見出し画像

【連載】家族会議『親として未熟でも子供にしてあげられること』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。

前回の記事はこちら。

【家族構成】
父:自己愛性パーソナリティ障害。頭に血が上ると大声で威圧する。
母:自己肯定感が低い。自分の意見を言えない。
姉:うつサバイバー。心理カウンセラーをしている。
わたし:性犯罪サバイバー。家族会議を主導する。
※遠方に住む姉は家族会議には参加していない。
※家族会議の目的は、夫婦仲の改善と、うつを抱える姉の気持ちをわかってあげられるようになることである。

家族会議21回目#3|親として未熟でも子供にしてあげられること

――姉は、幼いころから虚しさや無価値感を抱えてきた。そんな姉と向き合うためにも、まずは父や母が、自分の苦しみと向き合い、癒していく必要があるよね、と話してきた。


わたし
もちろん、そんな簡単にできることじゃない。けど、お姉ちゃんのことだって待ったなし。

だからそういう意味では、昨日お母さんが言ってたみたいに、「一緒に考える」っていうのは、今できる最善の方法だろうね。

多分、お父さんとかお母さんの立場からだとどうしても、お姉ちゃんが甘えたいってなると、「甘えさせてあげなきゃ」っていうふうに、親としてなると思うんだけど。

:それだけの力がないのに「やんなきゃ」みたいなことになるわけだよね。

わたし:そうだね。大人になってないのに、「大人としてお姉ちゃんをなんとかしてあげなきゃ」みたいな視点。ずっとそういう感じだったのかなって。

お姉ちゃんもそういうふうに求めてくるから、当然、お父さんとお母さんもそうしなきゃってなるだろうしね。もちろんお父さんは父親で、お母さんは母親で、お姉ちゃんは子供なわけだから、親として、大人としての対応しなきゃって、ずっとやってきたと思うんだけど。それが無理がある。今の段階では。

そういう意味では、お母さんが昨日言ってたように、「一緒に考えてあげる」っていうことが、今一番できること。お姉ちゃんに対してやってあげられることはそれかなって思う。

同時に、お姉ちゃんの気持ちを受け入れてあげられるだけの心の広さを養っていくためには、自分たちの幼少期から今までのケアをしていく必要もあるよねって。そう思ったって感じ。


――子供が生まれた瞬間、親になれるわけじゃない。

「親として」という意識は自然と芽生えるだろうけど、その意識に、実態が伴っているかどうかを把握しておく必要がある。

実態が伴っていないからダメ。なのではない。

自分の実態を、正しく把握しておいたほうがいい。ということだ。


なぜなら、実態と意識のギャップが、矛盾が、自分を追い詰め子供をも追いつめてしまうから。


むしろ「子供を育てながら、一緒に学び、考え、成長していく」くらいの心持ちでいたほうが、親も気が楽だろう。

「自分も親としてまだまだ」と思うことで、人に頼るという発想も生まれる。


親として、常に子供を導かなければならないわけではない。

親として、常に立派でなければならないわけではない。


そうではないのに、そうだと偽ることのほうが、自分も子供も苦しめるのだ。


わたし
で、今日はお姉ちゃんからLINEで「何もかも諦めたくなるような気持ちが出てくる」「申し訳なさ、罪悪感」っていうLINEが来てて。湧いてきた気持ちのメモなんだけど。とりあえずメモとして送ってきて、後で話すってことだと思うけど。

お姉ちゃんはこうやって、自分の中から出てくる気持ちをとにかく出してる。苦しいんだけど、見ていかなきゃ駄目だと思うから「ここに向き合っていこうと思う」って。

‥‥(ここまで聞いてて)どう思う?


その通りだと思う。お姉ちゃんも、それ(虚しさや無価値感)を何とかしたいって言ってるわけだし。はっきりしてるわけじゃん。これを何とかしたいんだって。

わたし
お姉ちゃんは「お父さんお母さんなんとかしてよ!」っていうよりは、「自分でチャイルドケアを何とかやって行きたい」って言ってるけどね。


それはもちろん、もちろんそれはそう。だと思うけど、こっちもやらないと。って感じだよね。

もう、同時に起きることかもしれないしね。こっちが自分のことを癒やす。と同時にお姉ちゃんも

わたし
うん、癒されていく。ってことはあると思う。


同時に起きそうな気もするし。

癒すのって難しそうだね。どうやったらいいんだろう‥‥。あ、お姉ちゃんと同じか。お姉ちゃんがそれを、その虚しさをどうしたらいいかと一緒。おんなじだね。


― 今日はここまで ―


親として、大人として未熟でも、子供が生まれた瞬間、親になってしまう。

そのとき、「自分がどういう親であるべきか」という価値観は、自分の親の影響が大きい。親の教えの通りであれ、反面教師であれ、「そうあるべき」という姿を教えられてきたものが基準となる。


ここで「親として」頑張りすぎてしまう人は、その方向性に無理があると思ったほうがいいかもしれない。

親として完璧ではなくても、できることはある。


それが、「一緒に考える」ことだと思う。


できることはしてあげる。

わかることは教えてあげる。


できないこと、やったことないこと、わからないことに直面したときは、一緒にやってみて、一緒に悩んでみて、一緒に考えてみればいい。

<次回に続く>


これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!


いいなと思ったら応援しよう!

心乃泉
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!

この記事が参加している募集