【連載】家族会議『がんばり中毒』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議22回目#5|がんばり中毒
――里帰り出産をしなかった母は、第一子を出産後、育児ノイローゼになっていた。
育児疲れからぼーっとしていて、遮断機の下りてきた踏切に入っていきそうになったというエピソードがある。
この日の家族会議は、その当時の状況やら心境やらを話している。
母がそんな状態だと気づきもしなかった父だけど、育児をまったく手伝わなかったわけではない。
母も、父が何もしてくれなかったとは思っていない。
支えてほしかったのは、気持ちのほうだった。
だけど、自分の気持ちをどう扱えばいいのか、母はそれを知らなかった。
それもこれも、自分の未熟さゆえであると。
わたし:
しまい込んでた思いって、思いだせる?
母:
やっぱやらなきゃみたいな。とにかく、あの半年(姉が生まれて半年)ぐらいはなんだか、すごく夢中だったから。お父さんと気持ちが通じ合わなくて寂しいとか、そういう感じもなかったな。
そういうのも自覚できてないのか、よくわかんないんだけど。
とにかく子育てが、本の通りいかないよね。24時間の中で何かやろうとすると本当に、いっぱいいっぱいになったな。
「自分でやるんだ」みたいな感じだったから。自分の気持ちなんて
父:
だけどあれだよな。いくら(育児の)経験ないとはいえ、いっちょまえに大人になって、子供もできたんだから。子供の、これからの成長を考えると、どうすんべやというので、大変じゃねえか。
何が大変だとか、そういう話を俺から出すべきだったのかもしらんね。わからないなりにも。
――前回の話までで、父はどちらかといえば自分の正当化をしてきた。だけど母が自分の未熟さの責任を認めたことで、父はようやく、寄り添いの姿勢を見せたのだった。
母:
あまりにもいろいろわからなすぎて。
父:
わからないもの同士の話し合いでもわからないって?
母:
いやいやそういう意味ではないけど。
父:
だけど、しんどいことを言えばいいんだよ。
母:
そうだよね。だからそのしんどいって、言っちゃいけないみたいな。
お父さんは外で働いてんだし、家の中とか育児とか、自分がやらなきゃいけないんだから‥‥しんどい。しんどいっていうことを知らなかった。笑
わたし:
感じられてなかったんだよね、しんどいっていうのを。
母:
しんどくたってやるみたいな感じ。ねばならないみたいな。
父:
だって自分を壊してまで、なぁ。
母:
壊れてるのにも気づかない。
父:
それにも気づかない俺だもんな。
母:
そうだね。笑
わたし:
お父さんも自分が壊れてることに気づいてないよね。自分が壊れるほど頑張っても気づかない2人。
父:
だね
わたし:
ってことなんだよね。
だからやっぱり、どっちの実家も頑張るってことが、美学。我慢する、弱音を吐かない、そういう教えのもとで育って
父:
それを美学としていたな確かに。
わたし:
つらくてもさ、それを押し込めて、とにかく頑張ることをやってきた。
ある意味では、そのおかげで今があると思うし、そのおかげでお姉ちゃんもわたしも、今この歳まで生きてるのかもと思うけど、その反面、弊害も出たっていうことなんだよね。
― 今日はここまで ―
人は、どこまでがんばればいいのか。
その加減が、案外難しいのかもしれない。
がんばらなければ何も成せないけど、がんばり過ぎれば体や心が壊れる。
やっぱり、キーワードは「ねばならない」か。
がんばらねばならない。
我慢せねばならない。
「ねばならない」と思った時点で、そこにはもう、自分の意思はない。
がんばりたいという前向きな気持ちもない。
そうやってまで頑張ったとき、確かに手にするものもあって、それがさらに人を惑わす。
それが案外、目に見える大きな成果だったりすると「がんばり中毒」になる。
その陰で大きな弊害が出ているのだとしたら、大きな成功と一緒に取り返しのつかない失敗をしていることになるのだけど‥‥。
<次回に続く>
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