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【連載】家族会議『子育てを見られている感覚』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
【家族構成】
父:自己愛性パーソナリティ障害。頭に血が上ると大声で威圧する。
母:自己肯定感が低い。自分の意見を言えない。
姉:うつサバイバー。心理カウンセラーをしている。
わたし:性犯罪サバイバー。家族会議を主導する。
※遠方に住む姉は家族会議には参加していない。
※家族会議の目的は、夫婦仲の改善と、うつを抱える姉の気持ちをわかってあげられるようになることである。
家族会議29回目#4|子育てを見られている感覚
子供の立ち居振る舞いが、「イコール自分の子育てを見られている感覚だった」という母。
母:
例えばさ、お義母さんの悪口を言ったとするよね。そしたら、子供がそれを言うことがあるかもしんないじゃん。だからそういうことは言わないようにしようとか、してた感じ。なんか自分の本心を知られちゃうみたいな。
言わないようにしようというのは、自分の子供のときもね、親が平気でいろんなこと言ってて、それを言って怒られたことがあるから。不用意なこと言ってるおばあちゃんが悪いと思うんだけど、でも自分は、そんなことで後で子供を叱るようなことにはしたくないなとか思って。‥‥やっぱり何でもかんでも、前もって(注意してた)っていう感じ。
――子供の前で不用意な発言をしないようにしよう。というのは、親としての普通の対応だと思う。だけど母の場合、自分も言わないように気をつけるし、子供にも気をつけさせた。
‥‥それが、ちょっと行き過ぎてしまう。
子供を叱るようなことをしたくないから、叱られないような子になるよう躾ける。という、歪んだ固定観念を持ってしまったのが母だ。
シンプルに考えるなら、「子供の頃、理不尽なことで叱られるのが嫌だったから、自分はそういうことで叱らないようにしよう」となる。
そう考えられないのは、「子供(自分)が駄目」だと思い込んでいるからだろう。親は理不尽だと知っているはずなのに、「自分が悪い子だ」と思い込まされた洗脳から抜け出せない。
だから、「子供の躾や教育をしっかりしなければ」という考えに思い至る。
母:
結構さ、子供に何かがあると、子育てのこと言われたりもした感じ。
わたし:
うん。それは、そうだろうなとは思う。子供に判断能力はないわけだから。子供の行動って、イコール親っていうふうには見られちゃうし、当然その側面もある。
あると思うんだけど。‥‥だからとにかく、過剰に反応しすぎちゃうってことだよね。親の方が。その指摘に弱いというか。自分が過剰に反応して、もう言われたくないと思うからどんどん厳しく、細かくなっていく。
それを受け流せたら
母:
私がね。そうすればお姉ちゃんも、もう少し楽だったよね。
わたし:
そうだね。お姉ちゃんも、もうちょっとのびのびできたかもしれない。親が受け入れられないばっかりに、どんどん縛っていく感じになっちゃうってことだよね。‥‥自分の感情にのまれたまま子育てしちゃった感じかな。
人から子供のことを言われたり、自分が子供のことで怒られたり指摘されたりすることは、もう山ほどあると思う。それって、やっぱり嫌な気持ち、恥ずかしい気持ち、自分が悪かったんだっていう気持ちとか、そういう気持ちにもなるとは思うんだけど、なったまんま、それを子育てに反映しちゃった部分が大きいのかなって。
一旦冷静になる必要があったっていうか。それが本当に、子育てが悪いのか、周りの人が言うようにしなきゃいけないのか。とか。
子供ははしゃぐのが本分みたいな側面もある。だから仕方ない部分もあったのに、それも排除して縛りつけちゃったんじゃないかとか。
まあ、子育て中にそんな冷静になれるかっていったら、なれない気はするんだけど。でもそういう冷静な視点が持てていたら、もうちょっと‥‥そういう過剰な子育てにはならなかったのかもしれないなって。
母:
全部そのままお姉ちゃんにいったって感じだよね。ここ(自分)で一旦受け止めて、ちょっと弱めて何か言うとか、正しい判断っていうか‥‥何かお姉ちゃんの立場とか子供だとかに対してのあれじゃなく、もうストレートって感じだよね。
わたし:
お母さんに受け止めるキャパがないというか、責任転嫁しちゃったみたいな感じだよね、子供に。失敗に対する責任を子供に負わせた。みたいな感じ。
