【連載】家族会議『子供に腹いせ』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議23回目#4|子供に腹いせ
――「姉の気持ちをわかる」ことをテーマに話し合っている23回目の家族会議。
ここまでの会話で、母が、姉の気持ちをわかるということがどういうことなのか、掴めてきたという話をしてきた。
姉の目線に立つイメージが持てるようになり、幼い姉に、自分がどう見えていたのかをリアルに感じとってみると、そこにいるのは無表情で無感情で、人間ではないものだったという。
そんな中で、姉は虚しさや寂しさを感じていたのかもしれない。
それがリストカットにもつながっていたのかもしれないねと。話してきた。
この会話に全然参加してこない父が気になったわたしは、「お父さんはお姉ちゃんがリストカットしていたことは知ってるんだっけ?」と聞いた。
父はわたしの問いを無視し、「その前に今の話って、なんの話?」と聞いてきた。
――ここまでが前回。
母:
まず、お姉ちゃんは「気持ちをわかってくれない」って言ってるわけでしょ?私に。
自分としては、自分がやったこととか、そういうことはある程度わかってて、「ひどいことをしたな」と思ってて、「お姉ちゃんには悪いことしたな」って。それで寂しい思いとかしたんだなっていうのはわかったんだけど。
でもお姉ちゃんは「わかってくれない」って言ってる。だから、自分ではわかったつもりだったんだけどそうじゃない。そういうのは「わかってる」とは言えないってことだよなって。
だって、そういう状態の私を見てお姉ちゃんは、「わかってくれてる感じがしない」わけでしょ?だから、「お姉ちゃんがわかってくれたって感じるにはどうしたらいいの?」みたいなことを泉に言ったのね。
そのときに、「反省とか自己卑下じゃなく、罪悪感とかだけ感じてるんじゃなく、お姉ちゃんの気持ちになって」って‥‥言われた。昨日だけじゃなく、今までも何回か言われてることだけど。
一生懸命相手の気持ちになってたつもりだったのよ、今まで。だけどそれじゃ足りないんだ、って感じで、「どうしたらいいの?」って泉に相談して。あと自分でも寝ながらいろいろ考えて。
何となく、自分は今までこっち(自分)からお姉ちゃんを見てたけど、「お姉ちゃんの側に立って」みたいなことも言われてたから。お姉ちゃん側に立つ感じを、自分の心をお姉ちゃんの方に入れてみたらどうなのかなと思ってイメージしてやってみたら、見えてきたものがあった。
っていう話を言ってたの、今。
父:
実際の具体例かなんかあったんだっけ?
母:
具体例はあのパーマ屋さんの話。(母が美容室でパーマをしてもらっている間、3歳の姉がおとなしく、じっと座って待っていたという話―詳しくは前回参照)
父:
あーはいはいはいはい。
母:
パーマ屋さんの話をイメージしたんだけど
父:
ああそういうことね。で、お父さんも喋っていいの?それ。
母:
どうぞ
――父は、わたしの「姉のリストカットのこと知ってたの?」の問いに答えず、ここまでの30分間で話してきたことをもう一度説明させた。
してやられた。
父:
具体例としてさ、習字の話(自分の幼少期の話)あったじゃない。親父から真っ黒になるまで書かせられたよと。いうことで、そのときの自分の気持ちは、「こんな黒いのに書かしたってわかんねえのにな」と。いうのが一番強かった。けども、親父は何かわからせようとして必死で、「ここはそうじゃないああだこうだ」って言ってんだけど、なんか身が入らないっちゅうか。それで頭をコツンとやられた記憶がある。
一方で、俺が大人になってから、お姉ちゃんに対して習字のときに、あの書写。書写っていうものが、俺知らなくって、習字だとばっかり思ってたわけよ。そしたら「習字ってこんなもんじゃねえ」って、お姉ちゃんのこと言ったの覚えてるわ。
――姉は小学生のとき、書写教室に通っていた(わたしもだけど)。そこで習ってきた文字を父に披露して見せたことがある。
書道が芸術を追求するものだとすれば、書写教室で教わる文字は、正確で見やすく美しい文字。といった感じ。
父はその筆使いを見て、納得いかなかったらしい。
父親に成果を披露しようとする娘の文字(と気持ち)を、「そうじゃない!こうだ!」と言って、塗りつぶしたのだった。
