【連載】家族会議『その場しのぎの約束編』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議3日目#1|その場しのぎの約束
――父も母も、それぞれがまだ甘えたい段階にいる。その原因は子供時代に甘えたい気持ちが満たされなかったことであり、それ故に大人になっても他人に求め続けてしまうのである。
その満たされなかった部分である『親にしてほしかったこと』をまずは吐き出していくことになった。
母:親にしてほしかったことね、考えてみたらなんにも出てこなくって…。それで反対に、されて嫌だったことが出てきたの。
ひとつは比べられたこと。
友達とかと比べられて、「誰々ちゃんはこんな手伝いやってるのに」とか、勉強というよりは普段の生活で「誰々ちゃんはお弁当自分で作って行ってる」とかいろいろね。そういうこと言われたのが、なんか嫌だったなって。
あと、おぼろげなんだけど叩かれたこと。
わたし:おばあちゃんに?
母:おばあちゃんだね。やっぱり、おねしょしたときとか叩かれたような気がする。叩きたくなるよね、とは思うけど。
あと嫌だったのは、お客さんとかが来て帰ったあと、「余計なこと言うんじゃない」って。それがなんかよく分かんなくて嫌だったなって。
あと、小さいときのわがままぶりを、何度も指摘されたかな。
わたし:大人になってからってこと?
母:大人になってからもたびたび。だんだんそれにも慣れていったような気がしてたし、ちょっと笑い話みたいにはなっていたけど、今思うと、それも自分の子育てにすごい影響しちゃったなっていうのがあるな。
――近所の子と比べたり、兄弟で比べたりを、親はやりがちだ。子供の自尊心を傷つけながら成長を促そうとするのは、ちょっと雑なやり方だと思う。
母:あとは、木にくくられたこと。それもおぼろげなんだけど、確かあったような気がして。やっぱり何かしたんでしょうね。で、木にくくられて、そのときもすごい泣きながら大騒ぎしてたって感じ。近所中に聞こえてたと思う。
で考えてみると、親からいろいろ注意されたことに傷ついていたっていうのもあるんだけど、でも親からすると、相当手を焼くような子供だった気が…急にしてきたの、昨日。
思い出したのが、近所のおばあさんのお葬式で、死んだおばあさんを見たいって。よくそのおばあさんのところに遊びに行って、人形の着物を縫ってもらったりした人だったからなんだけど、「子供は見るもんじゃない」とか言われて、いっぱいの人が集まってきてるのにそこで大騒ぎしたとか。
それを思い出すと、結構育てにくかったかもなって。それ以外にも人形が欲しいって言って、お店の前で寝転んで騒いだとか。相当だよね。親からすれば。
そんな子供だったから、結構言われたのかなって思って。
――母の子供のころのわがままは子供らしいわがままの範囲に思える。育てにくいというほどのことではないと感じてしまうが…。
確かに親目線だけで考えれば、子供のわがままには手を焼くだろう。良い子にしてくれていればそれだけ楽もできる。でもそれは親目線でしかない。子供の気持ちはまったく考えられていないことになる。
昔は子供を尊重しない強引なしつけが当たり前だった。それでいて、思いやりのある子に育ってほしいなどと願う。それはどう考えても無理があるだろう。子育てでは希望と教育に矛盾が起きがちだ。
母:なんでわがままになったかって、自分ではよくわからない。そういう子供だったのかもしれない…。けど、よく親が「後でね」とか「今度ね」とか約束するでしょ?
で、「今度なんだな」「後で買ってくれるんだな」って思うでしょ?こっちは。だからそういう約束が出来たと思ってるのに、それをいっつもやってもらえなかった。その場しのぎの約束とか、その場しのぎの言葉とか。だからそういうのが溜まってた気もする。
自分の気持ちをいい加減に扱われたみたいな、ないがしろにされたみたいな、そういうことになんか怒ってて、そういうのが何かの時に出てきたのかなーみたいな。
わたし:子供はそこまで計算してないけど。迷惑かけようって、それで泣きわめいたりするっていうのもあるのかもね。恥ずかしい思いさせて、復讐?笑
母:そうだったのかも。
――子供は自分の気持ちを表現する手段が限られる。気持ちを上手く言葉に出来ないこともある。だから赤ちゃんは泣く。それを大人が強引な手段で押さえつければ、子供も強引な手段で気持ちを表現しようとするだろう。それが子供のわがままなのかもしれない。
逆に、わがままではなくグッとこらえる子供もいる。そういう子は親にとって聞き分けのいい良い子ということになるが…子供の心は満たされないままである。
子供のわがままは子供の欲求そのものだ。満たしたい気持ちがそこにはある。叶えてやれるもの、叶えてやれないもの、それは内容や事情により異なると思う。でも、その気持ちに真摯に向き合ってあげることが、子供にとって何より大切なことなのだ。
母:してほしかったことはこの反対かなって気もするんだけど…。
あ、でも今思うとしてほしかったことはあれだね、約束を守ってほしかったかな。いい加減に約束しないで、出来ないなら出来ないって、最初から言ってもらいたかったなぁって。
親としての気持ちは分からないではないけど子供としては、なんか面白くない。
――親が子供にその場しのぎのいい加減な約束をするのは、「子供だから言っても分からない」「子供だから言っても通じない」と思っているからだろう。
もちろん子供だから、大人程の理解力はないかもしれない。でも分かるように説明してもらえれば子供だって分かる。納得いかなくても分かることができれば、心だけは傷つくことなく守られるのである。
母:で、あと親にしてもらってうれしかったことっていうのも出てきたかな。
デパートに連れてってくれたこととか。冬とかにボーナスがでると連れてってくれて、なんか、みんなでデパートでごはん食べて何か買ってもらってみたいな、それは楽しかったっし楽しみだった。それ以外にも色んな所に連れてってくれたなって。
あと思い出したのは、母親がエプロンを作ってくれたのがうれしかった。父親が入院してる時かな、母親が外で働くようになって、わたしがご飯炊きするようになったときにエプロン作ってくれたのを覚えてる。
わたし:一人前になった気分みたいな感じかな?認められたみたいな。
母:うん、なんか自分のエプロン縫ってくれた!って。
あとは相対的に大事にされたかなって。約束の部分は大事にされた感じはしないんだけど、可愛がってもらったかなって。それでワガママになったのかもしれないけど。
そんな感じのことを今のところは思い出したな。
――母が言うように、母が大事にされて育ったというのは感じる。とくに祖父は孫であるわたしのことも可愛がってくれた。
祖母も基本的に優しい人だ。だけど「こうあるべき」という固定観念が強いうえに世間体を気にする人だから、自身がすごく我慢をしてきている。それを子供にも強いたから、その点で母は嫌な思いをしたのだと思う。
- 今日はここまで -
その場しのぎで約束されて、その約束が守られない。この状況は父との間でも起きていた。父に相談しようとしても「仕事だから」と、「あとで」と言われ、それを信じて待っていた母。
定年しても結局向き合ってくれない父に、ようやく「その場しのぎ」だったと気づいたのだった。約束が守られない悲しみは、「気持ちをないがしろにされた」悲しみだよねと、最近母と話している。
<次回に続く>
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