【連載】家族会議『普通じゃないのが普通』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議11日目#2|普通じゃないのが普通
――子供のころ、親戚のおじさんおばさんたちの違いがよくわからなかった。だけど家系図を作りながら話を聞くと、あのおじさんおばさんたちが、急に身近な人に思えてくる。
そして、親族の過去が明らかになっていった。
母:
あと、私にとって伯父さんか、父親の本家を継いだ人ね。伯父さんは、ちょっと怖い怖い人だった。
なんか直接言われたことないけど、言い方とかなんか。
わたし:
いとこたちのお父さんね。
母:
そうそうそう。何か言われたって感じじゃないけど。やっぱ母親からの印象かな?母親が言われた言葉とか聞いて、怖い人だなって。
父:
その人が、本家の実権を任せられたのはほんのわずかしかないんだな?
母:
ないと思うね。おじいちゃんがすごい長生き、90歳過ぎまででしょう?だからまだそのときはもう睨みを利かしてると思うし、だからもうだいぶそれは年取ってからのことでしょ。
父:
そうなんだな。わかりました。
――なにがわかったんだろう。何を知りたかったんだろう父は。実権をなかなか握れなかったその伯父さんに、同情の気持ちでも沸いたのだろうか?
うん、たぶんそうなんだろう。
男に生まれたからには、家長として家の実権を握ることこそステータス。そんな考えだからな。
わたし:
家系図書く?
母:
そうだね。どういうふうに?
わたし:
わたしが書くから聞きながら。
母:
そうはい。
わたし:
とりあえずお母さんの方から作っていい?今ちょうどお母さんの話してたから。
――ここから家系図の詳細を聞いていくのだけど、詳細すぎるのでブログでは割愛する。
ただ、家系図を作成しながら聞いた話の中で、思うことがある。
自分の親族に特異なことはなく、みんな“普通”に生活している人ばかりだと思っていたけど、そうではなかった。
母:
この人(祖母の弟)は未婚で亡くなった。
わたし:
未婚で亡くなった人いたんだね。その人は実家にいたの?
母:
ううん、東京に。で、時々行方不明になったりしながら…。
わたし:
どういうこと?
母:
何か、職場から。黙っていなくなったりとか、何回かやって。
わたし:
ちょっと、精神的に不安定な人だったってこと?
母:
そういうことになるのかな。
その人が、最後には病気になって。あ、実家とも連絡を取らない感じになった時期もあって、もうどこ行ったのかわかんない状態で。生きてんのか死んでるのかもわかんないような状態が何年か続いたりしてたんだけど、病気になって自分から連絡してきたの。自分からか誰かに頼んだのかわかんないけど、とにかく連絡がついて、一番上の長男の人が迎えに行って、岩手に連れてきて、岩手で療養して、病院に入ったり、自分の実家にいたりしながら入退院しながら、亡くなったって感じかな。癌だったみたい。
父:
その人俺と同級生くらいか?
母:
そうだね。ほとんど戦後、終わってまもなく生まれた。
わたし:
実家のお兄さんが面倒見たってことね。じゃあお兄さんより先だったってこと?
母:
うん、先。60歳くらいでなくなったのかな。生活も安定していないから、健康管理もあまりできなかったんじゃないかな。
――どちらかと言えば、”普通”な側面しか見せられていなかったのだろう。わたしが子供だったというのもあると思うけど。
事実としてあるひとりの人生だけど、なんとなく普通っぽくないことには触れられることなく、意図的ではないとしても伏せられてしまうのかもしれない。
だけどわたしとしては、悩み苦しみ、型にハマれなかった人生を送った人が親族にいるとわかったほうが、ほっとする。
そりゃそうだよねって。
みんなそうそう、”普通”に結婚して、”普通”に仕事して、”普通”に生きれるわけじゃない。
- 今日はここまで -
父が自己愛性パーソナリティ障害で、姉がうつになって、わたしは性犯罪被害にあったあと転職を繰り返し放浪している。そして、70代の両親と40代の未婚の娘ふたりでいまだに、家族の幸せを模索しているのがわが家だ。
親族の中では異端かと思えば、みんなそれぞれに、それなりに”普通”じゃない。
それが”普通”なのだ。
むしろ、”普通”と定義されてきたものこそが、”普通”ではない。それこそが偏見のかたまりだったりする。
<次回に続く>
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