だって言われたけど、それでも遊んでたな。
母:
機械が大きいから楽しそうではあるよね。機械っていうか空間っていうかね。
父:
かくれんぼするのに最高なんだよ。
わたし:
そうなんだね。それは自由な子供なのかな?
父:
で、昔子供が多かったからね、町に。俺んちのまわり4~5軒で、もう子供がいっぱいいるから、それで遊べるんだわ。その精米所の中で遊んでたっていう記憶がかなりあるね。自由奔放に。
わたし:
そう考えると自由な子供は、純粋な自由奔放さがある子供なわけだから、3~4歳ぐらいかな?
母:
年齢にすると?
わたし:
年齢にすると。
で、良い子の人格は多分、小学生ぐらいから活発化してきてる。小学校入る前後。だから5、6歳ぐらいには芽生えてるんじゃないかなっていう感じ。で、主にそれが活発に学生時代を生活してきてる。感じかなっていう印象。
なんかさ、やっぱお姉ちゃんのあの人格シートみたいに、その人格の年齢と特徴をよくよく割り出してみると、わかりやすいかもなって思うね。「これ言ってたのって誰だろう?」とか、そういうのがわかりやすくなる。
そうやって振り返ってくと、「じゃこのとき、この子は何やってたのかな?」って。お姉ちゃんみたいに各人格に名前つけてやると、より明確に思い出せる。
母:
出来事とか、気持ちとかね。
わたし:
うん。かなって感じがしてくるね、やっぱり。
母:
やっぱ良い子なろうとしたのとかは、小学校入るあたりからでしょうよね。
父:
そんな意識ないわな。
わたし:
そういう意識が芽生えた感覚って覚えてる?
なんか、小学校入る前なんだろうなっていう印象なんだよね。
母:
よこちゃんの家に連れて行かれたときとか
わたし:
そうだ、「嫌だ」って言えなかった。従わなきゃみたいなことではないと思うけど、無条件で従っちゃう。従っちゃう自分がいたっていうか。
そのあたりから、従順な良い子としての意識が芽生えてきてるのかなって。
父:
あれは小学校、ちょい前だと思う。
わたし:
その辺だよね。
怒られても関係なく精米所の中を飛び回ってるっていうのは、そのときにはまだ、怒られるかもとか特に気にせず遊んでたわけじゃん。遊んじゃ駄目って言われてるのに。そういうのは何か、明らかに自由な子供って印象。
だけどもうちょっと歳が上がってくると、「遊んじゃ駄目」って言われてる場所で遊んでるんだから、母親に知れたらどうしようみたいな気持ちが出てきたりとかさ、母親にわからないように遊ぼうってしてみたりとかさ。そういう意識が芽生えてくるんだと思うんだよね。
母:
どっちかっていうと、大人の見てないとこでは自由に遊べた感じかな?
父:
うん。あれ、北上川での鮭とってなんていうのもあれ
母:
もっと大きくなってからでしょ?
わたし:
何?鮭とっちゃいけないのにとってたってこと?
母:
とっちゃいけなかったわけではないよね?中学生ぐらいの遊びとしては魚とったりして遊ぶもんね?とってはいいんだよね?別にとったからって怒られないよね?
父:
鮭をとってはいいんだわ。そのために網を張ってるわけな
母:
自分たちで
父:
俺ではない誰かが。
母:
大人が?
父:
うん。大人が。それに引っかかってるわけさ。
何かバシャバシャっと動いてる。のがいたんで、あげてみたのが「鮭だ!」。これあげてって、小屋があるからそこに鮭を持ってって焼いて、食べたよという話なんだ。
母:
あぁ~。じゃ誰かがかけてる網から、ある意味盗んだってことだよね。
父:
そうそう。誰かの品物を盗んだって感じ。
わたし:
それは何のエピソードとして話したってこと?悪いことしちゃったエピソードとして話したの?
母:
いや。鮭を誰かがしかけてる網から取ったっていうのは今日初めて聞いた。
前は、北上川で鮭を取ってみんなで焼いて食べて、その結果よく焼けてなかったのかお腹壊した。という話として聞いたのね。
わたし:
そんな遊びをしてて、お腹も壊しちゃったりしたよみたいな?
母:
うん、そんな遊びをしてたって
わたし:
だいぶ話が変わってくるね。盗んでそれをやったのとさ。笑
母:
そうだね。笑
父:
タケちゃんと俺と、それからタカシという1学年下の、この3人でやったんだわ。笑
母:
だけどさお父さんほら、小学校も中学校も良い子だったんでしょ?友達が何人かいるからばれちゃうじゃん?そういうのは怖いとかは思わなかったの?もう楽しいほうが先に立って
父:
そうそうそう。思わなかったな。
わたし:
基本的に長いものに巻かれろだったんだから、そういう人たちの存在がない場所では、自由奔放な子供が目を覚ますというか、普通に楽しむんだね。
母:
うん、あまり前後は考えずに楽しいことをするみたいなことだね。
父:
結構楽しんでたなぁ。
母:
どこ行ったんだろう?楽しんでた子供。
わたし:
ね!あんまり聞いてない。楽しんでた子供の話。
母:
結婚してから何か忘れて
父:
あまり関係ないと思ってたから。
――父は、自分の印象を操作してきたよなぁと思う。意識的か、無意識かは別として。
なんだ。楽しい子供時代を過ごしてたんじゃん!ちょっと悪さもしたりして。
― 今日はここまで ―
これまでの父の子供時代のイメージは、優等生であり苦労人。
優等生だったけど家の借金苦で進学できず、家の手伝いを懸命にするも褒めてもらえず‥‥みたいな。
横暴な父と、苦労する母の間で萎縮しイエスマンになるしかなかった子。にもかかわらず、父や母へは感謝しかないという健気な子。
父はまるで、悲劇的な子供時代を送ってきたかわいそうな人だった。
そりゃあ、自己愛性パーソナリティ障害にもなるよね。って。
だけど実際は、聞いていた印象ほどひどくはない。
父の中では、誇大妄想が起きている。
その妄想をするのに、友達と楽しく遊んで、ときには悪さもする自分は邪魔だったんだろう。
わたしたちに、「かわいそうな俺」をわかってもらうためにも。
そんなことしなくても、十分にわかっている。
だって、自己愛性パーソナリティ障害になるには、それなりの理由があるんだから。
むしろ、自由奔放に楽しく遊ぶ子供がいたことを思うと、ホッとする部分もある。
<次回に続く>
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