父:
それでね、お姉ちゃんの気持ちをその事例に引っ掛けて考えてみたわけだ。
で、俺は親父から言われたときに、そう苦しくもなかったし、身が入ってなくてコツンとやられたんだから、それはそれなりのことなのかなと。だけど、あんまり親父からギャーギャー言われると、やっぱおばあちゃんとかお袋んところに逃げたんだな。そこがなんか、俺にとっては良かったのかなと。いう思いがちょっとよぎったんで、今度、お姉ちゃんがいる場面に俺が居て、お姉ちゃんが居てと、いうところで、お姉ちゃんの立場に立って考えてみたら、親父がガンガン怒ってるよと。もう嫌だと。で、逃げたいんだけど、お母さんも全然、救ってくれないというか。
俺の場合はおばあちゃんやお袋がちょっと救ったような感じになってるからよかったけど、我が家ではどっちも救ってくれないと。いうことにハッと気がついてさ。こりゃ、お姉ちゃんしんどいなと。そのとき本当に、ハッと思ったな。なんてことしたんだと。
――また母のせいだ。言葉では「なんてことしたんだ」と言っているけど、「なんてことしてくれたんだ」と言いたいのだろう。母が逃げ場になってやらなかったのが悪いんだと。
よくもまあ、こうも他人に責任をなすりつける“ロジック”が思い浮かぶものだ。
父:
ということを、今日お姉ちゃんに言ったんだわ。
「こういうこと気がついたんだけど、どうなんだ?」って。今までそういうふうに気がつきもしなかったと。
したら、「それもあるかもしんないけど、お父さんは父親のトラウマが強くあるんじゃないの?」と。トラウマつったらトラウマのひどくなったやつがPTSDというのかな。それからまたわかんなくなってきたんだよ。
だけどなんか、言われてみれば描けるんだよな。親父がいて俺がいて、親父にやられたことを子供にやってると。なんかこれ繋がるんだよ。なんでこういうことになるんだろうっていうのがね、まだ解けてないんだよ。なんで?って。なんだこの図式は?と。何か最もらしく繋がってるんだけどさ、何で繋がるの?と。
わたし:
お姉ちゃんが言ってたのは、自分がその場でむかついてた気持ちとか、理不尽だなって思ってた気持ちを、その場で父親には返せない。言い返すこともできなかった。その溜まってた気持ちを、その腹いせを、子供にやったってことだよねって。
父:
腹いせを子供にやった‥‥腹いせ‥‥。親父が亡くなってしばらく経ってさ、そういうことってあんのかね?
わたし:
亡くなってても亡くなってなくても、それは関係ないと思うわ。
父:
うん一見関係ないんだけどさ、なんで親父から受けた腹いせを、子供に腹いせをやるっていうのはさ、よくわかんないだよ。
――聞きたいのはこっちだ。
わたし:
でもよくあることだよね、それって。よくあることだし、わたしも、それはそうだと思う。腹いせでやったんだろうなって。
お父さんにとっておじいちゃんは大人で、お父さんの親で、歯向かえない立場の人だよね?で、お父さんは子供で、力も言い返す言葉もなくて。弱いというか、対等じゃないから我慢するよね?いろいろ思っても。
父:
うん。
わたし:
で、その腹いせを、誰にぶつけるかって言ったら、自分より弱い立場の人なんだよね。ぶつけやすいのって。
父:
うん、うん
わたし:
それがお姉ちゃんだったってことだよね。
――父は、「自分が子供に腹いせをした」という視点で自分を検証してみることができない。だからわからない。
「世間一般に、そんな事例ってある?」と、考えてしまう。一般的にその事例があるなら納得するし、一般的でないなら俺は悪くない。
自分がどうだったか?と、自分を省みるという視点が欠如しているのだ。
― 今日はここまで ―
自己愛性パーソナリティ障害の人は、基本的に視野が狭い。自分のことしか考えていない。
だけど、自分が責められていると感じると、途端に客観視のような視点になる。
実際には客観視ではなく、責任転嫁なのだけど。
世の中見て見ろよ。みんなそうだろう?
一般的じゃないなら反省してもいいけど、みんなと同じなら、俺は間違っていないだろう?と。
こういう大人がいるから、世の中良くならないのだと思う。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!