でも、子供を怒って、子供が泣きながら寝ちゃったあとに後悔したって言ってたじゃん?ここが、もう少しフラットな視点で子育てをするチャンスというか、そんな感じでもあるなって。そのときに周りに、そのチャンスを拾ってくれる環境がなかった感じかなって。いなかったんだなって周りに。
母:
そういうのだって、おそらくもっと、自分から求めていけばあったと思うの。
わたし:
まあね。
母:
うん。何か探せばあったと思うの。
わたし:
うんうん。そこまで気づけなかったというか。
ここで、おばあちゃんだったり、お父さんだったり、おじいちゃんだったりがかける言葉によって、また方向性が変わった気もするし、ここでお母さんが、みんなの言うことに疑問を持ったりして、本当にこれでいいのかって思って求めれば、また違う視点を持ってたかもしれない。
母:
そうだよね。
わたし:
やっぱおばあちゃんとか、おじいちゃんに言われると「そうなのかな」って思いがちだと思うし、一緒にいるお父さんとの子育ての方向性っていうのもさ。その当時、お母さんがお父さんとぶつかろうと思ってなかっただろうしって考えると、お母さんもなかなかそこから抜け出せない環境だったかなって。
母:
もっとね、大人だったらとかさ。
わたし:
そうだね。そんな勇気がない。状態だったんだろうなって。
でもみんな、子育て始めるときなんて、そんな状態だと思うんだけど。
母:
やっぱり、求めればどこかにはあったと思う。そうだね、あの時代って、求めてないからかな。健康管理みたいなものはすごくやってる。今はもっと、精神的なケアも。昔からあるにはあるけど、向かってた方向が、まだ健康の方が大きかったと思うし。
ただ、いろいろね、図書館で本借りると、古い時代に発行された本が、まさに今のこと(心のこと)を言ってるみたいな本も結構ある。だから、求める技量っていうか、そういう
わたし:
そうだねえ。そういうのがあるっていうのがもうちょっと、情報が世の中に出回っていたら。そういう考え方に触れる場所が‥‥ちょこっとでも触れれば。
今って求めなくてもある程度、情報が垂れ流されてくる時代だから。そこで気づけるみたいなこともあると思うんだけど。
母:
あとは、友達にもよると思うけど、自分自身が友達を作るような、技量があれば。きっとそういうことで話したりとか、何か出来たんじゃないかなと思うけど、なんか頑なだけに。人の意見を聞くっていうか‥‥。
きっとそんな話をすれば、気持ちが楽になるっていうのもあるだろうし、「こんなことではみんな怒ってないんだ」とか、緩むところもあったかもしれないんだけども。
わたし:
あとは、いろんな人の話聞けば聞くほど、カウンセラーとかじゃなくても、フラットな位置の感覚が身につきやすいよね。
母:
自分みたいな人もいたと思うけど、そうじゃない人もいたり、極端な人もいたりとか。いろいろな人を見るっていうことも
わたし:
どのあたりがいいのか。行き過ぎなのかどうなのかみたいな判断が、もうちょっとできたってことだね。
母:
少なかったね。
わたし:
地元からも遠いしね。
母:
そうね。例えば友達がいなくても、いとことかが近くに住んでたりしても、ずいぶん違ってたかもしんない。けど、友達少ないよね。いなくはなかった。いなくはなかったけど‥‥。
わたし:
鹿島のときは、相談したりした?
母:
いや、しないなあ。
わたし:
そんなイメージ。子供のことを相談はしない感じだよね。なんか‥‥相談、しないよね。
母:
しないなあ。
わたし:
なんか、お父さんもお母さんもそうだなって思う。
母:
やっぱりあれかな‥‥。
わたし:
失敗。どっか恥ずかしい部分。
母:
恥ずかしい部分を見せたくない。っていう。
― 今日はここまで ―
「子供をいかに制御できるか」が、子育てになりやすい。制御された子供は、もっともわかりやすく、親の子育ての優秀さを物語ってくれる。
だけど、子供にあれこれ制限をかけると、その家庭は閉鎖的になっていくよなあ。とも思う。
子供が自由であれば、家庭内の恥ずかしいことも子供にバラされてしまうものだけど、徹底的に管理された子供からは家庭の粗が見えてこない。そうやって、外の世界と隔離された家庭内では、どんどん洗脳が深まるのだろう。
そう考えると、恥ずかしくても、開けっぴろげにしておいたほうがいいのかもしれない。恥ずかしさに慣れたころ、幾分か生きやすくもなっているのかも。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!
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