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家族の食卓を壊すのは誰か
わが家は今、家庭内別居中だ。
母とわたしは食事を共にするけど、父はひとり。
でも家庭内別居をする前から、父は食卓にいないも同然だった。
わが家の食卓はヒト以下
母は新聞を読むのが好き。気になる記事を見つけると、わたしのもとに持ってくる。それについて語らうのが、わたしと母の日常のひとコマだ。
ともに食卓を囲む動物はヒトしかいない
父と食事をしなくなって2ヶ月ほど経つわが家。
新聞の一行が胸に突き刺さる。
「うちの食卓はヒト以下ってことか・・・」
父と会話のない食卓
『人生案内』に寄せられた投書のタイトルは、『夫と食卓を囲む週末が苦痛』。50代のパート女性からのものだった。
平日は私と子どもの3人で食卓を囲みます。子どもたちは会話好きで、2時間近く家族だんらんを楽しむこともあります。
微笑ましい光景が目に浮かんだ。
家族だんらんと言えば誰もが、「楽しく会話しながら食卓を囲む」そんな風景を思い浮かべるのではないか。
一方、夫がいる週末は、子どもたちも、夫の犬食いのような食べ方や音が嫌だと言い、黙って食事をすませ、すぐに席を立つようになりました。
わが家と重なった。
ずーんと重たい気持ちになる。
ただ、わが家の場合は、食べ方や音が嫌なわけではない。
確かに父は、食べ物をボロボロこぼす。父の席の下にはいつも何かが落ちているし、洋服を汚すことも多い。
でも嫌なのは、食べ方じゃなくて「会話がないこと」だ。
一緒に食卓を囲んでいても、父だけひとり、透明な壁に囲まれた防音室の中にいる。わたしたちの会話は、父の耳には届いていない。
まるで、食事瞑想でもしているかのようだ。
ときどき外からコンコンと扉を叩くと、ハッとしたように顔を上げる。
話を振りたいときには、いちいちノックしなければならない。
一方、父は聞きたいことがあると、突然扉を開けてしゃべりだす。
防音室の中からわたしたちの様子をうかがい、会話が途切れたことを見計らって扉を開けることもある。
父と食卓を囲んでも、居ないも同然。というのが実情だ。
サルの食事
投書への回答者は、作家のいしいしんじさんだった。そこには手厳しい言葉が並んでいて心がざわついた。
あなたは家族をえり好みしている。とりもなおさずその行為は、家族を壊すことにつながりかねない。
えり好み!?いやいや、わたしは悪くない!!
そんな反発心が生まれた。
母とわたしが悪いと言われているようで、居心地の悪い気持ちになった。
でも、本当はえり好みしていたのだろうか…。
つづく言葉に、胸をなでおろす。
あなた、息子、娘の3人は、家族を守るため、夫、父親に、真摯に語りかけなければならない。(中略)それでもし耳を貸さないなら、夫は家族であることを放棄している。こころおきなくたもとを分かち、3人とひとりに分かれてばらばらに食べればよい。
うん、やってる!やってきた!めっちゃ語りかけてきたよ!
なんとかしたくて家族会議までした!
無視するのは父だもん。ぜんぜん会話に参加してくれないもん。
やっぱり、父が悪いでしょう?
今の状況は、なるべくしてなったってことだよね!
と、得意げになったのも束の間。
それは家族ではなく、ヒトの食卓でもない。
互いに顔を合わさない、サルの食事風景に近い。
どーんと突き落とされた気分だった。
短い回答文を読み進めながら、わたしの心はとても忙しかった。
家族を壊すのは誰か
家族を壊しているのはわたしかもしれない。
この感覚には覚えがあった。
犯罪被害にあったあと、わたしのことで両親がケンカするようになったときだ。
「このままじゃ家族が崩壊する」
そう感じた。わたしがいつまでも怖がっていたらダメなんだと思った。だからわたしは、あのとき家を出た。そして仮面家族を演じることに決めたのだ。
でもそれは、家族風なだけであって家族ではない。
実家に戻ってから、心の対話をしようとあの手この手で父に語りかけてきた。ずっと失敗続きだけど。
父の心の扉は、そう簡単には開かない。
今は家庭内別居中だけど、いつかヒトに戻りたい。
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