【連載】家族会議『チャラの論理』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議24回目#3|チャラの論理
――父は、自分の父親としてのこれまでの在り方を、受け継いできた血筋だという。
つまりは、子供(弱い者)に対し「腹いせ」や「八つ当たり」をしてきたことを、例に習っただけだと。
「そこに自分の意思はないのだから、俺の責任ではない。」とでも言いたげだ。
先祖代々、悪習をドミノ倒しのように積み重ねてきた父の子である姉は、その重みで窒息寸前で鬱になったのかもしれない。
母:
やっぱ意識の底に、親が死ぬまで、親が望むようないい子になろうとしてた。自分たちはね。だから洗脳だよね。親の思う通り。親が望むように。親がこうしたら喜ぶとか。
反抗するって、親が喜ばないことをやるわけだから。喜ぶことをやってるうちは洗脳されてる状態だよね。
わたし:
結果的に親が喜ぶことってあると思うけど、「親が喜ぶように」っていうその基準が、自分の行動の基準がそこだっていうのがまずいというか。
自分の気持ちからやることだったらいいんだけど、そこに気持ちってないんだよね。「親が喜ぶように」であって。そこの違いも微妙なところだと思うんだけど。
父:
紙一重だよなそれな。
わたし:
でも、紙一重だけど明確に違うこと。そこの違いを意識できないと、洗脳から解かれることもないってことなんだよね。
「相手の気持ちを考えてる」っていうのも、すごい紙一重だけど、明確に違うよね。本当に相手の気持ちを考えてるのと、自分が思う相手の気持ちを考えてるの。そこの違いがわからないと、永遠に相手のためになることはできないし、相手の気持ちを知ることもわかることもできない。
だからお姉ちゃんの気持ちをわかりたいって思ったときに、自分の気持ちもわかんないようじゃ、わかりようがないだろうなとは思う。けど、なかなかそこに行けないんだとしたら、どうすればいいんだろうね。
‥‥感じようがないよね。自分の気持ち感じれない人が人の気持ちなんて。
でもお母さんはちょっとずつは
母:
ちょっとね。でも、子供の頃の自分の気持ちを感じようとすると、なんか半々ぐらいになっちゃうのね。親の気持ち半分、子供の気持ち半分。だから感じきれてないなって思うんだけど。
昨日言ったように、こっち側(子供側)になってみるっていうので、もう一度子供の頃の自分の気持ちを、もっと良く感じてみようかなとは思ってるけど。
それを、ちょっとやってみたら、何か自分の親が、鬼のような感じがして。鬼のような感じがするなっていうのはあったね。その嫌なエピソードのときだよ?
わたし:
うんうん。
母:
思い出すと鬼みたいな。
わたし:
怖かったってことだよね。
母:
ちょっと思ったんだけど、お父さんほら、嫌な思い出はあるけど「でも」ってなるじゃん?
――父は嫌な思い出を、「でも」と良い思い出で上書きしてしまう。そして、「だから感謝しかしてない」と結論付ける。
母:
親のいいところいっぱい、もうこれ以上ないってぐらい書き出してみたらどうなるんだろう?って、ちょっと思ったの。
父:
なに?
母:
親のいいところ。
父:
いいところいっぱい書き出して?
母:
書き出してみたら、また何か気持ちに変化が何か出てくるかな?ほら、親の悪いところを考えようとするの嫌じゃん?
父:
嫌っていうか、なんなんだろうなぁ
母:
お父さんが、親がこんないいところがあったっていっつも言うから、いいところをとりあえずいっぱい書き出して、出すだけ出してみたら、なんか反対の方も出てくるんじゃないかって、ちょっと思った。今。
父:
あの~親父に対してはね、やっぱりあの、なんかチャラの論理が働いてんだよなぁ。やっぱり最大のあの、高校に行かしてくれたっていうの、青天の霹靂なんだよ。これで今までの全部チャラだとか、そんな感じ。
母:
チャラはチャラでいいけど
父:
いやいや、今までが何があったんだっていうとさ、そう聞かれると、なんかあんまりないんだよな。
わたし:
でもチャラになるだけのものがあったってことにはなるけどね。チャラって言ってるんだから。
父:
チャラ‥‥
わたし:
それを出すことで、親を憎むことにはならないと思うけど?まずは出してみるだけでも。憎んでることにはならないんだから。
――家計の事情で、高校に進学できるかどうかの瀬戸際だった父だけど、祖父は高校に行かせてくれた。父はそれで、ぜんぶチャラになったという。
チャラになったのはわかったけど、じゃあ、何があったの?何をチャラにしたの?そこを聞きたい。
その気持ちにこそ、自分の大事な気持ちが隠れているはず。それがわかれば、姉がどう苦しんでいたのかわかるはず。なのだけど‥‥
― 今日はここまで ―
「いろいろあったけど、ぜんぶチャラ」
そう聞くと、父親との間で嫌な思いや悲しい思いをしたことがあったけど、それをきっかけに和解できた。という印象を受ける。
父親のイメージが悪いものから良いものに変わり、結果的に感謝までしていると。
それはまさに、美談だ。
父はこの経験から、なにも学ばなかったのだろうか。
「いろいろあった」悪習の部分だけ例に習い、「チャラ」を実行していない。
姉もわたしも、「いろいろ」の真っただ中である。
できることなら、「チャラ」にしてほしい。
それができないのは、「いろいろ」に対する自覚がないからだと思う。「チャラ」になるまでには「いろいろな思い」があったはずなのに、それをぜんぶ消し去ってしまった。
消し去ってしまえば、もう「チャラ」ですらなくなり、父親は良い人でしかない。父が自分の父親を良い人だと思うのも感謝するのも勝手なことだが、そうやって「いろいろな気持ち」を無視したことで、人の気持ちがわからず自分勝手な人になった。
それに困っているのが、わたしたち家族である。
少なくとも祖父は、子供の将来を案じ、無理をしてでも進学させてやろうという気持ちを持った人だった。
自分が子供に嫌な思いをさせてきたことが血筋だというなら、「子供に向ける思い」の部分もぜひ例に習って欲しい。
そうでなければ、父との関係はチャラにはならない。
<次回に続く>
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