【連載】家族会議『耐え難い悲しみの中で人は』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議11日目#1|耐え難い悲しみの中で人は
――2020年1月20日。家族会議は11日目になった。
10日目に引き続き、母の幼少期、とくに母がどんな人たちに囲まれて育ったのかを知る回になった。
母:
赤ちゃんのときはおばあちゃんたちが(面倒を)見てくれて。おばあちゃんが5人(いとこを含め)を1人で見たというよりは、そんな感じかな。面倒見るっていっても勝手に遊んでるみたいな。そういうことだと思うけど。
で、おばあちゃんにしてもらったことで思い出したことが、髪を切ってもらってたね。床屋さんに行かないで。節約の意味もあるんだろうし、床屋さんも遠いから。
わたしもだし、弟もだし、髪切ってもらって。ある程度の時期が来ると風呂敷みたいなのを巻いて、髪切ってもらってたなおばあちゃんに。
わたし:
そうなんだぁ。
――わたしも姉も、小さいころは母に髪を切ってもらっていた。
先日、母と姉と3人で話していたときに、そんな思い出話になった。「お母さんに切ってもらってたよね」と。
さるかに合戦のイラストが入った水色のケープがあって、それを巻いて玄関で切るのが定番だった。
あるとき姉が帰ってきて扉を開けると、玄関で大泣きしているわたしがいたという。前髪を短く切られ過ぎて泣いていたらしい。笑
自分では覚えていないけど、素人のカットだ。あるあるなワンシーンな気がした。しかもそのときのわたしは、スクール水着を着ていたのだとか。
そんな自分の姿を想像したら爆笑してしまった。
母:
おばあちゃんとはそんな感じかな。
あとはおじいちゃんは、すぐにカッとなって怒る人っていうことではあったんだけど、とりあえずわたしとかに対しては、そんな怒られたことはないかな。なんか、ニコニコしてた。
誰かが怒られてるの見たのは…いとこが怒られてるの見たの。大人になってからだけどね。
あとそれ以外に、わたしの父親がよく、おじいちゃんとその息子が喧嘩してんのを止めに、呼ばれたりして行ってたから、怒る人だっていうのは知ってたけど。自分は直接あんまり怒られた感じはしなかったな。
わたし:
いとこって男性の?女性の?
母:
女性の人。一番上の。
その人は跡継ぎの人と結婚して、お姑さんたちと一緒に暮らしてる。その人があれだよね、その人の息子さんが自殺したって。お姉ちゃんと同じ年なんだよ。
わたし:
何歳ぐらいのときってこと?大人になってから?
母:
大人になって、結婚して、何か東京の方に住んでたらしいんだけど子供もいて、子供もまだちっちゃかったと思うけど、そういう感じ…。
父:
その人のお父さんっていうのがあれか?役場に勤めてて、役場はやめた人?
母:
その人のお父さん?
父:
その自殺したとか何とかいう
母:
お父さんは役場じゃなくてね、その人農協だ。
父:
農協か。
母:
2人とも農協に勤めてて結婚したんだけど。お母さんのいとこね。5人のうちの一番上の人。
わたし:
の旦那さんのことね。
父:
定年前にやめたんだろ?
母:
そういうのは知らない。お父さん、叔父さんとごっちゃになってる?
父:
うん。だからそこを区分けしよう思って今質問してる。
母:
叔父さんとは違うの。その人はうちの母の妹と結婚したんだから。
父:
その人があれか。どこ勤めてたの?
母:
だから、役場。
父:
役場ね。
母:
お父さんはその人とはよく話したことあると思うよ、昔ね。私と結婚したばっかりの頃っていうか、何回か。
父:
お義父さんの葬式のときに、受付でその人と話したわ。
母:
私のいとこの旦那さんとはあんまり会ったことないと思う。
父:
その人とは違うわけね。はい、わかりました。
泉がその辺聞くとちんぷんかんぷんだから、家系図作れって話なんだよな。
――相変わらず、父の気になるポイントがよくわからない。その人の父親がどこに勤めていたかが、今の話の流れで気になる?自分の想像している人と同一人物かを確認したかったとしても、だ。
そもそもいとこと叔父さんがごっちゃになってる時点で、父にこそ家系図が必要だろう。
わたし:
なんかもう、今書く?って思ってきちゃったよ。笑
でも今、話途中でしょ?
母:
いや、だいたいは。
わたし:
いいの?その自殺しちゃった、いとこの子供は一人っ子なの?
母:
一人っ子じゃない。
わたし:
何人かいるの?
母:
お姉ちゃんがいる。そのお姉ちゃんが今うちを継いで
わたし:
そうなんだ。その辺は、自殺したっていうことぐらいしか聞いてないってこと?
母:
聞いてない。お葬式も特に、家族だけでやったみたいな。でわが家でも後から知ったみたいな。
わたし:
そっか、どうしてるんだろうね、奥さんと子供は。
母:
子供も小さかっただろうからね…。
――母は去年から、しばらく連絡をとっていなかったいとこと、ふたたび交流するようになった。祖母がグループホームに入ったのがきっかけだった。
ホームにお見舞いに来てくれたいとこと再会し、感情があふれだした母に、わたしは手紙を書くことを勧めた。
その返信には、自殺した息子への思いがつづられていた。
なんとなく触れられずにいた母は、このとき初めて、直接息子さんの話を聞くことになったのだった。
そのいとこは今、お寺で御詠歌を唱っているそうだ。
故人への供養である御詠歌は、息子と自分のためでもあるのだろう。
耐え難い悲しみの中でも人は、生きていかなければならない。
- 今日はここまで -
今日で、note100日連続投稿だ。
主に4年前の家族会議の録音の振り返りをしていて、わが家に起こったこと、起こっていることを整理している。
記録に残そうという個人的な目的にも関わらず、日々読んでくれる人がいて、ありがたいやら申し訳ないやら…。
家族会議の録音は全部で50本ほどある。1本を何日かに渡って書いているから、ぜんぶ書き起こそうと思ったら1年はかかる計算だった。
ふと思いつきで始めたけど、1年これをやると思うと途方もない感覚になった。
でも過渡期にいるわが家にとって、この録音と向き合うことはなんらかの意味があるはず…と、思っている。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!