【連載】家族会議『人を支配するか、人に支配されるか』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議13日目#1|人を支配するか、人に支配されるか
――2020年2月3日。家族会議は13回目を迎えた。
冒頭で父方の親族の家系図について説明があったが、詳細すぎるので割愛する。
父:
一応家系図はこれで。何がわかったかというと、父方にしても母方にしても、プライドが高い男だなというのが、ありありとわかりましたです。
――12回目の家族会議では、父が上から目線になる原因を考察していた。
その中でわたしは、親族から受け継がれたプライド意識によって、自然と「上」意識が根付いたのではないか。という考えを話した。
武家の流れであるという父方。地主だった母方。家系図を整理しながら、父はそれを、感じられたようだ。
父:
それでね、次、(家族会議を)最初やった頃の話なんだけど、これをちょっと整理したんです。ちょっと説明しますから。
わたし:
はい。
父:
娘の一言ということで、「親戚中で一番幸せな家族になろうよ」ということを目標に、今の取り組み(家族会議)を始めましたよと。
これ言われたときは本当、目が覚めたわ。
――この録音を、もう一度父に聞かせてやりたい…。
父:
何が問題かというと、どうも家庭がうまいこといってないって。不協和音があるなと。
それの根本原因は80%が夫婦間。親子間が20%と認識してる。っていう私の思いでお話したと思うんだけど。本当にこれを機に、全部膿を出して目標を達成したいっていうのが、本音です。
で、泉から今思ってること言ってくださいって言われたんで、一応書いてみた。
わたし:
うん。
父:
まず、「幸せっていうのはどういうイメージを持ってるの?」と質問に対しては、「穏やかに暮らせる」と、「プラスの面がマイナスより上回ってるだけでいいんじゃないの」と。いう感じを持ってますよと。結婚当初、私はこんな感じで言いましたと。
これなんか、どれだけ上から目線だって。本当ありありだわな。
対等なんていうのもあるんだけど。これもね、出てくるわ。上から目線と同じ感覚で。
俺はね、上から目線には、家庭における上から目線、一般社会における上から目線とあるでしょうと。家庭における上から目線というのは、自立を目的にするから上から目線は必要ないだろうと思うわけ。これ、俺の思いだからね。
母:
最近そう思ったってこと?
父:
うん、そうそう。
一般社会における上から目線っていうのは、統制を目的にするから。会社なんか特にこれ絶対必要だと。だけどこれをね、まずこういう構造にあるっていうことがわかってなかった。全てその統制をとれば、会社も家庭もうまくいくだろうと思ってたわけよ。
ところが最近いろいろ勉強させてもらって、どうも違うなと。だから上から目線が目的によって違うんじゃないか。ということでこういうふうな考え方を今は持ってるよと。
ここで言いたいのは、なんていうの、俺の悪いとこここなんだわ。家庭における上から目線、一般社会における上から見目線、その通りでしょうと。多分。だけど、一般社会における上から目線なんて、ここで力説する必要はないんだわ。
ここで必要なのは、家庭における上から目線というのはいらないよっていうことが必要なのよ。
父:
必要なことがここにあったらトータルでこうやってね、言うからね、なんか余計上から目線みたいな感じになるし、偉そうだし、こっちいらないでしょって。今家庭のことで問題になってんだから、統制を取るために云々なんての。
母:
ちょっといい?
父:
うん。
母:
今お父さんが言ってることって、今までは家庭でも上から目線が必要だと思ってたけども、家庭ではいらないんだねっていうのがわかったよっていうことを言いたいの?
上から目線っていうのは、場所によって必要なところもあるんだよっていうのはいらないなって。前はそう言ってたけど、考えたらそれはいらないなって?
父:
ここ(家庭)で言うのには。
母:
あともう一ついい?なんか会社ではさ、上から目線って言い方かどうかわかんないけど、統制取るのには何か必要なのかなと思うけど、一般社会って会社のこと?
父:
会社のこと
母:
で、会社と一般社会ってのはまた別にあるよね。
父:
ここで言うのは会社だ会社。
対等という言葉あるでしょ?お母さんがよく言う対等。対等もね、これとまるっきり同じなんだよ。会社においてね、対等だなんて言ったらね、アホかと言われる。
だから違うんだやっぱり。今言ってんのは、家庭の話言ってんだから、ここではね、上から目線も必要ないし、対等であるべきなんだ。
というのは、これ(家系図)書いた後に、書いててはたっと気がついてそういう感じがしました。だから、本当はここ、私の今の真意は、一般社会っていうところは削除しないと、と。そういう心境です。だから対等でいいんですよお母さん。堂々と、自信を持って対等を言ってくださいよ。
母:
今まで対等って私に言われて、どんな気持ちがしてたの?
父:
むかついてたよ。
母:
むかついてたの?
父:
統制を取るために俺、全部そうだと思ってたからね。これやっててね、統制は必要ないんだと、家庭ではね。統制が必要なかったら対等しかねえだろうと。だから家庭は対等でいいんですよ。みんな。泉とも対等。お母さんとも対等。上から目線なんてサラサラない。というのがわかりました。
母:
お父さんの言うこともわかったけど、こないだお姉ちゃんから言われたのは、とにかく私達は、お父さんも私も、お姉ちゃんも6歳ぐらいだけど、うちで大人なのは泉だけだよって言われたんだよね。
父:
今の話また後で出てくるんだけど、要するにここで書いててもね、なんか俺は、偉そうにこの二つ並べてこっちはどうだってやるけども、そういうのが好きなんだろうな。なんて言うんかな、偉そうにするためには好きなんだろう多分。そういう論理じゃない?よくよく考えたらね、いらないんだよ。
こっちの説明するのにこっちだけでいいんだよ。何か聞いたらここ喋ればいいだけであって、同じレベルで喋って、俺はこうだよってさ。いや恥ずかしい。
母:
でも書いてよかったでしょ?
父:
そうだね。
――父の認識はやっぱりずれている。
上から目線が必要な場所などない。
だけど、言えなかった。
せっかく「家庭内で上から目線は必要ない」ところまで進歩した父の、機嫌を損ねるわけにはいかないから。
そうやってびびって甘やかしてしまったから、今もわが家は、不協和音が続いたままなのかもしれない。
- 今日はここまで -
父は「統制=支配」だと思っている。会社でも家庭でも統制は必要であって、だけどそれは「支配」することではない。
人との関係がすべて支配関係で成り立つと思っているから、おかしな理論になる。
まあ、父の家庭がそうだったのだろう。
「人は生まれながらにして平等」という言葉がある。
だけど父は、生まれながらにして「不平等」だと感じたのであろう。
家庭内では末っ子だったために支配下に置かれ、そういうものだと思い込まされた。
自分を支配する父や母の姿を見ては、上の立場に立ったら人を支配するものだと学んだ。
人を支配するか、人に支配されるか。それが人間関係だと勘違いした。
愛情不足で、自分が自己愛性パーソナリティ障害になっていることにも気づかずに…。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!